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「uedom.com掲示板」から「原発事故、なかったものとして生きていくしかない、放射能を浴びながら 2011年 6月 8日(水)11時17分10秒」を転載投稿します。
=転載開始=
こんにちは、皆さん、植田です。
日本国民への情報公開のことはどうでもよいが、IAEAにはちゃんとした情報を報告しなくてはならない、という日本政府とは何か?
とまあ、いつもながらの、もうどうでもいい問題ですが、事態の進行ぶりだけは確認しておきたいと思います。
小出氏のトーンから明るさが消えました。
それだけ事態の進行に落ち込んでしまったのでしょう。
福島県全域がすでに避難地区に入っている、と。
しかし、日本政府は何も起きていないことにしている、と。
http://hiroakikoide.wordpress.com/
このサイトに掲載されている昨日の小出氏の「たね蒔き」インタビューと、岩上安身氏のインタビューが現在の状況をよく伝えてくれます。
日本・神風放射能列島。
私たちはもうすでに等しく被曝をしている、と。
で、こういう事態になっても、問題は、日本社会はなぜ無責任体制となるのか、ですが、早い話、誰も責任を問われないのであれば、必然的に無責任体制になります。
新たに立ち上がった「失敗学」教授をトップにする事故調査委員会ですが、責任を問わない、としています。ひたすら事故の調査をするだけ、と。
私は、「原子力村」を成立させているのは「日本村」だと考えます。
責任を取らない推進者がおり、その人たちの責任を問わない日本人がいる、と。
要するに、それが律令理性人の社会である、と。
無責任体制は、律令理性人社会の必然的帰結である、と。
律令理性人の社会には、どこにも責任を引き受ける当事者がいません。
2011年の菅首相がそうなら、1945年当時の昭和天皇もそうでした。
ましてや東電の誰かが責任主体でもないし、斑目・安全委員長もそうではない、と。
律令理性社会の統治構造の面目躍如です。
福島原発事故でも、日本人の無責任体質が立証されています。
そして、今回のツケは将来に大きな禍根を残します。
しかし、「情報の非対称(大本営発表)」を普通だと見なしている日本人ですから、将来は将来でその時に発生するであろう問題も、何もなかったことにして生きていくことでしょう。
日本人の恐るべき、と言うべきか、素晴らしい知恵です。
今も将来も、原発事故はなかったものとして生きていく、という知恵です。
過去は「安全神話」、これからは、「何もなかった神話」です。
小出氏が、自分のもとに送られてきた福島県の土壌や野菜の放射能を測定して、声を失っています。
それでも故郷を離れられない人たち。
いや、何も起きていないのだ、と。
牛や鶏が飢え死にしても、何も起きていないのだ、と。
そのうち、人間の身体に異変が起きても、何も起きていないのだ。
原発労働者を見よ、と。
何も起きていないではないか。
小出氏の言葉によれば、「政府が認めた時は、すでに遅くなっている」と。
=転載終了=
(参照) 律令とは何か (今も日本の政治が官僚主導になる歴史的背景) (uedam.com)
http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/429.html
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