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2011⁄06⁄09(木) 11:28
文明学者・梅棹忠夫がみた未来「市民の力こそ、文明の暗黒に差し込む光明となりうる」
先日ETV特集で『続報 放射能汚染地図』の後、『暗黒のかなたの光明〜文明学者 梅棹忠夫がみた未来〜』が放映された。
作家の荒俣宏氏をナビゲーターに梅棹忠夫氏が死の直前まえ書き上げていた未完の書「人類の未来」で言いたかったこととは何か、どんな結論をつけたのか、を知人や後輩に聞きながら探っていく、というものだ。
ビデオにとってあり、後程見て大変興味深かったので、要点を書き起こしてみた。
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文明との競争
「原発事故を機に私たちは意識しなかったことを意識せざるを得なくなっています」
宗教学者の山折哲雄氏
無常三原則
1.この地上にあるもので永遠なるものは一つもない
2.形あるものは必ず壊れる
3.人間は生きてやがて死ぬ
これは誰も否定できない。
アジア的な価値観からすれば我々は受け入れるけど、ところが西洋的文明は絶対受け入れない。
客観的事実だということは認めます。
天然の無常
自然と協調し共存しながら生きてきた、その知恵から生み出された自然観であり人間観であり、そして宗教観であるのだと
たとえば西ヨーロッパの自然、フランス・イギリスが中心ですが、安定している、なぜかというと地震が無いからです。
自然が安定しているから、自然の客観的な研究ができた。だから自然科学はまさに西ヨーロッパから発生した。
日本の場合はそうじゃない。荒れ狂う自然が起きた時には、抗うことはできない。あきらめて頭(こうべ)を垂れる
その自然の猛威から何を学ぶか。学んでどう自分たちの生活を防衛するのか。まさに危機管理思想です。
それで何千年となくずっとやってきたわけです。
そういう伝統の中で日本人の学問とか自然科学というものがつくりあげられてきた。
今度の原発問題で言えば、原子力発電の推進派にしても反対派にしても、これは梅棹さんがよく言われていたことだが、
「自分の欲望と向き合うことなしには、その問題は議論できなくなる、そういう状況に今きている。
今、我々は人間の欲望とはいったい何なんだろうかということが突きつけられている。
自然への畏怖を忘れることなく、文明を築き上げてきた日本人。
その伝統を逸脱して突き進むようになったのは、それほど昔のことではありません。
何が私たちをそうさせたのでしょうか?
科学の本質
文明によって自ら墓穴を掘ってしまうジレンマ
梅棹はその根本的原因を考えた
注目したのが、現代文明を進歩させる原動力となっている科学の本質。
人間にとって、科学とはなにか
これは わたしはやったり「業(ごう)」だと
おもっております
人間はのろわれた存在で
科学も人間の「業」みたいな
ものだから やるなといっても
やらないわけにはゆかない
いま 現存する科学知識を
全部消滅させることができても
人間はまた おなじことを
やりはじめます
真実をあきらかにし
論理的にかんがえ
知識を蓄積するというのは
人間の業なんです
「未来社会と生きがい」(梅棹忠夫)より
科学は人間の「業」である
後輩・松原正毅氏(国立民族学博物館)
原子力という問題がまさしくそうです。
もともとは物理学者の知的好奇心の中で探究され発見された。
ある種の自然界の論理性というものを、それをひたすら追求していくなかで、原子力が出てきて、マイナスの側面というものを生み出している。
その危うさを梅棹先生は考えていた。
梅棹の死後資料の整理をした
小長谷有紀氏
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人間=知的生命体 で人間の最強の特徴
人類こそが知的生命体の最大のものであり、それが限りなく欲望があってガンガン必要・不必要もなくやってしまうので、キャパを超えてしまう。
環境に対する人間の所業というのが、環境よりもキャパを超えてしまう。
その最大の原因が人類が知的生命体だからということ。
その知的生命体のところを梅棹先生は一番評価している部分。
腹の足しよりも心の足しのほうが人間として生きる最大の喜びがある。
頭がしびれること、心がしびれること、というのを最大の生きがいにしてるのに、それが原因で人類が滅びる可能性は高いと。
