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《第13回後半》陸山会公判傍聴記 ── 水谷建設元会長が語る「裏ガネ渡しの流儀」
The JOURNAL 西岡千史
http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/06/13_2.html
引き続き午後の部。
13時30分開廷。証人である水谷建設元会長の水谷功氏が法廷に入る。水谷元会長は大柄でスキンヘッド、黒に近いスーツにピンク色のネクタイという風貌。それにドスのきいた低い声で関西弁を話すので、見るからに親分の風格が漂っていてる。
★
まずは弁護人による尋問。
(──は弁護人、「」内は水谷元会長、※は筆者注)
── どのようなゼネコンに営業活動をしていたのですか
「だいたい日常の営業活動でどこが(工事の受注に)強いということがわかりますので、そこに営業することになります」
── 水谷建設が受注できる見込みはありましたか
「過去の実績がありましたので、受注をもらえると思っていました」
── スポンサーは誰が決めるのですか
「お客さん(ダムを受注したゼネコンのこと)が決めます」
※「スポンサー」とは、ゼネコンの下請け業者を取りまとめる幹事社のこと。後の証言でも出てくるが、水谷建設は胆沢ダムの工事でスポンサーになりることを目指していて、そのために小沢事務所に営業活動をしていた。
── スポンサーをとることは重要なことなのですか
「我々の中では、サブになることは難しくないです。交渉権のあるスポンサーが金額の設定をしますので、非常に責任感もあります。私ども下請け業界では雲泥の差があります」
── 具体例で言ってもらえますか
「いろいろとありますけど、メリットも多いということです」
── スポンサーになることは仕事にも影響がありますか
「スポンサーになれれば勝ちだし、なれなければ負けです。胆沢ダムでスポンサーになると実績にもなりますし、逆にスポンサーになれないと『水谷建設は力がない』ということになりますね」
■水谷建設の営業活動の実態と裏ガネの手配
※水谷元会長は、胆沢ダムの営業活動では、小沢一郎氏の元秘書である高橋嘉信氏に営業をかけていた。しかし、高橋氏は04年当時はすでに小沢事務所から離れていたため、川村元社長に大久保隆規氏に営業活動をかけるよう指示したという。
── 大久保氏へのあいさつ(営業活動)とは具体的に何をするのですか
「まあ、鹿島建設と水谷建設の間ではスポンサーでの受注の了解ができているので、横槍を入れてほしくないという話ですね」
── 川村元社長はスポンサーをとることが大事だとわかっていましたか
「当然わかっております」
※大久保氏に話題が及んだことで、突然、水谷元会長が被告人席に話しかけはじめる。
「最初に言わないといけませんが、当社のためにご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」
※頭を下げる水谷元会長。突然の謝罪だったので驚いたが、弁護人の質問は淡々と続く。
── 5000万円についてあなたはどう思っていますか
「まあ、大久保さんとそれなりの約束(※スポンサーになる約束のこと)ができたから、そうなんだろうということです」
── 本当にそのお金は大久保氏に渡されていますか
「それはわかりません。私が報告を受けていることと川村君の証言は違いますし、刑務所での検事の取調べの時も『なんだろうな』と思っていました」
── 川村元社長からはこの件について報告を受けていたのですか
「逐一、受けておりました」
── 川村元社長は5000万円を2回渡したと証言していますが
「2回という記憶はないですけど、1億円とは聞いております」
── 04年10月15日に石川氏に渡したとされる5000万円は誰が手配したのですか
「私が手配しました」
■水谷建設の裏ガネ渡しの流儀
※水谷建設は裏ガネ渡しについていくつかのルールを持っていた。そこを弁護士がたずねる。
── あなたはさきほど『スポンサーになることが前提』という話をされましたが、鹿島建設が胆沢ダムの工事を落札できたのは10月8日ですよね。金を渡したのは10月15日で、しかもその後に水谷建設はスポンサーから外れてますよね
「はい」
── あなたは裏ガネを渡すのは『スポンサーになるのが前提』と話しているのに、04年10月15日にはまだスポンサーになることが決まっていないし、その後、スポンサーにもなれていませんね
「川村からの報告で決まったものやと思って、了解しました」
── この段階でスポンサーになれることが決まっていなかったらどうしていましたか
「(裏ガネの)用立てはしません」
── こういうお金は話が成立してから渡すものじゃないのですか
「以前の私の場合は、(裏ガネを渡す)陳情は盆と正月で、それ以外にお願いしたいときは、ちょっと言いづらいけど・・、成功報酬として出していました。自分は親からこういうものなんだという教育を受けてましたので、そうしてました」
── あなたは裏ガネの支出については厳しかったのですか
「社員何百人が稼いできたお金を、価値のない使い方はできません」
── 川村元社長はスポンサーになれなかったとき、水谷建設で労災隠しが発覚したためだという説明をしていませんでしたか
「彼はそういう説明をしないと、(社内が)おさまりませんわな」
── 水谷建設がスポンサーになれなかったとき、あなたは川村元社長にどういう話をしたのですか
