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菅直人に関して素朴に雪斎が抱いている疑問がある。
「彼は政治家として誰に憧れ、誰に倣おうとしたのか。」
この視点は大事である。
というのも、「人間は、なりたいと思った自分にしかなれない」からである。
正確にいえば、「人間は、誰でもなりたいと思う自分に必ずなれるわけではないけれども、それでも、なろうとしなければなれない」のである。
鳩山由紀夫ならば鳩山一郎だろうとは、容易に推測できる。
麻生太郎ならば吉田茂、安倍晋三ならば岸信介であろうという推測は、平凡の極みである。
小泉純一郎ならば、祖父・叉二郎が仕えた浜口雄幸であったかもしれない。
金解禁という一つの政策の実現に賭けた浜口と郵政民営化に執念を燃やした小泉とは、確かに似ている。
二世、三世議員であることは、このように「近付くべき目標」が身近にある点では、決して悪くない。
それならば、菅直人の場合は、誰なのか。
「奇兵隊内閣」を標榜するくらいだから、幕末維新の長州藩士の誰かなのであろう。
維新前に落命した高杉晋作や久坂玄瑞なのか。
彼らは、「既存の体制」を壊した人物であって、「新たな体制」を樹立し、維持した人物ではない。
維新後に位階人臣を極めた伊藤博文や山形有朋なのか。
彼らは、「維新の三傑」の事業を受け継いだ人物である。
それとも、この範疇の中には、いないのか。
こうしたところが見えてこない。
「憧れ倣おうとした政治家」像が判らないところは、菅直人の政治家としての本質であろう。
ということで、政治家に会ったら、尋ねてみれば興味深い。
「貴方は、政治家として誰に憧れ、誰に倣おうとしているのか」。
政治指導者にも三つのタイプがある。そのタイプの誰に憧れを寄せているかは、政治家の「人品月旦」の材料になる。
「既存の体制」を壊しただけの「革命家」タイプの人物を挙げるような政治家は、雪斎の価値基準からすれば、論外である。ソ連では、レーニンを含めて革命初期の指導層が、このタイプである。彼らは、多くの場合、「正しいこと」の実現に執念を燃やす。彼らは、旧体制との「利害の調整」を初めから拒否しているから、その政治手法は、まことに粗いものになる。彼らが「権力」を握れば、旧体制の残滓を徹底してつぶしにかかる。「根回し」や「すり合わせ」などという面倒なことは、当然ことながらやらない。邪魔をする輩は、「革命の敵」として根こそぎ、処断すれば済むことである。
「既存の体制」が壊れた後の混乱の中から新しい体制を樹立した「創業者」タイプの人物を挙げた政治家は、次善である。フランス革命後のナポレオン・ボナパルトが、このタイプかもしれないし、ソ連史の中では、ヨシフ・スターリンが該当しよう。日本でいえば、頼朝、家康、大久保利通は、このタイプに属する。このタイプは、「花より団子」というわけで、徹底した「オーガナイザー」として振る舞う。体制を構築するというのは、「理念をあまり語らない」ことである。
「既存の体制」が危機に陥ったときにそれを建て直した「中興の祖」タイプの人物を挙げるような政治家ならば、最善である。ソ連では、こうしたタイプの指導者は結局、登場しなかった。ミハイル・ゴルバチョフは、それを目指したかもしれないけれども、上手くいかなかったのである。雪斎が思い入れを寄せる政治指導者というのは、大概、この「中興の祖」タイプである。具体的には、シャルル・ド・ゴールであり吉田茂である。吉田は、戦後に、「明治という国家」を再生させようとした点では、完全な「中興の祖」タイプである。少なくとも、吉田は、敗戦を機に日本が全く別の国家になったなどという議論は、信じていなかったはずである。ド・ゴールも、第四共和制に引導を渡して第五共和制を樹立したけれども、彼は、「フランスの栄光」の復活を目指したのであって、全く新しい国家を創成しようとしたわけでない。「守文は創業よりも難し」とは、云い得て妙で、様々な「しがらみ」の中で泳ぎ切っていかなければならない点では、「創業者」タイプよりも、難儀であろう。
もっとも、日本では、ヒーローというのは、大概、「革命家」タイプである。頼朝よりも義経、尊氏よりも正成、家康よりも信長、大久保よりも西郷である。坂本龍馬というのも同じ趣きである。要するに、「現状を変えてくれる」という何時の時代にもある期待に寄り添うのが、このタイプである。しかも、こういう「革命家」タイプというのは、「畳の上で死ななかった」事例が多いという意味では、「悲劇的な存在」である。だから、彼らは、ドラマに取り上げられるし、人気も高いのである。
それに比べれば、「創業者」や「中興の祖」の何と評判の悪いことよ。こういうタイプは、「汚い政治」の世界にどっぷり使っている印象がある。「熱き理想」などを口にしないから、冷酷な印象すらある。
菅直人は、多分に、「革命家」に憧れたのであろう。だが、多くの「革命家」と同様、「権力」を掌握した後は、その維持が自己目的と化している。そこにあるのは、もはや、「政治」ではない。
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