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「ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報」の5月27日「帰りなん、いざ 今一度 東北へ 小沢一郎氏に与う」から下記(写真は上記URLで)記述部分を転載投稿します。
投稿者は転載元記述者同様に小沢一郎氏の支持者です。
=転載開始=
アルルの男・ヒロシです。
26日に開催されたサミットで菅直人首相は、今年後半の訪米をオバマ大統領から要請された。来年には原子力に関する国際会議を日本国内で開催すると宣言。国内では前原誠司前外相が「内閣不信任はありえない」と明言、岡田幹事長らと発言を揃えた。
24日には、渡部恒三と小沢一郎の合同誕生会があったが、この仕切り役を務めていたのが前原誠司と山岡賢次。小沢グループが主導していたと言われる「菅内閣倒閣運動」はこれで終わった。倒閣を煽っていた鳩山由紀夫もこれに同調している。
最近の前原誠司の動きがおかしかった。もともと合同誕生会は稲盛和夫の提案だというが、稲盛もCSISのデイヴィッド・アブシャイアと交友がある。前原の立場では、献金問題で失った信頼を取り戻したかったのだろう。アメリカもウィキリークスにも出ないような秘密文書で前原の「人となり」を調べつくしているだろうし、その弱点も調べ上げているはずだ。
だから、20日前後に訪米した前原の要件は普天間問題の「日米合意案へのロビイング」という外務省の意向を実現すると同時に、アメリカの目の上のたんこぶである小沢一郎をいかに封じ込めるかというプランを示しに行く狙いがあったのだろう。前原は献金問題で弱みを握られてアメリカの完全コントロール下に入ったと私は見る。それから、前原が裁判官訴追委員会の委員長になったり、民主党憲法調査会の委員長になったりしている人事も重要だ。
最高裁の裁判官は重要な判決をコントロールする側にあり、それを訴追する権限を握る訴追委員会は裁判官をコントロールする側に立つ。ここまでは政治主導なのだが、その政治家である前原がアメリカにコントロールされているとなると、話は違う。合理的選択論の用語で言えば、プリンシパル(ご主人)である米に対する、エージェントが前原、裁判官という話となるのだからエージェントはなかなか抵抗出来ない。
小沢一郎本人が積極的に倒閣を主導していたのかどうかは分からないが、西岡武夫参議院議長の菅批判を見る限り、小沢系の間でそういう動きがあったのは確かなようだ。小沢氏がなかなか総理大臣になれないのは、彼自身の政策云々というよりは、「運と天が彼に味方しなかった」ということだと思う。彼は去年の代表選の時、神頼みを繰り返していた。あの時、「え、あの合理主義の小沢でもこういうことをやるのか」と驚いたものである。合理主義者の表層の下にはやはりアジア人の小沢一郎が居たとも思った。
いずれにせよ。オバマ大統領とヒラリー・クリントン国務長官と会談して「ご満悦」の菅首相の顔を見ると、これは来年まで首相を続けるのではないかとも思えてきた。一時、不仲が指摘された仙谷由人らとの関係も修復。仙谷は次の総理には前原誠司か野田佳彦を用意している。
そこで小沢一郎である。私は小沢一郎はもっと東日本大震災で被災した被災地の現実をその目で見るべきだと思う。彼自身、被災県の議員であり、盟友の黄川田徹議員などは家族を失っており、秘書であった大久保氏なども被災者であることは報じられている。
私は小沢氏に不足しているのは、311後の日本を肌で感じる現場感覚であると思う。選挙の時に繰り返した全国遊説を今回、彼は被災地でやっていない。復興支援に何が必要かを知っているのは霞が関の役人ではなく、現場である。日産のカルロス・ゴーンは「ストロング・ゲンバ」といわき市の工場を訪問した際に唱えた。ゴーン社長のひそみに小沢氏も習うべきだ。
小沢氏は震災前に繰り返し「日本改造計画」の続編の上梓を計画した、と述べている。しかし、今だ出版されていない。小沢氏本人が何か足りないと気づいているのであろう。私は、その足りないものは、現場感覚であると思う。
小沢氏はイギリス議会制度を研究した政治理論家だ。悪く言えばインテリなのである。政治家はそれではだめだ。そこが「コンピューター付きブルドーザー」の田中角栄とは違うところだ。角栄のそういう下世話なところは鈴木宗男氏に引き継がれ、小沢はコンピュータの部分を引き継いだ。角栄の遺伝子を全部引き継いだ人間は残念ながら居ないのだ。