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人間が科学という「業」を持つがゆえに、文明は暗黒へ向かうと予見した梅棹
梅棹がそれに気づいたのは、世界の民族を文明の視点で調査してきた独特の研究のなかからだった。
梅棹の信念=フィールドワーク
自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の頭で考える。これが学問を探求していくときに一番大事なこと。
あなたが何を見て、何を考えたのかを表現すべきだ。
比較文明学を確立する
1960年代後半になると、世界各地で公害などによる環境破壊が深刻化し始めていた。
迫りくる危機を地球規模で研究するため、日本未来学会を設立する。
科学の本質である知的探究心が、どの民族にも共通する普遍的なものであるという認識を深めていった。
知能というものは
ばく進する性質がある
科学というものはそれによって
支えられている
これは業や
こんなものは本当に性欲に
非常によく似ているところがある。
コントロールできひん
できるやつは 一握りの聖人君子だけで
普通の人間は 科学というものは
コントロールできひん
それは
「お前ら子供作るな」
というのと同じで
それはできひん
知的探究心がこうであるために制御することは不可能である。
梅棹はこの事実があることが、未来が暗黒にならざるを得ない根本的な原因だと考えるに至った。
生前、梅棹は人類に危機をもたらす「業」を制御する方法を模索していた。
業ですから
自分で業であることを自覚して
コントロールすることを
しらなければいけないと
おもうんです
人間の もののかんがえかたとして
いままでと ちがうかんがえかたを
しなければならない
「未来社会と生きがい」(梅棹忠夫)より
たとえ困難でも業をコントロールしない限り、危機の回避はできないと梅棹は考えた。
理性対英(知)
暗黒を抜け出す光明としての英知
理性と英知は宗教学者の山折哲雄氏にとっても重要なキーワードだった。
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理性と英知をキリスト教と仏教の世界観の違いからとらえている。
二つの物語
旧約聖書の一番最初、創世記の冒頭に出てくる「ノアの方舟」
地球上に大洪水がきて、ほとんどの人類が滅んでしまう。
ノア一族だけが舟で助かる
これは「生き残りの物語」であり、その背後には「犠牲の物語」がある。
多くの人間が死んでるわけです。
神によって懲らしめられる、というかたちで犠牲になる。
ユダヤ・キリスト教文明、あるいはアングロサクソン文明の根底を貫いている根本的な考え方は、この物語から発生していると思っている。
全部生き残り戦略です。政治理論にしても経済理論にしても進化論もそうだし選民思想もそうです。
それから持続可能の開発なんていう考え方もそうだし、それが、やはり我々日本人にも染み込んできた。
日本の近代化が成功した背景には、西洋型の生き残り戦略を、十分に咀嚼し受け入れて積極的に実践してきた。
ところが、もう一つ大きな物語がある。
法華経のひ喩品(ひゆぼん)という、いろんな比喩物語を持ち出してきて世界について、人間について、未来について、うたっている、というチャプターですが、
その中にでてくる一番よく知られている人気のある物語がある。
「三車火宅の物語」
今、大きな屋敷を持っている長者がいる。
ところが長者が屋敷を見ていると全体が燃え始めた。
屋敷の中にはたくさんの子供たちが遊んでいる。
長者は「今おまえたちが住んでいる屋敷は燃えてるからすぐに出なさい」という。
しかし、全然ことばの意味がわからなくて遊び続けている。
そこで長者は門のところに三つの車を置いた。
これは金銀財宝で飾られたもの
子供たちだから、美しい車に惹かれて見に行くわけです。
それで全員屋敷から出て、全員助けることができた。
助けるときには全員助けるという考え方の基本に仏教がある。
こういう点ではノアの方舟における犠牲の要因がそれほどつよく含まれてない。
この二つのものがたりが、だいたい紀元前の頃には出来上がっていたもの。
この物語が今度の災害に直面して浮かび上がってきた。
日本人の首から上の知的領域では、先ほどの生き残り戦略を受け入れていますけど、首から下、身体感覚では、仏教的な無常観とか三車火宅の考え方、これが染み透ってます。
だからそれは理性ではなくて英知だと思う。
ものを作り出していくのは梅棹さんがいうには知的好奇心だと。
その知的好奇心の中には無常感覚というのが忍び込む余地はない。それは僕もわかる
