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2011-06-05(07:35)
田中良紹(THE JOURNAL2011年6月3日)http://p.tl/dnn2
菅政権の最期 ―描かれていたシナリオ
内閣不信任案が否決されたことで「解散・総選挙」の選択肢は消え、菅総理には自ら退陣するしか道はなくなった。しかも与野党を問わず周囲を敵に回したから末路は哀れなものになる。それが菅政権最期の姿である。
何があっても辞めないと言う最高権力者を辞めさせる事は容易でない。辞めさせるためには国会で内閣不信任案を可決するのが常道だが、総理には「解散権」があり、国会議員全員の首を切って国民に信を問う道が残されている。
しかし大震災からの復旧、復興が急がれている時に「政治空白」は許されない。菅総理の退陣を迫る側には万が一にも「解散・総選挙」をさせない必要があった。そのためまず野党が内閣不信任案を提出し、しかしそれを否決する中で総理が自らの首を絞めるシナリオが描かれた。
まず野党第一党の自民党が内閣不信任案を提出できるかが問題であった。国難とも言うべき時期に政争をすれば国民の反発を買う事は必至だからである。国難は黙っていても政権側に有利になる。ところが菅政権はそれに安住し「お友達」だけで国難を乗り切ろうとした。それが政治の停滞を招いている。
全政治勢力を結集すべき時期にそれをしない姿勢は当然ながら野党の反発を呼ぶ。しかし内閣不信任案を可決するには野党勢力の数が余りにも少なすぎる。与党の中から大量の造反が出ない限り無意味なパフォーマンスで終る。国民から非難されるだけの話になる。
それを現実味のあるものにしたのは、ウォールストリート・ジャーナル紙のインタビューに答えた小沢一郎氏の「倒閣宣言」であった。小沢氏を支持するグループは民主党内最大勢力であるから、それが内閣不信任案に賛成すれば可決される可能性がある。
そこで初めて内閣不信任案が現実の問題として政治の俎上に上った。これに対して菅総理の側は一方で「解散・総選挙をやる」と脅し、他方では菅総理が国会の会期延長に言及して賛成派の切り崩しを図った。それによって否決に回った議員も多く、賛成するのは小沢グループ以外にどれほどいるかが焦点となった。
内閣不信任案が提出された夜、結集した小沢グループの数が絶妙だった。議員本人が71名、代理出席が6名と言われた。その時点では82名の造反があれば不信任案は可決されると言われていたから、あとわずかの数字である。可決されるとも読めるし、されないとも読める。そして菅総理にとっては恐怖を抱かせる数字である。
絶対可決できる数字を集めてしまえば、本当に可決をしなければならなくなる。しかし目的は可決ではなく、菅総理に自発的な退陣を促す事である。従ってそのあたりを配慮した絶妙な数字だと私には思えた。一方、鳩山前総理や原口前総務大臣も不信任案賛成を明言し、5人の副大臣と政務官が辞表を提出したから菅政権は万事休すの状態である。
そこで鳩山前総理が菅総理と会談し自発的退陣を促した。会談は物別れに終ったが菅総理は追い込まれた。不信任案採決当日の朝には国民新党の亀井代表も退陣を促す。再度、鳩山前総理が菅総理と会談して退陣を促し、合意書を取り交わした。この合意書がまた絶妙であった。民主党を壊さない事を真っ先に掲げ、自民党政権に戻さない事を第二に、最後に震災対応として復興基本法案の成立と第二次補正予算案の編成の目途をつけるとなっていた。
不信任案採決直前の民主党代議士会で菅総理はついに「一定の目途がついた時点での退陣」を表明、鳩山前総理は復興基本法案の成立と第二次補正予算案の編成の目途をつけた時に菅総理は退陣すると発言した。しかしこの合意書が表に出れば自民党は断固として菅政権とは手を組めなくなる。参議院で問責決議案を出す可能性が高まる。そうなれば法案は1本も通らなくなる。総理に参議院を「解散」する権限はないから、政権はそこで立ち往生する。
また合意書には「辞任」の文字がない事から、菅総理は鳩山前総理とは異なる解釈をしてさらなる延命を図ろうとした。これに鳩山前総理が「うそつき」と応じた。海水注入問題と同様の「言った」、「言わない」が繰り返され、菅総理の体質が国民の目にさらされる事になった。
菅総理の「退陣表明」を聞いて小沢氏は「撃ち方やめ」を指示し、不信任案は否決され、「解散・総選挙」による「政治空白」は避けられた。今後不信任案が提出される事はないから「解散・総選挙」が行なわれる事はなくなった。しかしこの一連の出来事で菅総理の首は次第に締められていくのである。延命のためにもがけばもがくほどきつく絞まる可能性がある。
この国では「民主主義」をまともに教えていないから、民主政治について国民の多くはとんでもない勘違いをしている。「政局はけしからん」とか「権力闘争ばかりしてなんだ」と言うが、民主主義政治とは国民を守るために権力闘争をする事を言うのである。国民に主権があると言う事は、自分たちの生活を守ってくれないと思ったら、権力者を「ころころ変える」権利があるという事である。
しかしそれが国民に理解されていない以上、常道ではない仕掛けをして、誰が与野党一致の政治体制の構築を阻んでいるのかを、国民の目に見えるようにしていかなければならない。それが今回の不信任案の否決で始まったと私は見ている。
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