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『与謝野馨経済財政担当相は20日の記者会見で、福島第1原発事故について「神様の仕業としか説明できない」と述べた。その上で「神様の仕業とは自然現象だ。人間の予想や知恵をはるかに超える津波が起きたのは自然現象であり、あたかも原子力事業者が事故の発生原因まで責任を負わなければいけないという言動があるのはおかしなことだ」と指摘し、過剰な東京電力批判に疑問を呈した』産経新聞
世の中には「不可抗力」という現象もあることは承知している。どんなに気を付けていてもついついしでかしてしまうミスのことだ。人間のやることだから「不可抗力」もあるさ、というのなら原発立地の際に、地元住民にそのこともきっちりと説明しておかなければならなかった。
「時には人間のやることだから原発がメルトダウンして放射能をばら撒き、あなた方が現在の土地に数十年は棲めなくなることもあり得るよ」と説明するのが与謝野氏のような発言する者の立場だ。しかし東電も御用学者も評論家もテレビで原発推進を宣伝するタレントも、そうしたことは一度として発言していない。
曰く、原発は安全だ。曰く、原発は発電時にCO2を排出しない環境に優しい発電方式だ。曰く、最も発電コストの安い方式だ。等々……。それが今になって「原発にも不可抗力はある。想定を超えた自然災害だから仕方ない、」と言うのは明らかに詐欺の手口だ。
原発に想定外の事態が存在するのなら、日本はすべての原発を直ちに廃炉にしなければならない。それがPL法に基づく適正な対処方法ではないだろうか。原発に想定外があってはならないのは論を俟たない。あらゆる叡智を結集して想定外をとことん潰さなければならなかった。
それを耳触りの良い「御用学者」を研究費を餌に育成して電力会社は耳に痛い諫言を遠ざけた。遠ざけたのみならず反電力会社の学者に対して、徹底的に学界から排除した。その良い例が京大六人衆だ。そこまでして原発を推進した責任は誰にあるのか。福島第一原発事故の責任を問う訴訟が起こされるのは火を見るよりも明らかだ。そこで徹底して審理を尽くさなければならない。勿論、大手マスコミの原発賛美の記事も弾劾の対象になるだろう。これまで原発で好い目を見てきた連中は首を洗って待つことだ。
与謝野氏は国会議員というよりも官僚や東電の擁護者という立場になったようだ。いやもそもそも初めから彼は財務省の代弁者だった。経済原理に立つならば、東電は民間企業の論理で破綻すべきだ。破綻すれば送電は送電会社として引き受けの民間会社が買い取れば良い。発電所もそれぞれを民間の企業が買い取って発電事業を行えば良い。
そうして東電を解体すれば資産売却費で東電の清算管理人は放射能被害者に対して賠償ができるだろう。それが民間企業だ。銀行は「債権を切り捨てれば新規貸付はしない」と脅す必要はない。東電は存在しなくなるのだ。銀行は債権を全損するだけだ。それも民間企業の当然の宿命ではないだろうか。
http://km2295.iza.ne.jp/blog/entry/2291349/
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