これだけの被害、破壊を潜り抜けていくためには日本人が何千年となく置かれてきた、いわゆる二重構造、外のものを積極的に受け入れて、中国文明だって西洋文明だって受け入れてきたわけですから。
しかし、我々の、日本列島に育まれた感覚というものはずっと残していきたい。
これは、これからの我々の戦略を組み立てていく中での重要な要素ではないかと、可能性だと思っています。
地球の資源には限りがある。
モノを作って、それを循環のリズムに乗せることが非常にむずかしくなっている。
核燃料の後始末といっても、これはどうしようもない。循環の構造があまりうまくいってない。
とすれば今までの生き残り戦略ではやっていけないということ。
そこをどうするかというと、自然に対して攻撃的に振る舞うのではなく、いつも自然に対しては受容的な気持ちで接する。
そこから危機的な状況に対応する冷静沈着な態度が出てくる。
そういうライフスタイルの中から、未来の文明というのは再定義されて構築され始めるのかなと。
その時に先ほどの仏教の物語、これが意味をもってくるのではないか。
生き残り戦略では、欲望のコントロールというところにまでなかなかいかないんですね。
しかも犠牲になる人間と生き残る人間に選別する・・・
希望はある。
光が射すとすれば、三車火宅の物語の彼方から射してくるのではないだろうかと思っている。
人類の未来
梅棹がいう光明を私たちは見出すことはできるのか
梅棹は一部のエリート専門家ではなく、一般の市民の力に希望を託す文章を残している。
当時、専門家だけが扱ってきたカメラが市民の中に普及してきた。
専門家だけが扱う高邁なものとして扱われてきた思想をカメラのように市民も気軽に扱おうと呼びかけた。
思想はつかうべきものである
思想は西洋かぶれのプロの思想家の
独占物ではないのであって
アマチュアたる土民のだれかれの
自由な使用にゆだねるべきである
プロにはまかせておけない
アマチュア思想道を
確立するべきである
「アマチュア思想家宣言」(梅棹忠夫)より
市民の力こそ、文明の暗黒に差し込む光明となりうる。
小長谷有紀氏
文明というのは制度と装置ですが、制度と装置がいったんできたら、それらが合わなくなってもなかなか壊れない。
またそこに綻び、亀裂ができてるとわかっていても、壊すのは難しいので、どうしても綻びのまま使い続けることになる。
皆が気が付いているのに抜け出せなくなっている。
歴史は
だれか他人がつくるものではなくて
わたしたち自身がつくるものだ
わたしたち自身が
いまやっていることだ
すなわち歴史である
梅棹忠夫
参照:
■NHK・ETV特集番組HPより
暗黒のかなたの光明 〜文明学者 梅棹忠夫がみた未来〜
(ETV特集2011年6月5日(日) 夜10時30分)
≪大阪に国立民族学博物館を創設、日本の民族学研究の礎を築き、比較文明学者として数々の業績をなした梅棹忠夫(うめさお ただお)が、昨年7月、90歳で亡くなった。梅棹は、大阪と生地京都を根拠地とし、世界中で学術探検を重ね、その知見をもとに戦後の日本社会に大きな影響を与えつづけた「知の巨人」だった。
20歳からはじまった探検調査は60か国以上。著作は生涯で240冊に及ぶ。斬新な文明論を展開した『文明の生態史観』(1957)、情報産業を文明史に位置づけた『情報産業論』(1963)、ベストセラーとなった『知的生産の技術』(1969)など、その先見性に満ちた著作は、今も多くの人々に読み継がれ、新たな発想の源となっている。
今春開催の「ウメサオタダオ展」(3/10-6/14国立民族学博物館)に向けて、梅棹の遺した資料が全面的に調査・整理された。その過程で、遺稿や映像、写真などの未公開資料も見つかり、その発想と活動の全貌を知ることができるようになった。
また今回新たに発見されたのが、未刊行におわり、幻の書ともいわれる「人類の未来」の資料だ。そこには、半世紀近く前に、地球規模のエコロジーの視点から、人類の行く末について数々の予言がなされていた。そしてその先に人類にとっての「暗黒のかなたの光明」を模索する梅棹の姿があった。
東日本大震災で、私たちの文明世界の価値観がゆらいでいるいま、番組では、梅棹忠夫と交流があった作家・博物学者の荒俣宏さんとともに、独自の文明論をもとにさまざまな予言をなした梅棹忠夫の未完の書「人類の未来」をめぐり、宗教学者の山折哲雄さんや他の識者との対話もまじえて、梅棹忠夫から投げかけられている問いかけを考える。≫
■ウィキペディア:梅棹忠夫
