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株式日記と経済展望
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1号機のベント実施時間を「12時放出開始」へと遅らせて試算し直させて
いた図が存在するのだ。正午とは、首相が視察を終えて官邸に戻った直後だ。
2011年5月31日 火曜日
◆福島原発でベント遅れたのは首相の思いつき視察のせいだった 5月31日 週刊ポスト
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110531-00000003-pseven-pol
東日本大震災発生直後の3月12日15時半過ぎ、東京電力福島第一原子力発電所1号機の建屋で水素爆発が起きた。菅直人首相は、事前に専門家から大丈夫との説明を受けていたため、この事態に激怒した。しかし水素爆発そのものが、自身の初動ミスで起きたものだ。
東電は事故から2か月以上経ってから、1〜3号炉が炉心溶融を起こしていたという分析結果を発表した。菅首相は「聞いてなかった。知っていて嘘をついていたことはない」というが、それこそ真っ赤な嘘である。
震災が発生した3月11日の22時、原子力災害対策本部の事務局は、ERSS(緊急時対策支援システム)を稼働させて福島原発の事故進展予測を行ない、メルトダウンを明確に予測し、その情報は官邸にも報告されていた。
ERSSとは全国の原発の原子炉の圧力、温度などのプラント情報をリアルタイムで把握し、事故が起きればその後の進展を予測して、炉心溶融などに至る時間や放射性物質の放出量をはじき出すシステムだ。
保安院の資料によると、予測は原子炉の冷却水の水位などプラント情報が比較的失われなかった2号機を中心として行なわれた。
2号機は地震発生の11日14時47分に緊急停止し、20時30分に原子炉への注水機能が喪失。そして22時のERSS予測にはこう記されていた。
〈22:50 炉心露出
23:50 燃料被覆管破損
24:50 燃料溶融
27:20 原子炉格納容器設計最高圧到達。原子炉格納容器ベントにより放射性物質の放出〉
燃料溶融も、原子炉格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出するベントをしなければ格納容器が設計最高圧を超えて危険な状態になることも官邸に伝えられていたのである。原子力災害対策本部事務局は、この2号機の予測をもとに、1号機と3号機の事故進展予測も行なっていた。
これだけ重要で正確な情報があったのだから、その日のうちに避難地域を拡大させなければならなかったことはいうまでもない。
それ以上に罪が重いのは、このERSS予測が、その後も公表されなかった理由だ。それがあれば住民の被曝は最小限にとどめられたはずなのだ。
この予測が隠されたのは、ベントが遅れた理由が、菅氏の“思いつき視察”だったことを明白に示すからではなかったか。
緊急停止した原子炉のうち、真っ先に非常用電源が止まって危機に陥ったのは1号機だった。そこで原子力災害対策本部は、ERSS予測通りに12日の「3時半」に1号機のベントを実施する計画を立てた。
それを物語る資料がある。同日未明の1時12分、同対策本部は気象情報をもとに放射性物質の拡散予測を行なう文科省のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)に、「3時半放出開始」という条件で、1号機のベントによる放射能拡散を予測させた。
この時の試算図では、風は海に向かい、内陸部に放射性物質は拡散しないという結果を弾き出した。すなわち、被害を最小限に抑えるタイミングであることを示していた。
それを妨害したのが「視察に行く」と言い出した菅首相だった。
当時、首相官邸のオペレーションルームには警察、防衛、国交など各省庁から集められた課長補佐クラスが詰め、首相の原発視察の調整を行なっていた。そこに原子力災害対策本部の事務局からSPEEDI試算図がファックス送信された。
「オペレーションルームでコピーは回覧された。ベントを予定通りに行なえば、総理を被曝させることになる。行かなければ、絶好のタイミングでベントできる。視察を中止すべきだという慎重論も出たが、結局、総理の意向が優先された」(内閣官房の事務スタッフ)
ここから官邸はベント延期に動き出した。
菅首相の原発視察(12日7〜8時)は、3時過ぎから開かれた枝野氏の記者会見で発表された。それと同時に、ベントの予定時間が変更された。
証拠がある。枝野会見後の3時53分、原子力災害対策本部事務局はSPEEDIを運用する文科省に、1号機のベント実施時間を「12時(正午)放出開始」へと遅らせて試算し直させていた図が存在するのだ。正午とは、首相が視察を終えて官邸に戻った直後だ。この延期は首相を被曝させないためだとしか合理的に説明できない。
だからこそ、枝野官房長官はSPEEDIの1時12分に作成された「3時30分からベントした場合の試算図」が官邸に送られていたことが発覚すると、「私も総理も見ていない」(5月20日の記者会見)と言い張って責任逃れしようと躍起になったのだろう。
(私のコメント)
福島原発の災害の復旧の見通しは、いまだに立っていませんが、震災後、バッテリーが持っている5,6時間までに注水とベントの用意がされていなければならなかった。しかしそのような事は全停電を想定した訓練と用意が出来ていなければ無利だっただろう。当時は電源の復旧に全力が注がれていて、発電機車を現場に運び込むことに精一杯であった。
しかし発電機車は災害後の交通混雑で当日に現場に届いたのは1台だったという。しかも変電室が水没したために電源は繋げなかった。同時並行的にポンプ車による注水用意が行われていなければなりませんが、当日の現場は地震と津波による破壊で、足場も十分ではなく、そこまでの用意は難しかっただろう。つまり万が一の用意がなされていなかったから、万が一の事故が起きたのだ。
週刊ポストの記事にもあるように午後10時には炉心が破損し始めていて、「メルトダウンを明確に予測し、その情報は官邸にも報告されていた。」とされているが、『菅首相は「聞いてなかった。知っていて嘘をついていたことはない」というが、それこそ真っ赤な嘘である。』という記事の真実はどうなのだろうか?
