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菅首相への不信任案に係る政争辺りから、政争を繰り広げる各勢力の実体が、私にはさっぱり分からなくなりました。
政党の綱領の枠組みなど、とっくに越えて、合従しようとしたり連衡しようとしたり衝突したり裏切ったりしているように見える各勢力は、何を利益として行動しているのか、各々の政争上の位置を把握出来ないし、そもそも、誰と誰、何と何が「各勢力」となっているのかも見ていると混乱してきています。
縦軸や横軸に「原発推進/反対」を置くのか、「官僚制改革推進賛成/反対」を置くのか、その他、核武装の方向性なのか、中央集権/地方分権なのか、財布の置き場所なのか、等々混乱してさっぱり分からないのです。
分かっているのは政争を繰り広げているのは国内勢力だということくらいです。
(各勢力のうち、どれかは国外勢力だと指摘する向きもあるでしょうが、こうした指摘は或る国内勢力が国外勢力の代理人的な活動をしているのを表現しています)
つまり、分かっているのは各勢力に共通しているのは、日本の政治風土に規定されているということだけです。
上記のような混乱を整理するのに、急がば回れで、下記を引用し、日本の政治風土では何を以て政治勢力は成され政治抗争は成されるのか、そして何を以て政治をしようとすると日本の政治風土では反発を受けるのかのヒントにしたく投稿します。
斎川眞著「天皇がわかれば日本がわかる」(ちくま新書)のP219〜P222「拡大部族制から混合政体へ」のキャプション部分を引用します。
個人的には、近代的な政治理念での集合、離散の政治を志向すると、部族的な利益の話し合いシステムから反発を受け、その例が小沢一郎氏の理念への志向と、氏への反発ではないかと思っています。
この「部族」が「原発族」なのか「財務族」なのか何族かの定義が明らかになれば、上記各勢力の実体を知る一助になるかと思います。
=引用開始=
日本は、部族制をベースとする混合政体(ミックスト・ポリティ、mixed polity)の国柄である。ここが、決定的に重要な事実である。これが、日本を理解する鍵である。
発端は、倭の五王の時代である。これは、倭の五王以後の歴史が、確実に辿れるからこう言っているので、邪馬台国の時代も同じ部族制である。
第一部で述べたとおり、大和族(ヤマト・トライブ、Yamato tribe)は、倭の五王たちを代々の長(Chief, Head, 王Kingのことである)としていた。部族制(トライバル・システム、tribal system, tribalism)である。
この部族が、内戦を勝ち抜いて、倭国を平定した。つまり、倭国の国内覇権を握った。その平定過程において、大和族は、もともと従えていた部族のほかに、新たに服属させた周辺の部族を支配の政治秩序のなかに組み込んでいった。
倭国を平定した大和族を、私たちは大和王権と呼んでいる。この政権は、大和族という部族を支配システムの中核にした拡大部族制(エクステンデッド・トライバル・システム、extended tribal system)をとっていた。
服属した部族が、大和族の政治支配に組み込まれて、国内統治に当たった。つまり、大和王権というのは、他の部族を下位の機構、サブ・システム(subsystem)として組み込んで(これが王の臣下・官僚である)、政治支配を行うわけである。
組み込まれた部族が、さらに他の部族を組み込んでいることがある。つまり、ある部族の下に他の部族がいて、さらにその下にも他の部族がいてということで、最終的に部族の数は多くなる。
外から見れば、一つの部族に見えるけれども、中がそれぞれの部族に細分化さているわけである。ここが重要である。
支配のトップにいるのが、大和族の王、すなわち天皇である。
中国から律令体制を導入して、この拡大部族制はどうなったかというと、日本は、拡大部族制をベースにした律令制との混合体制になった。
律令体制の導入などと聞くと、日本が、すっかりそうなったように思ってしまう人がかなり多い。中華帝国型の日本(シノアイズド・ジャパン, Sinoized Japan)ということで、そう思ってしまうのも無理はない。
Sinoize(シノアイズ)とは、中華帝国の影響によって政治体制を作り上げることをいう( to form a political system by Chinese empire’s influence)からである。
しかし、じつは、見かけとちがって、この中華帝国型の日本(シノアイズド・ジャパン, Sinoized Japan)というのは、拡大部族制をベースにした律令制との混合政体(ミックスト・ポリティ、mixed polity)なのである。
倭国の王は、「王」の称号を捨てて、日本の「天皇」になった。王の家来は、律令官僚に転身した。この混合体制が幕末まで続いた。
律令体制では、制度上は、天皇に権力があることになっている。しかし、歴史を振り返れば、すぐにわかるとおり、日本においては、サブ・システムの部族の圧力が、絶えず上方にかかって、制度上の権力の所在と、実際の、つまり現実の権力の所在が、分裂した。簡単に言うと、実権をサブ・システムの部族がもつのである。サブ・システムもさらに下部にサブ・システムをもっている。
武家政治というのも、天皇の臣下である武家という部族の長、すなわち将軍が、実権を握るようになったことをいうのである。
政治中枢の部族に所属していないと、権力を振るえないのである。政治抗争とは、部族と部族が争うわけである。
=引用終了=
(再記)引用元:斎川眞著「天皇がわかれば日本がわかる」(ちくま新書)1999年10月20日発行のP219〜P222「拡大部族制から混合政体へ」キャプション部分
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