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福島第一原発の1号機に東電が最初に行った海水の注入について、昨日のオリーブの声にも書かれたように、政府と東電との間に信じがたい話の齟齬がある。21日の毎日夕刊は、3月12日午後6時ごろから始まった首相官邸での会議で、菅首相が「海水注入で再臨界の可能性はないか」と質問。斑目原子力安全委員長が危険性を認めたため、同6時半ごろ、東電側に「海水注入はちょっと待て」と伝えたと報じた。
しかし、斑目委員長は21日夜、「再臨界の危険があるからやめた方がいいという発言は絶対していないと思います」と全面否定した。翌22日フジテレビに出演した細野首相補佐官は、斑目発言について、「記憶があるが、確認する必要がある」と言ったが、「海水注入の事実そのものを官邸としては全く把握をしていなかった。総理も海江田大臣も水を止めるということについては指示をしていない」と述べたのだ。
そして、毎日新聞の取材に対し斑目委員長は、「ゼロでないという発言をしたという記憶がよみがえった。この発言に事務官が過剰に反応していた」と答えたと、23日毎日朝刊は報じている。ことは炉心溶融が懸念されていた原子炉への海水注入という重要事項である。「記憶がよみがえった」とか云うほど軽い問題ではないはずだ。ましてや「事務官が過剰に反応していた」と責任転嫁して済むことではない。
処で、3月13日の海水注入直後には、海水注入に躊躇する東電に対し、菅首相が強引に海水注入を命じた、と云うような話があったと記憶する。海水注入は廃炉を意味する。だから、自己中で躊躇する東電に対し政府が命令する。分り易い構造である。それは全くの「嘘」であった。これと全く同じ構造がベントについても語られた。ベントを命じる政府に対し、躊躇する東電。こう云う印象を与える報道が流れた。
事故発生後2ヶ月以上経ち、1号炉のメルトダウンが明らかになった時点で、東電側からこのような話が出てきたのは何故か。その理由や東電の思惑については、いま少し様子を見てみたい。だが、今回明らかになったことは、政府官邸と原子力安全・保安院そして東電(本店と原発)との間の意思疎通が不完全であったと云うことだ。そして、菅首相の生半可な知見からのパフォーマンスが事故を拡大したと云うことだ。
誰が考えても「ベント」や「海水注入」の是非を技術的に判断する知見を、菅首相が有していると思えない。首相にできることは「政治的判断」だけだ。つまり、ベントの実施による放射性物質の放出と、放射能汚染地域住民に対する「政治的責任」を取るということであり、海水注入をしない場合に生じる炉心爆発の危険性と、注入した場合に生じる再臨界の危険性を天秤に掛け、その判断の結果責任である。
23日の衆院予算委員会では、菅首相の原発視察がベントを遅らせた疑いがあり、3月11日夜から12日の首相視察までの間にあった事実を明らかにせよと自民党が迫った。この追及に対し、菅首相から確たる回答は無かった。だが、菅首相は、原子力対策本部長として、原発事故の責任は私にあると答弁した。では、具体的にどのような形の責任を取るのだろう。残念ながらその答えは無かった。
処で最近、「急流で馬を乗り換えるな」という声がある。菅首相の辞任を求める声に対する反論の根拠である。ではその「馬」が瀕死の重傷を負っていても、重い病に罹っていても乗り換えないのだろうか。急流を乗り切る力のある馬であれば、乗り換える必要はない。だが、今回の「海水注入」問題を見るに、馬には急流を乗り切る力があるとは思えないのだ。この馬には統率力が無いし、責任感がないと見えるのだ。
より具体的に云うなら、「炉心溶融」「炉心爆発」の観点から海水注入の判断をできる原子力安全委員は、原子炉メーカー出身の委員しかいない。ホウ酸の投入もアメリカの勧告に従ったと聞くが、これからしても斑目委員長の無責任・無能は菅首相とあい通じる処があるようだ。二人ともお早く責任をとり、辞任されることを勧めたい。
http://www.olive-x.com/news_30/newsdisp.php?n=109333
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