http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/756.html
Tweet |
「オフレコ問題」であらためてわかった無能なのに事実を隠蔽する経産官僚の体質は「原発問題」と同根/長谷川 幸洋
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/8055
2011年06月10日(金) 長谷川 幸洋「ニュースの深層」:現代ビジネス
菅直人首相の退陣騒動を追いかけていて一時、中断したが、経済産業省の問題を忘れていたわけではない。先々週まで当コラムで4回にわたって書き続けた資源エネルギー庁長官のオフレコ発言と、それに端を発した経産省の記者締め出し問題である。
ざっと経緯を振り返ろう。
東京電力・福島第一原発事故をめぐって、政府が被災者への賠償案をまとめた。株式は100%減資せず、金融機関の債権カットもないので、結局は電力料金値上げの形で国民負担になる。本質は東電救済案だ。
枝野幸男官房長官は政府案決定後の会見で銀行に債権放棄を求める考えを示した。すると、細野哲弘資源エネ庁長官がマスコミ各社の論説委員を集めた懇談会で、枝野発言について「オフレコですが、いまさら官房長官がそんなことを言うなら、これまでの私たちの苦労はいったい、なんだったのか」と感想を述べた。
私が細野発言を5月14日付け当コラムで紹介すると、経産省は私の上司に抗議してきた。それも17日付け当コラムで報じると、今度は経産省クラブ詰めの東京新聞記者を懇談出入り禁止処分にした。それもまた20日付けコラムで報じた。
私は見解を質すために経産省の官房広報室長に何度か接触を試みたが、室長は逃げ回るばかりで、これまで私自身にはなんの抗議も説明もしていない。
一連のコラムはツイッターやメールで多くの反響を呼んだ。
私は知らなかったが、新党日本の田中康夫代表は6月2日、ニコニコ生放送の政局特番で同席した際、資料を私に手渡しながら「黙っていて悪かったけど、実は衆議院の予算委員会で長谷川さんのコラムを使わせてもらいました」と笑顔で教えてくれた。
田中は5月16日の衆院予算委で枝野を次のように直撃していた。
田中: 「(枝野長官は)東電とステークホルダー、いわゆる株主と銀行の自助努力の範囲で賠償資金を出す、こう発言された。それでよろしいか」
枝野: 「ご指摘いただいたように、電気料金等に転嫁せずに一定の年月をかけて負担のステークホルダーのご協力を含めて出すことができると考えている」
田中: 「枝野さんが発言した13日に細野資源エネ庁長官は『そんなことを言うなら、なんのために今回の賠償スキームを作ったのかという気分だ』と言っている。出席した論説委員が証言している。つまり『我々(資源エネ庁)は東京電力と株主、銀行の利益を守るために今回のスキームを作った』と述べているに等しい」
枝野: 「電気料金や税金等に、少なくともそれに相当する金額を企業そしてステークホルダーの努力によって出すことはできると考えている」
以上がやりとりの一部である。
田中の所属する新党日本は国民新党とともに民主党と連立を組み、与党の一角を形成している。田中は与党でありながらも、政府の賠償案は国民に負担を転嫁させる仕組みになっており、おかしいと問題点を追及していた。
こうした質疑が国会で繰り広げられただけでも、私のコラムは意味があった。オフレコ発言を報じることで枝野と細野の食い違いをあきらかにし、賠償案の問題点を浮き彫りにする効果があったと思う。
■オフレコはただの情報操作
東京新聞記者の懇談出入り禁止を受けて、私は広報室長から事実経過を聞いたうえで私の考えを説明し、処分撤回を求めようとした。
まず問題の論説委員懇談会は経産省の記者クラブとなんの関係もない。私は記者クラブに加盟もしていない。また多数の論説委員が出席している場で、官僚が一方的に「これはオフレコで」と宣言したところで、オフレコは成立しない。
オフレコがありうるのは、基本的に他の第三者がいない場で両者が明示的に同意した場合だ。多数が出席する公開の場では、だれかがオフレコ内容を匿名で外に漏らしたとして、だれが「犯人」と分かるのか。初めから守られない可能性があると知ったうえでのオフレコは、官僚が一方的に匿名で相場観を広める手段にすぎない。
しかもコラムを書いた本人である私には一切、接触しようとせず、上司に抗議しただけでなく、なんの関係もない現場の取材記者の活動を制限したのは、まったく容認できない。
論説と編集は言論活動と報道活動の無用な相互干渉を防ぐために互いに独立している。これは広報にかかわる人間の常識である。政府であればなおさらだ。
そんな事情を承知のうえで、記者に取材制限を課したのは言論活動に対する圧力にほかならない。上司や(広い意味で)同僚記者を通じて、私に無言のプレッシャーをかけようとしたのである。
■責任転嫁をした回答
国民の税金を使って仕事をしている政府の人間が新聞の論説委員に対して、言論内容をめぐって圧力をかけるとは許しがたいことだ。
私は10年以上、論説委員をしているが、私が書いた署名記事をめぐって役所から、こんなあからさまな圧力を受けたのは初めてのことである。
私自身は無言の圧力を受けたからといって、経産省と裏取引をしたり、筆を曲げるつもりはまったくない。それは5月27日付けコラムで「こういう役所はいらない」と書いたとおりである。
