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仙石副長官、顰め面で菅降ろしに苦言。「被災者の目線で」と思わせ振りに世論誘導を図ろうと。その被災者ですが「全然オッケー」です。早急に内閣不信任を決議してください。問題ありません。菅総理の「したこと」「しなかったこと」箇条書きにしてみれば早期退陣(というより『ようやく退陣』)は当たり前です。
@ 3月12日未明の形だけの福島第一原発視察、やって欲しくなかった。このときだけは菅直人得意のパフォーマンスやって欲しくなかった。このときベントしていれば後々のレベル7の原発大事故にはつながらなかった、と悔やまれる。
A 原発住民に重大な事実を知らせなかったこと。3月12日午後3時36分1号機が水素爆発したあとの午後5時45分、枝野官房長官「なんらかの爆発的事象があった」とだけ発表、それ以上の説明はいっさいなかった。「避難指示区域」も原発から半径10キロまでとした。その約3時間後避難指示範囲を「半径20キロ」に拡大。拡大した理由については明言を避け「総合判断」とした。同じ頃菅首相は「冷静な行動を」ともったいぶったコメントをし住民の不安を掻き立てた。
内閣とは一体何のためにあるのだ?!国民に大事な情報を伝えず危険に晒すためにあるのか。もちろん言いすぎだとはわかっているが、結果的にそれが現実になってしまった。後に東電が「1号機では18時間後にメルトダウンが起こっていた」と真実を告白したが、ワンクッションを置かれてしまったためにコトの重大さも薄まってしまった。被災者住民は炉心溶融が始まった3月12日午前6時から3月12日午前9時までの間、自分や自分の家族がどこでどう過ごしていたか、思い起こしてみる必要がある。80日にも及ぶ避難と逃亡の生活でめっきり衰えた(忘れっぽくなった)記憶力を振り絞って。
我が家の場合、外でウロウロしていた。12日は早朝から「屋内退避してください」と町役場のアナウンスが空に響いていたが、「放射能」のホの字も言わないから、地震でぐじゃぐじゃになった、余震で揺れ続ける室内に閉じこもっていなければならない理由など思いもつかなかった。(それだけ『原発安全神話に洗脳されていたためだろう』)
近所はどうなった?津波で流された駅は?と崩れた石塀・亀裂の入った道路に驚きながらお互いの安否を確認しに行った。
7時ごろパトカーがサイレンを鳴らして町中を走り回った。「直ちに逃げてください」と。その後に続いた車にぎっしり詰まった一段の人々の重装備。防護服に防護マスク。町の住民はようやく察した。「原発に何か重大なことが起こった」と。しかし直ちに逃げろ!と言われてそのまま走って逃げるわけに行かない。開いている商店でカップラーメン・飲料水・電池などを急いで買い求め、毛布を積んで出発した。「ひょっとしたら必要になるかも」と二階に重要書類を取りに駆け上がったが5強の余震が家全体を揺らし始め、断念して駆け下りた。そのときは二度と帰れなくなる、などとは夢にも思わなかった。2〜3日したらあるいは今日のうちに戻れるだろう、くらいに考えていた。恐ろしい平和ボケ、危機意識のなさ・・・と言うべきか。
「即逃げろ!」と警官に叫ばれて取るものとりあえず車を走らせてきた住民たちだったが、「長逗留になりそうだな」と察して引き返したつわものもだいぶいた。私の親戚もその一人だ。東電下請けの作業員の経験もあるため、「除洗さえすれば放射能は恐るべきものにあらず」と理解(?)していた。その日のうちに家に立ち返って印鑑・重要書類やらを持ち帰ったそうだ。14日にももう一度戻ったとか。(実は我が家もさらに遠くの避難所から荷物を取りに原発から8キロ地点の我が家まで2回ほど立ち返った。4月の初旬と下旬に)そういう人は数多くいる。
地域住民が町内にとどまっている間に(12日早朝)炉心溶融は始まっていただなんて!燃料棒がすべて解け落ちるメルトダウンが進行中だったなんて!!現在でも政府は「水素爆発」だなどと言っているが、本当はあの時ヨウ素・セシウム以外のもっと恐ろしい放射性物質が一緒に飛び散ったのではないのか?
町の指示通りに「屋内退避」していた人々は町から逃げるのが遅れた。西方にある川内村の避難所まで長い長い車の列ができた。その間彼らは窓を開けて前後の知り合いと情報交換したり、車が止まっている間に自販機に走っていって清涼飲料水やお茶を買い求めた。
「3時間後にはメルトダウンが始まる」と予測した原子力保安委員の人もいたらしい。そういう声は何故抹殺されたのか。海水注水を極力避けようとした保安院と東電本部。「廃炉」を躊躇ううちに状況はどんどん悪化して行った。
今になって政府・内閣は「事実を報告しなかった」と東電に責任を丸投げしようとしている。別な局面では「パニックを避けるためだった」と弁明しているから、「知らなかった」わけではないだろう。11日の夜から「知らされた」人々またはその家族は町から迅速に退出している。東電社員、町幹部・・・。およびその周辺の真実を漏れ聞くことができた人々。それ以外の人々は何も知らされず12日の朝6時7時まで余震に震えながら「屋内退避」指示に従って室内に閉じこもっていた。
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もうひとつ、今の内閣には「ようやく退陣」してもらいたい理由がある。
後手後手の対応策と裏目裏目の重なる不運で日本政府は事故収束をアメリカに丸投げしてしまった感がある。「トモダチ作戦」など命名に配慮して。東電本店に米軍司令部が置かれたとか。アメリカに泣きついてしまった日本はこの先どんな難題を吹きかけられ、煮え湯を飲まされることか。
3月25日の産経新聞の「正論」を読み返している。ヴァンダービルト大学日米研究協力センターのジェームズ・E・アワー氏は論文の中で早くも日本に三大要求を突きつけている。
@ 日本はさらに安全な原子炉をもっと建設するという決意を表明すべきだ。
A TPPを批准せよ。
B 2006年に日米合意した普天間飛行場の名護市辺野古屁の移設をはじめとする沖縄の米軍再編計画を実施せよ。
3つの要求を菅内閣は了承したのか。原発収束への協力と引き換えに?
もしそうなら、現政権のままでは日本の将来にとって非常にまずいのは子供でもわかる。
やはり日本は指導者の顔ぶれを新たにして軌道修正を図るべきでないのか。
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