しかし、それでも小沢氏が今から故郷である水沢に戻り、地元の声を集め、漁村の再生と復興には何が必要かとか、他の東北の青森、宮城、福島とどのように連携すべきかということを理解していくことは十分に意味がある。
その体験をもとに「日本再生計画」を書籍としてまとめることが必要だろう。「日本改造計画」の主体である政治家主導の政治、官僚政治の打破という理念は今も間違っていないし、地方分権が必要なことも今回の震災対応における霞が関の緩慢な動きを見れば明らかだ。そういう個別の体験を小沢氏が実体験し、その解決策を本の中で書くことで、彼の掲げる理念が一層に輝きを増すのではないか。
だから、私はかつての江藤淳氏のエッセイを引きながら、あえていう。
「小沢氏よ、帰りなん いざ 東北へ」
できれば、政府の復興支援ポストが彼に与えられればそれが最高である。
<江藤淳氏のエッセイ全文の転載開始>
【月に一度】江藤淳 帰りなん、いざ 小沢一郎君に与う
1997年03月03日 産経新聞 東京朝刊 1面
新進党は、去る二月二十六日午後に開かれた両院議員懇談会で、七時間に及ぶ激論の末に、「小沢一郎党首の下で、党再建に向けて出発する」ことを確認したという。
新聞でそのことを知ったとき、私は一面でホッとすると同時に、反面ある名状しがたい悲哀の念を覚えざるを得なかった。いや、両院議員懇談会の当日、テレビに映る小沢党首の憮然とした表情を眺めていたときから、私の胸中にはいたましさがつのった。
★ 新進党は、いや日本の政界は、構想力雲のごときこの優れた政治家を、寄ってたかって潰してしまおうとしているのだろうか。それは嫉妬からか、反感なのか、はたまた“剛腕”を謳われた小沢一郎自身の、不徳のいたす所というほかないのか。
そこで、この際、私は小沢一郎君に一言したい。最大野党の党首であるこの大政治家に向かって、敢えて君呼ばわりするのは、私が小沢君より十歳の年長であり、たまたま同学の先輩として面識があるからである。更にまたそれは、福沢諭吉以来の慶應義塾の伝統に即してもいるからである。
★ 小沢君よ、その時期については君に一任したい。しかし、今こそ君は新進党党首のみならず衆議院の議席をも辞し、飄然として故郷水沢に帰るべきではないのか。そして、故山に帰った暁には、しばらく閑雲野鶴を友として、深く国事に思いを潜め、内外の情勢を観望し、病いを養いつつ他日を期すべきではないか。
「君に問う 何ぞよく爾(しか)るやと/心遠ければ地も自ずから偏(へん)なり/菊を采(と)る 東籬(とうり)の下(もと)/悠然として南山を見る」と詠じた陶淵明は、実は単なる老荘の徒ではなく、逃避主義者でもなかった。「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし/鳥尽くれば良弓は廃(す)てらる」という悲憤を抱き、「日月(じつげつ) 人を擲(す)てて去り/志あるも騁(の)ばすを獲(え)ず」という烈々たる想いを、少しも隠そうとはしていないからである。
どんな良い弓でも、鳥がいなくなれば捨てられてしまう。信念の実現は、現実の社会ではなかなか思い通りにはならない。とはいうものの、小沢君、故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢へ帰ったらどうだというのである。
★ 過去五年間の日本の政治は、小沢対反小沢の呪縛のなかを、行きつ戻りつして来たといっても過言ではない。小沢一郎が永田町を去れば、この不毛な構図はたちどころに解消するのである。野中広務・亀井静香両氏のごとき、反小沢の急先鋒は、振り上げた拳の行きどころを失うのである。
★ 小沢一郎が永田町を去れば、永田町は反小沢の天下になるのだろうか? かならずしもそうとはいえない。そのときむしろ、無数の小・小沢が出現する可能性が開けると見るべきである。なぜなら、反小沢を唱えさえすれば能事(のうじ)足れりとして来た徒輩が、今度は一人ひとり自分の構想を語らざるを得なくなるからである。
沖縄は、防衛・外交は、財政再建は、憲法改正は? 小沢にはとてもついて行けないといって烏合の衆を成していた連中が、自分の頭で考え、自分の言葉で語りはじめれば、永田町は確実に変わる。変わらないかも知れないけれども、小沢一郎が新進党の党首を辞め、議員バッジもはずしてサッサと故郷に帰ってしまえば、新進党はもとより自・社・さも民主党も、皆一様に茫然自失せざるを得ない。