「私は川村君に『話が違うやないか』と言ったら、川村君は『名目上は(スポンサーの下請けとなる)サブですが、交渉権は水谷建設にあります』と説明があったんですが、納得がいかなかったので、『大久保さんと合意ができているのならおかしいやないか』と言いました」
── こういう簿外の裏ガネを管理していたのはだれですか
「最終的には管理部長が管理していました」
── 裏ガネの保管場所は
「(桑名市の水谷建設本社の)3階の金庫です」
── 普通の現金の保管場所は
「1階の金庫です」
── 裏ガネの支出を管理するメモはないのですか
「裏ガネは表のカネ以上に厳しく管理していました」
── たとえ裏ガネであっても、もちろんそれは会社にとっては公金ですよね
「はい」
── 管理部長が裏ガネの記録をつけていたのですか
「はい」
── 管理部長は、この法廷で国税が入ったときに処分して、それ以降は帳簿をつけていないと証言していますが
「それはちょっと考えにくいですね。年間でいうと数億というカネが動いていますので、(帳簿は)わかるようにしていました」
※補足。この管理部長は第12回公判で証人として出廷していて、弁護人の『裏ガネの帳簿がありますよね』と繰り返し質問されたが、すべて否定している。
── 脱税事件では裏ガネの帳簿が発見されていないのですが
「・・そんなことも話をしないといけませんか」
── して下さい。お願いします。
「管理部長の責任で動かしました」
── どこに動かしたのですか
「断定はできませんが、(管理部長の)お父さんのところか、社員のところだと思います。金を渡したという証拠がないと渡しは納得できなかったので、(刑務所内で事情聴取を受けたとき)なぜ、中村はそう話すのかなあと検事に話したんです。私が(脱税事件で)逮捕されたときに役員で集まったときも『あれが見つからなくてよかったです』と話していました。その前年にも裏ガネの帳簿が合わなかったときに中村に言ったら『明日、報告します』ということで翌日に本人の勘違いだったとわかったということもありました」
── 政治家に金を渡したことは
「あります」
── そういうときのルールとはどんなものですか
「北海道、東京、九州といろいろありますけど、カネは朝に持って出て、着いた時に渡すことにしていました。当日が無理な場合は、前日に持って行きます。あと、できるだけ第三者に入ってもらうようにしていました」
── 川村元社長は法廷では04年10月15日の午後に大久保の使者である石川に渡したと話しました。川村元社長は、金はその2日前の13日に東京に運んでもらって、しかも見届け人も入れずに渡したということですが
「私とは認識の差がだいぶありますので、これを言うとややこしくなりますので・・」
── というのは
「川村君が出張する前に私に連絡がありまして、出張から帰ってきた翌日に渡すと。それで14日に専務と一緒に渡すよう言ったつもりなんです」
── 川村元社長は一人で渡したと言っていますが、見届け人については
「見届け人は・・いなかったんですかね。ちょっと考えづらいんですけど」
── こういった金を渡す時の配慮は誰が指示したのですか
「川村君にしてみればはじめてのことですので、専務にも行かせたんですけど、そこが不明朗になっています」
── 川村元社長はどのように話していましたか
「私には『大久保さんに渡した』と報告を受けました」
── 川村元社長は石川氏に渡したと話していますが
「もし私であれば、渡した時に約束した人(※大久保氏のこと)に電話して、預かり証をもらっていますし、そもそも一人で行くことはないです」
★
弁護人の尋問は終了。続いて行われた検察官による尋問では、水谷元会長が5000万円を手配した時のことについてたずね、水谷元会長は「管理部長に『お金を◯日までに用意して、◯日の◯時までに東京に持って行きなさいと指示しました」と証言する。最後に、裁判官の尋問。
(──は裁判官、「」内は水谷元会長)
── 胆沢ダムに関しては社運をかけていたということですが
「(胆沢ダムは)日本で数えるほどしかない規模のダム工事で、これまでやってきたダム工事が終わって機械があまりますので、受注したかったということです」
── 高橋嘉信さんの所にお願いに行ったということですが
「(法廷で)余計な名前を出してしまいましたけど・・、私は何度もお願いに行きました」
── それまでは高橋さんと話をしていたのですか
「私はずっと高橋さんがやっているものと思っていましたが、あそこ(※小沢事務所のこと)が違う会社を推薦してきているという話ですので、協力会社の社長に頼んで、大久保さんに話をしに行ったということです」
── 本件で問題となっている5000万円について、専務には話をしたのですか
「お金を持って行って、できるだけ(受け渡し場所に)一緒に行ってこいという話をしたのですが」
── 電話ですか、直接ですか
「電話だと思います」
── そのとき、専務はどこにいたのですか
「静岡だと思います」
── その時に金額の話をしましたか
「言ってないと思います」
── 管理部長にはどのような話をしたのですか
「『社長から聞いていると思うけど、14日に必要だから』と話しました」
── 中村さんに金額は言いましたか
「5000万円と言いました」
★
以上で第13回公判が終了。水谷功元会長は証言台から退いた後、ドアの付近で裁判官、弁護人、検察官、傍聴席に深々と頭を下げ「失礼しました」と礼をして退廷したのが印象的だった。
※一問一答は筆者の傍聴記メモを元に再構成したものです
(《THE JOURNAL》編集部 西岡千史)
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