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小沢一郎の見方<革命論と対比して>
自民党を飛び出して以来、小沢に激しいものを見出し、その後、新党を作りは壊し、また作るという軌跡と共に、小沢に急進的な革命家の姿をダブらせていた。
原理原則に忠実で、これを理解しない仲間を弾き飛ばして進んできた彼の心情に焦点を合わせて支援をしてきた。
民主党が政権を取るまでの小沢の動きは、あのような不遇な環境の中で、いっそう輝いて見えたものである。
その後の小沢の矛先が急速に鈍い光を宿すようになってきたことが、正直、小沢に対する疑念の出発であった。
鳩山内閣以来、余りにも酷い民主党の実情をみて、その修正を小沢に期待した。
小沢にとって自民党政治を終わらせることが、先ず、第一の大事業であったであろうが、私はその先の我が国のシステムの大手術の方に目を移していた。
これに対する評価は、非常に低いものであり、このまま続けていてもマニュフェストに掲げたことは殆ど成就できないと思われる次第となって行った。
私の苛立ちに反して小沢は殆ど動くことはしなかった。
自民党と言う政党は結構意見の対立の巾が大きな政党だが、事あると復元力が働き政党としての方向性を維持しているといわれてきた。
民主党においても党員の思想の巾も大きいが、鳩山が始めた施策に対して、自民党のように執行部の独走にクレームをつける自然な復元力が機能していなかった(意思決定のシステムが未熟であった)。
そうした中で、小沢一人で無言の復元力を保っていた存在と言えるのではないかと思うようになってきた。
内閣不信任案可決における小沢の行動も、この観点から言えば復元力としての機能は果たしたことになる。
この様な意味では、小沢は日本全体の復元力となっているのかも知れない。
現在の小沢は、自らが描いたマニュフェストにそった方向から政治が逸脱しないかぎり全てを容認し見守る姿勢であると思う。
小沢自身の問題もあり、思うようには行かなかったのであろう、もしくは、それ故に表に立つ手段をあきらめたのであろうか。
それでも多くの国民は小沢が直接指揮を取ることを望んできた。
我々は小沢に英雄を見出そうとしていたのであるが、思えば明治維新で英雄といわれた人間も、情報が氾濫する今の世では、世論の波の中で色あせて、英雄と言われる事業の成就もままならなかったであろう。
各自の主張を重視する民主主義の世の中で、無条件で皆を引っ張れる英雄の出現が至難であることを思うと、小沢に英雄たれと思う方が無責任であったかも知れない。
いずれにしても小沢が直接指揮を取らない改革は、遅々として進ます、出来たとしても10年の歳月を要するであろう。
やらないよりはマシの改革でもやらねばならないが、それならば民主党だけがやりえると決め付ける必要も無いのである。
小沢を復元力としてより活用できない民主党員のテイタラクに猛省を促すと共に、小沢を英雄足らしめない世論、すなわち我々の無関心、信念の欠如を非難する。
小沢には今一度、立ち上がってくれることを期待する。
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