だが、取材記者のことは気になった。論説と編集は互いに独立しているとはいえ、記者に対する取材制限が私のコラムに原因があるのはあきらかだったからだ。
そこで考えた末、海江田万里経済産業相に問題をぶつけることにした。事務次官や官房長を直撃する手も考えたが、彼らも同じ官僚である。いくら攻めても、時間の無駄になる可能性が高い。政治家である大臣の見解が聞きたいと思ったのだ。
私が大臣サイドに接触し事情を説明すると、話を聞いた担当者はその場で「それは広報の対応がまったくおかしい。すぐ調べます」と答えた。
すると、まもなく担当者から驚くべき回答が返ってきた。広報室長は大臣室からの問い合わせに対して、こう答えたというのだ。
「東京新聞記者の取材制限をしているのではない。その記者は自主的に懇談出席を見合わせているのです」
自分たちが取材制限しておきながら、大臣室が介入してきたと知ると「それは記者の判断です」と言い逃れしたのである。責任転嫁こそが官僚の常套手段とは知っていたが、こうまで平然と居直られると、まったく開いた口がふさがらない。
ふざけた話である。と同時に、官僚のばかさ加減にあきれた。
そもそも、どうしてこんな事態になったかといえば、私から逃げ回る一方で、こそこそと陰に回って圧力をかけようとしたからだ。自分たちの行動について、よく考えもせず「ちょっと脅せば黙るだろう」くらいのつもりで記者を出入り禁止にした。こうしたケースでは、従来から官僚がよく使う「脅しの手段」だったからだ。
論説委員と編集の取材記者の違いくらいは当然、知っていたが「どうせサラリーマン。似たようなもんだ」となめてかかったのである。
良くも悪くももう少し有能な官僚なら、具体的な行動を起こす前に論理と正当性をしっかり詰める。しかも余計なことは一切、言わない。徹底的に問題点を詰めることこそが官僚の能力であるからだ。それを私はこれまでも体験してきた。しかし、今回はそうではなかった。
■原発事故への対応とそっくり
上司への抗議も出入り禁止処分も、おそらく広報室長1人の判断ではない。直接の上司である官房長はもちろん事務次官にも判断を求めていたはずだ。なぜなら、彼らこそが記者と懇談する「経産省幹部」であるからだ。
ところが、それでもブレーキはかからず、突っ走ってしまった。その挙げ句、私に真正面から問われると、沈黙する以外に方法がなくなってしまったのである。
これは大げさでなく、経産省の原発事故への対応と似ている。
原発を推進する資源エネ庁と安全監視する原子力安全・保安院が同じ経産省にぶら下がっていたことがなれ合いを生んで、事故の遠因になった。これは事故発生直後から、私を含めて多くの識者が指摘してきた。
ところが、マスコミや国会でその点を質されても、経産省はのらりくらりと逃げ回り、国際原子力機関(IAEA)が調査団を派遣して問題を指摘するに至って、ようやく「保安院の切り離し」を認めた。「もう逃げられない」と観念して、初めて渋々と動く。
しかも、保安院切り離しについて国民への説明の前に、IAEAに対する日本政府の報告書の中で認めたのである。いかに政府が国民を無視しているかの一例だ。
今回の出入り禁止処分問題も、これとまったく同じような経過をたどった。
大臣室からの指摘を受けて、広報室長は先週、ようやく東京新聞記者の出入り禁止処分を解いた。しかも、こっそりと。当事者である私に対する説明は一切なく、大臣室にだけ報告していたのである。
これも相手に言わせれば「記者が独自に懇談出席自粛をやめたのです」とでも言い逃れるのだろう。ようするに、出入り禁止処分自体をなかったことにしたいのである。
■「黒光り」する官僚
問題の本質ははっきりしている。私が「論説委員のコラムが原因で記者の取材制限をするのは、大げさでなく言論に対する圧力だ」と指摘すると、大臣室の担当者は黙って頷いていた。
以上が騒動のてんまつである。
役所は自分たちの都合が悪い記事が出ると、平気で記者を出入り禁止処分にする。それで旗色が悪くなると、話そのものをなかったことにしようとする。とても先進国では考えられない事態である。
霞が関の能力低下はここ数年、とみに目立っていたが、ここまで落ちぶれてしまったのである。
最後に今回、広報室長の実名を書かなかったのは、彼の立場に同情したからではない。それはこういう事情だ。
読者の中には「なにも実名で書かなくても」と思われた向きもあるかもしれない。「彼も上司との板ばさみになっているんだろう」とツイッターで伝えてくれた読者もいる。ネットのような公開の場で批判されれば、彼の将来に傷がつくと心配する人もいる。
まったく逆である。
官僚の世界では、自分たちの既得権益を守るために戦った人間は、たとえ世間で批判されても、かえって評価されるのだ。そういう官僚こそ「黒光りする」と言って、誉めたたえるのが「霞が関の掟」である。
官僚の世界は世間の常識が通用しない。それほど暗闇の奥が深い。ちなみに「黒光りする」という霞が関でしか通用しない隠語の意味を私に教えてくれたのは、彼自身もまた官僚と戦った元首相である。
広報室長の将来を案ずる必要はまったくない。逆に、これで勲章が一つ付いたようなものだ。私は彼を「官僚のヒーロー」にする手伝いをするつもりはない。だからこそ、彼の実名はもう書かないのである。
(文中敬称略)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK114掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。