≪日本における文化人類学のパイオニアであり、梅棹文明学とも称されるユニークな文明論を展開し、多方面に多くの影響を与えている人物。京大では今西錦司門下の一人。生態学が出発点であったが、動物社会学を経て民族学(文化人類学)、比較文明論に研究の中心を移す。
代表作『文明の生態史観』の他、数理生態学の先駆者(オタマジャクシの群れ形成の数理)でもあり、湯川秀樹門下の寺本英が展開した。さらに、宗教のウィルス説をとなえ、思想・概念の伝播、精神形成を論じた[1]。その後も、宗教ウイルス説を展開し、後継研究もあり一定の影響を及ぼす[2]。宗教ウイルス説は、文明要素(技術・思想・制度)が選択により遷移していくと言う遷移理論を柱にする文明の生態史観の一例であり、基礎のひとつである。≫
■「思想つかい」の思想(『加藤秀俊データベース』より)
≪梅棹さんの著作のなかで、わたしがいちばん衝撃をうけ、いまなお深く感銘して忘れることができないのは雑誌「思想の科学」に寄稿された「アマチュア思想家宣言」(一九五四)であった。いま全文を読み直してみてもまことに新鮮で、梅棹さんのその後半世紀以上にわたる活動のすべてはこの「宣言」にはじまり、その実践であったようにわたしにはみえる。
原稿用紙になおしてわずか二五枚ほどのこの「宣言」を要約することはむずかしい。それほどに内容はきわめて深淵で、「思想」というものの本質についての鋭い洞察にみちている。行論には一字、一行たりともムダはなく、文章は明快でわかりやすい。すべて口語文である。
このエッセイの冒頭で梅棹さんは専門の「思想書」をカメラの難解なマニュアルにたとえ、それがいかに悪文で読むにたえないものであるかを論じたうえで「カメラの本をよんでわからなくても、写真はとれます。・・・われわれの生活もまたそういうもので、思想の本をよんでちょっともわからなくても、生きてゆくのにさしつかえはない」と断定なさった。
職業的思想家は「思想を論ずる」のが商売である。そこでは一貫性やら体系やらが必要だろうが、それにたいしてアマチュアにとっての「思想」は「つかう」ものである。「思想」をあくまで「つかう」立場でかんがえれば、思考や行動は自由で柔軟なものになる。なにも特定の「思想」に忠義立てするにはおよばない。しょせん「プロ的体系主義」と「思想つかい」のアマチュアとはちがうのである。アマチュアは既成のあれこれの体系のなかから都合のいいところをとりだして組み合わせてつかえばよい。「ばらばらにしたら意味をうしなうのは体系のほうなんで、要素のほうは組みかえたらちゃんとつかえる」のであって、べつだんプロの真似をするにはおよばない。
思想――「かんがえかた」――というものは「既製品でけっこう間にあう」。それは「ナイフや包丁のたぐいとおなじで、つかいなれたのをたくさん用意しておくとよい。料理すべき材料がでたとき、すかさずちゃっと切れたらよろしい。泉州あたりの大量生産品であっても、いっこうにさしつかえない」と論理はきわめて明快。よんでいて胸がすっきりする。
梅棹さんの文化論、文明論、そして言語論、そして折にふれての雑感にいたるまで、どれをとってみてもこの立場、つまり「つかい手」の立場から展開しているのが特徴だ。いや、特徴だ、というよりもこの一点こそが梅棹さんの「思想」の中核なのである。
それにくわえて、梅棹さんはその「思想つかい」の主体としてのみずからを「日本の土民」として明確になさった。プロの思想家が西洋からの借り物の「思想」で商売していることに疑問をもちながらこんなふうにいう。
「わたしたちは西洋人ではない。日本の土民である。日本の国土のうえに、日本の文化のなかに、日本の生活をいとなんできたところの、日本の土民である。土民には土民の生活があります。これは文句なしにまもらなければならない」
これまたわかりやすい議論である。「忍術つかい」ならぬ「思想つかい」としての「土民」、それが梅棹さんの健全かつ明晰な精神の基礎なのであった。「梅棹学」に「体系」はない。「アマチュア思想家」なのだから、それはあたりまえ。じつにさわやかな人物の壮大な人生だった。
追記 「アマチュア思想家宣言」は中央公論社版の著作集第12巻に収録されている。わたしの梅棹さんとの半世紀におよぶ交友録の一部は左記のデータベースのなかの「我が師我が友」の第五章「社会人類学研究班」でくわしくのべた。
http://homepage3.nifty.com/katodb/(加藤秀俊データベース)≫
(以下、略)
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