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※ 文字数が増え面倒で読みにくくもあるので、以下、敬称を略させていただきます。
まあ、少し小沢擁護論でも書いてみようかという気になり、パソコンに向かっている。
ということで、私自身の価値判断はできるだけ避け、当人たちの置かれている政治的条件と選択可能だった判断をベースに振り返ってみる。
今日もあれこれ報じられているが、昨日の政局騒動の決定的局面は、小沢の「今まで引き出せなかったものを引き出せたのだから、自主判断でいいだろう」の鶴の一声で、さらに進んで、小沢グループが内閣不信任決議案への反対を総意にしたことだと考えている。
民主党オーナーを自負する鳩山は、内閣不信任決議案に賛成と拳を振り上げても同調してくれる同志は2人ほどだから、本気で内閣不信任決議案を可決させたいとき以外はたいして意味のある存在だとは見られない。
内閣不信任決議案を共同提出した政治勢力は、自民党・公明党・たち日とそれに賛成を表明したみんなの党などを加えても159議席ほどの弱小だから、可決のキャスティングボートは、与党内に厳然と存在する小沢派が握っていた。
こう考えると、いよいよ内閣不信任決議案かと世情を騒がせていた6月1日時点で、小沢が、今回の内閣不信任決議案をどのように考えていたのかを推察する必要があるだろう。
小沢は、自民党などの内閣不信任決議案提出を菅支持派=反小沢派にブラフを仕掛ける絶好の機会ととらえていたと思っている。
小沢は、単独グループとしては最大勢力であっても民主党のなかで多数派を形成できず、冤罪とはいえ刑事裁判に立たされる身であり、米国サイドにも信をもたれておらず、今の自分にできることが、それなりの数を頼りに存在感を示しブラフを仕掛けること以外にないとわかっている。
私は昨日午前中に“寸止め”を小沢に呼びかけたが、そんなことは先刻ご承知で、“寸止め”どころかブラフ以上の行動を採る気が小沢にはなかったのである。
このような小沢の考え方は、勢いのなかで“瓢箪から駒”(不信任案可決)という危惧をもちながらも、菅支持派も読んでいたはずである。
“瓢箪から駒”を解消するためには、それなりに小沢のブラフに応えてあげなければならない。
それで出てきた“独楽”が、鳩山・菅合意文書であり、代議士会での“一定のメド”と“若い世代への引き継ぎ”という菅の発言である。
だから、小沢は、甘かったり、騙されたり、知らなかったりで、「今まで引き出せなかったものを引き出せた」と言ったわけではなく、「これで今回のブラフ政局は終わりだよ」と宣言する代わりにそう語っただけの話なのである。
小沢は、なぜ、そのような策しか採れないと判断したのだろうか。
その根拠を列挙すると、
● 内閣不信任決議案可決の可決は菅派の「解散」断行を誘発する。
被災地問題を考えたら解散なんかできないと考えていた人も多いようにも見受けたが、そんな配慮は菅支持派にとって優先度として低いし、小沢派の“反乱”で可決なら総辞職しても先行きが見えないのだから、「解散」に政治的大義名分はある。
解散で総選挙を実施すれば、民主党はぼろ負けで、支持があるわけではないのに現行選挙制度からもっとも有力な受け皿である自民党が第一党になるのだから、そんな愚かな選択をするはずがないという声もあった。
しかし、政策を見比べればすぐにわかるが、菅支持派民主党と谷垣自民党は政策的に親和性が高い政治勢力である。
それゆえ、(小沢派+国民新党+新党日本)的政治勢力が連立であっても政権中枢を担うようになるよりは、自民党に政権の座を譲り渡すほうがいいとさえ考えるのが菅支持派だとも言える。
(それは、鳩山・菅合意文書の2番目の項目が「自民党政権に逆戻りさせないこと」になっている背景でもある。鳩山は、そのような動きはあり得ることもわかっていたと言える)
様々な政治勢力の集まりである民主党菅支持派の接着剤になっている一つが「反小沢感情」である。
民主党を政権交代まで押し上げた原動力は、何より、小泉政権の日本社会破壊政策と人材枯渇による大失態内閣の続出という自民党の失政=“敵失”だが、それに次ぐ力は、小沢の政治というか選挙でみせる手腕である。
口先集団にはドベタの選挙を仕切る能力も気概もないから、小沢がいなければ、09年総選挙もぎりぎり過半数かというレベルの勝利だったと思う。
この功績への評価とは矛盾するのだが、反小沢感情にはそのような選挙手腕に対するものも含まれている。
数こそ力を悪びれずに掲げ、業界団体をこまめに拾い集めていき、一般有権者にも“お裾分け”を訴えるという角栄的政治が嫌いなのである。
彼らを良く言えば、有権者は、経済的利益に惑わされることなく、国家社会のあり方や政治的信条で投票行動を決めるべきという考え方なのである。
(このような点で、菅支持派は、同じく口先及び理念優先のマスコミ連中との親和性が高いのである。大手メディアが枝野を評価するのもこの点からなのである。両者は心根が似たもの同士と言える)
これは、本人たちがどれほど自覚しているのかはともかく、「グローバリズム+市場原理自由主義」と「土着基礎の国際性+国民経済主義」の対立と見ることができる。
(「市場原理自由主義」がたんなるスローガンで、実は金融家と多国籍企業のための目くらましイデオロギーであることは、リーマンショック後の金融救済策やGMなどの社会主義的救済策を知り、今回の東電賠償スキームの考え方を知った後なら自明であろう)