問題なのは、官邸と現場との間に東京電力と原子力安全保安院があって、情報が直に上がっていなかった事が考えられる。その為に合同の対策本部室があるのですが、その為の災害訓練を去年の10月に行なっていたのですが、菅総理はその事をまったく忘れていた。東日本一帯が停電のためにテレビ会議も出来る状況ではなかった。
東日本一帯を襲った大規模地震で停電することは当然想定されるべきことですが、阪神大震災の時も神戸一帯の情報がなかなか東京に入ってこなかった。電話も無線も停電で使えなくなっていたからだ。だからテレビ局のヘリが刻々と現地の状況を伝えているのに、政府の動きが鈍く、当時の村山総理は翌日まで淡々と予定通りの日程をこなしていた。
官邸は一番情報の中心になければならないのに、情報が途中で遮断されて届かない。今回は専門家による助言もいろいろと問題があったようだ。斑目委員長の「水素爆発はない」という助言も間違いだったし、海水の注入で「再臨界の可能性はゼロではない」という発言も不適切だったものだ。政府の原子力安全保安院も真っ先に現場から逃げ出して、ますます現場の状況は把握できなくなってしまった。
最近になって東京電力はメルトダウンを認めましたが、状況認識の遅れが災害の拡大に繋がってしまう。政府や官邸も同じようなものであり、大本営発表を思わせるような楽観的な予測を流し続けた。テレビでは電源が復旧すれば冷却システムが働いて原子炉は安定状態になるはずだった。しかし実際は地震と津波で配管などが破壊して冷却システムは稼動できなかった。
政府や官邸は現場のバックアップにとどめるべきであり、現場に駆けつけてハッパをかけることは現場を混乱させるだけであり、菅総理はしてはならないことをしたのは確かだ。大災害が起きて全体の状況が把握できていないのに、最高指揮官が指令所を数時間も離れたのでは手遅れになるような事態もあったのではないだろうか?
菅総理は政治的パフォーマンスのために、カメラマンを引き連れて現場視察に出かけた。しかしそのような事は災害担当大臣がすべきことであり、災害は24時間以内の初動の遅れが致命傷になることがある。水素爆発も約一日後に起きてしまいましたが、それが東北から関東にかけての放射能汚染に繋がっている。
海水の注入も水素爆発が起きてからの事であり、東京電力は水素爆発が起きるまでは早期に復旧できると見ていたのだろう。だから海水注入をためらった。東京電力は、会長は中国に視察旅行に行っており、社長は大阪に出張していた。経営幹部の不在が決断の遅れにつながったのでしょうが、東京電力の危機管理の甘さは社長も会長も本社を不在にしていたことでも分かる。
民主党政権も、政権運営に不慣れで緊急時の対応がまずいのは経験が無いからだ。菅総理のパフォーマンスも周囲がしっかりしていないからですが、菅総理の性格上の問題でもあるのだろう。周囲を怒鳴り散らすようでは人が集まらなくなり総理は孤立する。菅総理はこれといった腹心もおらず、首相になれたのも反小沢で党が纏まっただけだ。
私から見れば鳩山首相のほうがまだましだったと思いますが、菅総理では党が纏まらない。有望な若手も政権から排除されて人材を育てる力量もないようだ。大臣も年功による序列が優先されて、知らない名前の大臣が多い。野党経験ばかりが長くて大臣になったとたんに威張り散らして仕事が出来ない。まともにやったのは長妻厚生大臣くらいであり、ポスト菅の有力な前原大臣は逃げ出してしまった。
問題なのは有力なポスト菅がいないことであり、小沢一郎も力が落ちて造反議員を50人も集められない。結局は小沢一郎も金がなければただの人であり、本当に総理になりたければ菅総理を引き摺り下ろすくらいの力量がないと総理は務まらない。若手もみんな纏まることもできず解散を恐れている。民主党政権も総すくみ状態のまま菅政権だけが続いていくのだろう。
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