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経済のグローバル化は世界の各地に貧困層を生み出し、社会の2極化を進めながら、よりその方向性を強めている。
全ての国民の生命、財産をまもるために存在する国家は、その経済のシステムの中で祖の機能を発揮出来なくなってきている。
グローバル化によって生産システムから弾き出された多くの国民が行き場をなくしてワーキングプア、ホームレス、自殺者となって彷徨している現状を救えるものは何か。
我が国は世界で一番の社会主義国家と言われるほど、共存、共栄のシステムを持った国であった。
その我が国が抱えている問題の中に、官僚組織による国家の私物化、司法の横暴、独走があり、マスメディアの堕落がある。
我が国の改革と言う観点からみて、何が求められているかを検証してみよう。
もちろん司法を含む官僚の問題、マスメディの問題があるが、そのことに目を奪われて、もっと重大な改革の方向性を見失ってはなら無い。
逆から見れば、官僚の国家の私物化と言っても年間10兆円の問題であり、マスメディの堕落と言っても、直接国民の生活を虐げている訳でもない。
その両方がある故に停滞している「国の形」そのものが改革の目標ではなかったのか。
それは弱者、老人を保護するための医療、年金改革を充実させることであるが、そのために立ちはだかる財源の問題が究極の改革の対象であったはずである。
然るに、財源と言っても、一方で弱者を生み出すシステムを放置して置く事は、今後いたずらに弱者の増加を生み、今でも足りない財源の確保が出来ないことは明らかである。
真の改革とは、社会の弱者を生み出している産業構造の改革なくして出来ない相談であるはずである。
民主党が、年金改革、高速道路の無料化、子供手当てと言った国民生活第一と言うマニュフェストで示しているのは目標であり、それを成就させるための財源についての根拠が曖昧であることが常に指摘され、実際、行政改革ではとても応じられないことが明るみになってきている。
消費税を上げることでは、更なる社会の疲弊を生み出し、弱者を増加させるという、自分の手足を食べると言われる蛸の論理に過ぎない。
このような状況のなか、政治家小沢一郎の存在を、改めて検証してみたい。
なるほど、小沢によって55年体性と言う、長年政治的無策を続けてきた我が国の統治の体制は崩された。
それは彼自身が言われている「潰し屋」と言う機能であった。
それは、それで評価しても「新しい国の形」を作ることについては何も手が出せない状態と言える。
小沢が単なる「潰し屋」であったか「改革の志」であったか、見極められる時が来た様に思われる。
最初に鳩山が沖縄基地問題で立ち往生したとき、明確な指針を示すことが出来なかった。
10兆円どころか2〜3兆円を出すに留まった事業仕分けの結果にも異論を挟んではいない。
遅々として進まない年金の一元化、基礎年金への取り組みにも他人任せで知らぬ顔であった。
TPP問題についても、我が国はまだ準備が出来て無いと逃げるのみで、具体的な対応には踏み込んでいない。そのくせ自分は自由経済論者であるとしてTPPは肯定している。
この様な見かたをすれば農家の個別補償のことなども、単なる地元岩手の農民票を集めるだけの方便と思える。
自民党が進めてきた我が国の大規模営農については全く言及していないのも、小沢の農業政策が信頼できる何もない。
こうしたことから、小沢が見ていたものは何であったか想像できる。
小沢が言ってきた事に2大政党制がある。
小選挙区の弊害もアチコチで言われている現在、2大政党制も、欧米と同じように我が国で最も相応しい制度であったかについても考え直さねばならない。
小沢は日本の2大政党制について、現在の形(自民党、民主党)はそれぞれの勢力の中に相反する分子が多く、もう1回組み替えが必要になると語っていた。
であるならば、今回の不信任騒ぎは組み替えの絶好の機会であったはずである。
自分の身を挺して取り組めば、可能であったこの機会を逃したというより、自分で撤退を決めたものは何であったのであろう。
それは、小沢自身が、すでに小沢が思う改革の形が、ほぼ出来上がったと考えているからであろう。
否、これ以上の改革は自分の手に負えないと思っているのであろう。
同じ様に、マニュフェスト実現のための財源確保の問題についても小沢自身、毎年20兆円を生み出す具体的な方策を持ってはいず、若手の活躍に頼っているのみであるのであろう。
だから、時には前原を呼び、原口を持ち上げて煽って見せているだけであろう。
自分自身に自信があるなら、側近の松木議員などを駆使して動いたはずである。
もちろん、最初に掲げた「社会の弱者を生み出している産業構造の改革」などは、現在何処の国でも取り組めていない大きな課題であるが、その方向性、信念があれば少しずつあっても政策に反映できる余地のあるものであり、それが政治である。
10年10年の時間はかかっても、それに踏み出す用意が小沢にあるものと思ってきた。
それが今回のように、鳩山と同じく「民主党第一」の心根を見させられると小沢についても観念を修正せざるを得なくなった。
小沢に見えているものは、政局であり、政治の形であるのである。
その小沢の使命は民主党を政権政党にしたことで、ほぼ終わっているのである。
小沢の信念が、この様であるかぎり、今後政界がどのように行なわれようが役者が同じでは本当に必要な改革はスタートしないということである。
官僚の天下りが半分に減ったり、検察の取調べの可視可が進めば、それで良しとするならば、満足であろうが。
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