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「小沢・鳩山抜き大連立」もまた陰謀・謀略政治である。成功するはずがないし、長続きするはずがない。 - (文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』)
菅直人の「偽装退陣」工作と言う前代未聞のダーティな陰謀・謀略による「騙しの政治」が、世界中が見守る中で公然と行われたわけだが、さすがに多くの国民の顰蹙をかい、菅直人続投どころか、むしろ逆に「菅直人早期退陣」が確実になった今、またまたその謀略工作の中心人物を軸に「小沢・鳩山抜き大連立」の陰謀謀略の裏工作が進行しつつあるらしいが、むろん、そういう「横取り」政治が成功するはずはなく、もし万一成功したにしろ、菅直人内閣と同様に長続きはしないし、国民の手によって引き摺り下ろされることだろう。つまり、この話が、菅直人とともに政治責任をとつて幹事長を辞めると言っている岡田克也を中心に進んでいることからも分かるように、菅直人、岡田克也、枝野幸男等、要するに謀略工作一派による次の陰謀・謀略であることは明らかである。ところで、この「小沢・鳩山抜き大連立」工作の自民党側の仕掛け人が石原伸晃幹事長らしいが、僕は、この石原の貧相で、不吉・陰湿な顔を見ると、ますますやりきれなくなるわけだが、そして「やはり政治家は顔だよ」と言いたくなる。文藝評論家の小林秀雄は、「批評家になるにはどうすればいいか?」という批評家志望の青年(佐古純一郎)の問いに対して、「批評家は、まず顔だよ」「お前さんは、まだ顔が出来ていないね」と言ったそうであるが、僕は小林秀雄が冗談でこんなことを言ったとは思わない。「意は似せ易く、姿は似せ難し」という本居宣長の言葉を引用して、批評の本質論を展開する小林秀雄としては、ここに小林秀雄的批評の本質があることは言うまでもない。「顔」は「姿」の重要な一部である。そういえば、最近の政治家にも、文学者にも、まともな顔をした人がいない。政治家はむろんのことだが、森鴎外や夏目漱石を持ち出すまでもなく、文学者たちも、かつては立派な顔をしていた。志賀直哉、埴谷雄高、三島由紀夫、吉本隆明・・・。やはり、裏切りや騙しという陰謀や謀略に手を染める人間は、そういう陰湿な、暗い顔をしているものだ。むろん、裏切者が栄えたためしはない。「週刊読書人」に島田雅彦と奥泉光の対談があり、そこに二人の写真が載っているが、また「すばる」七月号にも奥泉光の顔が大きく出ているが、正直のところ、お前らは、関西の「売れない漫才師」かと言いたくなる。文学が沈滞していると言われるが、これらの顔を見ていると当然だろうと思う。同じことが、政治の世界にも言えるのではないか。顔が出来ていないということは人間修行が出来ていないということである。僕は、昨夜、夜更けに何気なくテレビをつけたところ、伊集院静が出ているので、もともとは大嫌いな作家で、一冊も読んだこともないのだが、そんなに嫌いなはずなのに、思わず画面に見入ってしまったのだが、それは、伊集院静の顔が「大人」の、堂々たる、文字通り立派な顔をしていたからだ。武豊や松井というようなその世界のトップが、伊集院を尊敬しているらしいが、彼らの気持ちがよくわかる気がする。島田雅彦等は、残念ながら、伊集院に負けている。
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