政権獲得の功労者小沢も、“友愛主義”の鳩山と同じく、自民党政権に逆戻りさせないことを何より重視したはずだ。
小沢の功績もある程度は認めざるを得ない民主党内の反小沢派よりも、自民党多数派の“小沢嫌い”は積年の恨みもありより強いものがある。
自民党と小沢は、政治思想や政策も今では水と油ほど違うようになり、自民党と一緒になにか政治行動をとろうとしても常に一触即発の危険性がつきまとう。
合意文書の最初の「民主党を壊さないこと」は、鳩山の愛玩物民主党という気持ちの表れだけではなく、「自民党政権に逆戻りさせないこと」の前提であり同義だとも言える。
「自民党政権に逆戻りさせない」ためには「民主党を壊さないこと」が重要な条件だからである。
小沢も鳩山も、菅支持派の“理念主義”から、勢い余って「解散」という事態になることを非常に恐れたと思っている。
● 自民党や公明党との連携がないなかでは、「解散」ではなく内閣総辞職でも先の展望が見えない。
上述した内容に近い話になるが、今回の内閣不信任政局騒動は、あまりにも無策で行き当たりばったりであったことがこの問題を考えるとよくわかる。
内閣不信任決議案を提出した政治勢力は150議席にも満たず、与党内で拳を振り上げた政治勢力も80議席弱である。
そのような政治情況であっても、自民党と小沢派は水と油だから、暫定内閣を構想する話し合いさえ持てない。
内閣不信任決議案が政局として浮上したときから、まさに、“同床異夢”のまま物事が進んだ。
小沢には、上述したように内閣不信任決議案を可決する気はないから、自民党がひたすら“小沢の暴走”に期待して政局を仕掛けたことになる。
自民党のなかに小沢に声をかけたものもいただろうが、「がんばってくれ。こっちもできる限りのことをする」以上の言質は得られなかっただろう。
自民党が、暫定政権で谷垣総理・小沢副総理をまじめにぶつけていたらどうなったであろうか。
残念ながらそれはありえず、下手をしたら、自民党の分裂まで引き起こしかねないような話だと思う。
そうであるなら、小沢派と自民党が建設的に菅政権のあとを考えるという政治状況はないということになるから、内閣不信任決議案が可決されないのは当然である。
● 不信任案の可決でも否決でも、小沢が賛成票を投じれば「除名」が現実化されかねない。
これは、正直に言って、小沢がどこまで考えていたかわからない。
家は近いが個人的面識はないので、性格はテレビや新聞のフィルターを通した情報や書籍でしか窺い知ることができない。
現実問題として小沢の「除名」が取りざたされているが、結論的には「党員資格停止」に追加の処分はないと考えている。
鳩山は今朝もあれこれ文句を言っていたが、小沢処分問題も、今回の政局騒動にケジメを付けるための“通過儀礼”だと受け止めている。
ただ、政局のなかでは、本人はともかく、グループのひとたちや世間が内閣不信任決議案への賛成を声高に叫び続けるような情況が勢いを生み、引くに引けなくなった小沢も賛成票を投じるようなことになる可能性もなきにあらずで、そうなっていたら、「除名」まで進んでいたと思う。
今さら弱小政党=自由党に戻りたくはない小沢は、何かのチャンスで実権を握る可能性もないではないと考え、民主党にとどまることを選択し、内閣不信任決議案を最初から可決させる気はなかったと考えている。
最後に、小沢が内閣不信任決議案を審議採決する本会議を欠席した理由を考えてみる。
小沢には二つの選択肢があった。
一つは実際の対応だった「欠席」で、残る一つは「棄権」である。
白票(賛成)や青票(反対)を投じるわけにはいかない。
賛成できない理由はあれこれ書いてきたが、反対できない理由は、言うまでもなく、菅政権を信任(支持)していないからである。
代議士としての責務を果たすべく本会議場にいれば、注目も浴びるし、松木さんのような血気盛んなメンバーから賛成への働きかけがないとも限らない。
そんな状況がテレビを通じて全国に流れるのはイヤだと考えたのだろう。
どのみち投票行動はしないのだから、申し訳ないが欠席させてもらうという気持ちだったと思っている。
小沢擁護論にはなっていないとのお叱りの声も聞こえてくるが、小沢さんは、小沢さんなりに置かれた状況のなかで精一杯の政局活動をしたと思っている。
ただ、それは、私やここ阿修羅でも相当多くの人が期待していたものではなかったということだ。
今の日本は、菅政権を引き倒すという千載一遇のチャンスが活かされるような政治状況ではなかったというわけだ。
誰が(どこが)得をして損をしたかという見方もあるが、確実に損をしたのは、言葉とは裏腹に菅政権の延命を目的としていたというのなら別だが、党内に虚脱感を充満させ執行部の無能性をさらしてしまった自民党だろう。
民主党は、軋轢を抱えながらも政権維持という観点では統一が保てるんだということが確認できたことは大きな収穫(得)だったと思う。
菅支持派、小沢派、オーナー鳩山のそれぞれは、痛み分けで損得なしのイーブンだったと思う。
ここはいったん落ち着きを取り戻し(あきらめてという意)、これから如何にして、菅支持派的ないし谷垣自民党的政治勢力から少しは国民多数派の生活と健康・安全を考える政治勢力に権力を引き継がせるようにするかを考えていきたいと思っている。
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