その茫然自失のなかで、人々は悟るに違いない。過去五年間日本の政界を閉ざしていた暗雲の只中に、ポカリと一点の青空が現れたことを。党首の地位にも議席にも恋々とせず、信念を枉(ま)げず、理想を固く守って故山へ戻る政治家の心情の潔さを。小沢君、君は何もいう必要がない。ただ君の行動によって、その清々しさを示せばよい。
★ 大西郷以来、そういう出処進退を示し得た政治家が何人いただろうか。洋の東西を問わず、クリントンもエリツィンもメージャーも、江沢民や金泳三も、一人の例外もなく「続投」に汲々としているだけではないか。
陶淵明は、また詠じている。「幽蘭(ゆうらん) 前庭に生じ/薫りを含んで清風を待つ/清風 脱然(だつぜん)として至らば/蕭艾(しょうがい)の中より別たれん」。蘭がひっそりと花開き、薫りを含んで風を待っている。風がさっとひと吹きすれば、蘭と雑草の違いはすぐわかるのだ。
★ 水沢へ戻った君を、小沢君、郷党は粗略に扱うはずがない。いや、郷党はおろか国民が君をほっておかない。構想力と実行力を兼備し、信念を枉げずに理想に生きる政治家を、心ある国民はいつも求めている。遠からず内外の政客の水沢詣でがはじまり、やがて門前市をなすという盛況を呈するに違いない。
吉田茂以来、それだけの実力のある政治家が何人いたか。勝海舟はいっている。「みンな、敵がいゝ。みンな、敵になったから、これなら出来ます」(『海舟余波』)
小沢君、君は「みンな」を敵にまわすことによって、君の理想をくっきりと浮かび上がらせればよい。君はまだ五十四歳の若さである。
★ 水沢で想を練り、思索を深めつつ改稿した『日本改造計画』第二版をひっさげて、捲土重来、国民の與望をになって議政壇上に復帰する日が、そう遠いものとも思われない。
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小沢氏と和解 渡部氏「弔辞をお願いしたい」
民主党の小沢一郎元代表(69)と渡部恒三最高顧問(79)が24日、誕生日を迎え、合同誕生日会が国会近くの憲政記念館で開かれた。
69年の初当選以来、開いてきたが、小沢氏の西松建設巨額献金事件などをめぐって関係が冷え込み、08年を最後に中断。3年ぶりの会に渡部氏は「きょうからまた目を合わせ口をきくことができる」と和解宣言。「もうこんな年になったので、私に何かあったら弔辞は小沢さんにお願いしたい」などと笑いを誘った。小沢氏も「この数年、彼は私の悪態をつき、私はシカトしてきた。これからは話し合いながらわれわれの使命を果たしていきたい」と握手した。
当初は「反菅」勢力の決起集会になるとの見方もあったため、菅直人首相は穏やかではいられない。党の重鎮と実力者が連携する可能性もあり、執行部側も首相に近い議員を送り込んだ。会の呼び掛け人となった前原誠司前外相が、首相から電話で「お祝い申しあげてほしい」と福島県飯舘村の酒を預かったと明かすと、小沢氏は「(首相が)何をおもんぱかったか知らないが、ご厚意は受け止めさせていただきたい」と述べた。議員約160人が集まり、乾杯の音頭は鳩山由紀夫前首相。出席者の多さに気を良くしたのか、小沢氏が地元岩手県の民謡を披露する一幕もあった。
[ スポーツニッポン 2011年5月25日 06:00 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/05/25/kiji/K20110525000887610.html
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不信任可決なら解散=前原氏
民主党の前原誠司前外相は26日夜、都内のホテルで開いた自らを支持するグループの会合であいさつし、野党が提出する内閣不信任案に同調する動きが党内にあることについて、「あってはならない。不信任案が可決されたら解散総選挙になる、そういう意識を持つべきだ」とけん制した。
また、菅直人首相が自然エネルギーによる発電比率を2020年代のできるだけ早い時期に20%に高める方針を表明したことに関し、「原発をやめると原油が高騰し、中東の民主化や各国のエネルギー政策にも影響を与える。福島第1原発事故を受け日本の原発政策は特に注目されており、そういうことも意識し検証しながら判断すべきだ」と述べた。
会合には枝野幸男官房長官、仙谷由人官房副長官ら約30人が出席した。(時事 2011/05/26-23:34)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011052601056
=転載終了=
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