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かに問題先送りは、日本の御家芸のように見えるが、不動産バブル崩壊、国債上限問題やソブリンリスクを見ているとblack swanを見ないようにするのは欧米でも似たようなものだ
福島みずほ症候群
首相の「要請」で浜岡原発が停止されてから、各地で原発停止の住民運動が広がっている。それは当然だろう。地震確率0.0%の福島第一原発で事故が起こったのだから、地震のリスクを基準にすれば日本のすべての原発が危険だ。
この問題で一貫して明快な主張をしているのは、社民党の福島みずほ党首である。彼女は以前から浜岡の停止を求めており、今度はさらに進んで「命を大事にするために、すべての原発を即刻止めるべきだ」と主張している。その通りである。もっと一貫して、命を大事にするために、すべての自動車と飛行機の禁止を求めてはどうだろうか。
彼女に代表される「絶対安全」を求めるヒステリーは、日本社会の病である。これは彼女が派遣労働の禁止を求めていることと無関係ではない。どちらも目先の不快な現象をなくすことだけを求め、その結果を気にしない。原発を止めることによる「安心」のメリットはわかりやすいが、それによって電気代の値上げや成長率の低下が起こるのは先のことなので、因果関係がよくわからない。夏になって電力が足りなくなったら、また「政府の失策だ」とか何とか攻撃すればいいのだ。
このように短期的なメリットがわかりやすく長期的なコストがわかりにくいとき、前者だけを追求して後者は他人(あるいは政府)に負担させるモラルハザードは、福島氏に固有ではない。北尾吉孝氏も指摘するように、東電のような地域独占企業が"too big to fail"を当てにして原発事故のようなtail riskを取るのは、このような非対称的な利得構造のゲームでは合理的なのだ。
自民党政権も、バラマキ公共事業という目先の利益を求めて、財政破綻というtail riskを取ってきた。民主党では、それがバラマキ福祉になっただけだ。つまり福島みずほ的モラルハザードは、日本の政治家に(そして国民に)深く根ざしたもので、万年野党の場合はリスクをまったく負わないので非対称性が明確に出るが、与党はわかりにくいtail riskとしてごまかすだけの違いなのだ。
この無責任体質は、日本社会のムラ的な構造に根ざしているのかもしれない。人々のリスクを共同体で吸収することは、農村では当然のシステムだ。天候不順で作物ができないことはよくあるので、「自己責任」にすると運の悪い人は餓死してしまう。頼母子講のような長期的関係で相互扶助するしくみは、グラミン銀行のように途上国では広く見られる。
こういう相互扶助システムは、母体が農村のような「小さな社会」ならグラミン銀行のようにモニタリングがきくが、1億人以上の「大きな社会」では因果関係が遠くなるので、際限なく問題を先送りする結果になる。そのtail riskが爆発すればわかるだろう――というのは楽観的で、福島事故に見られるように、そのときは因果関係がわからないので、別のヒステリーが起こってしまう。
みずほ銀行の事故も、経営陣が古いバッチ処理システムを延命して問題を先送りしたことが原因だという。システム更新のコストは大きいが、それによる収益の改善が見えにくいため、システムダウンというtail riskを取ったわけだ。これが「福島みずほ」症候群である
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