★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK113 > 433.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
小沢一郎待望論の複数性と多様性を取り戻せ。 (文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』)
http://www.asyura2.com/11/senkyo113/msg/433.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 5 月 20 日 13:39:39: FjY83HydhgNT2
 

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20110520/1305832446


 私が作家や批評家を、あるいは思想家を判断する時の基準は、その人が本質的な問題をもっているかどうか、だ。原発事故問題は確かに大問題だが、それ以上に本質的な問題を抱え込んでいる作家や批評家はいないのかということである。今、誰も彼も、「原発、原発・・・」と騒いでいるが、もし、今、原発事故が起きていなければ・・・と考えると愕然とする。西に大震災があれば大震災を追いかけ、東に原発事故が起きれば原発を追いかけ・・・というのは仕方が無いが、一人か二人ぐらいはいてもいいだろう。大震災も原発事故も関係ないよ。俺は俺のやりたいことをやるだけだ・・・というような作家や思想家が。今こそ、そういう作家や思想家の声を聞きたい。かつて,大東亞戦争の最中、谷崎潤一郎は「細雪」を延々と発表する当てもなく書きつずけていたし、小林秀雄は、日本の古典論を書き続けていた。近くは、吉本隆明が、激しい政治の季節に、一見、政治と無縁な、「言語にとって美とはなにか」という言語論を書き続けていた例もある。無論、戦争や政治、あるいは原発事故について書いていないというわけではない。たとえば広瀬隆のような「原発問題」を生涯のテーマとしているような人間が、原発事故に直面して、あらためて原発問題を論じ続けることは重要だ。僕も広瀬の話なら、何度でも聞きたいと思う。しかし、最近の「原発論議」の多くは、本質的な論議ではなく、条件反射的な、付和雷同的な、新聞やテレビの受け売りと一夜ずけの知識にもとずく素人談議にすぎない。勿論、その種の議論も自由である。だが、そこには、何かが欠如している。さて、小沢一郎待望論は、大震災、原発事故以後でも根強いものがある。しかし、原発事故以前と以後とでは、小沢一郎待望論の中身は大きく変質しつつあるように見える。たとえば、最近の小沢一郎待望論は、「反原発」「原発即時廃止論」あるいは「反核運動」に収斂しつつあるように見える。つまり、小沢一郎待望論の運動というより「反原発」「反核」運動に変質しつつあるように見える。これは、小沢一郎待望論が「複数性」と「多様性」を失いつつあるということを意味する。言うまでもなく、小沢一郎の魅力は、右も左も、都市部も農村部も、年寄りも若者も、「清濁併せ呑む」、いわゆる懐の深いところにある。僕自身、かなり昔から、小沢一郎の政治家としての才能と資質に期待し続けてきたが、未だに小沢一郎の政治思想の中身については、漠然としか知らない。小沢一郎が「反核」「反原発」なのか、「原発推進派」「原発利権派」なのか知らない。僕はそれでもいいと思っている。僕が期待しているのは小沢一郎の政治的才能であり、政治的パーソナリティである。僕が反対なのは、ある特定のイデオロギーに凝り固まり、現実の「複数性」や「多様性」を直視する姿勢を放棄することである。僕が、目先の現実に翻弄されて付和雷同し、現実を直視しているつもりが、実は観念に酔っているだけの議論、つまり一夜漬けの知識や受け売りに基づく議論を嫌悪するのは、そこに理由がある。むしろ、誰でもが安易に飛びつく、「分かりやすい現実」「分かりやすい議論」こそ疑うべきなのである。ヘーゲルは「現実は媒介されている」言っているが、現実を直視するためには、回り道が必要なのである。換言すれば、「政治は中庸を行かねばならない」(三島由紀夫「我が友ヒットラー」)のである。(続く)

コメントを書く
紫 2011/05/20 10:04
この間私にとってはマスメディアの虚偽以外の情報は主にフリー系統からしか入手できなかったという事情があります。ただ彼らは媒介抜きの直接性のように言いますが、そういうこと自体が虚偽になるように、かつてのイデオロギーや状況に引っ張られて結局媒介に何を持つかについてナイーブになるというのが一巡して感じる事です。報道に思想性が問われると言うことになると思いますが、ビジョン抜きに談合や利権を批判する限界が来たのだと思います。報道の自由のベースが単なる自由主義では通俗的に過ぎると思います。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2011年5月20日 14:01:53: AQqyLULhMc
小沢支持者は今や多様性どころか純化・粛清路線だ。
原発についても菅内閣批判や東電批判ばかり。
なぜ民主が原発反対を捨てたのかを語るものはいない。
語ると小沢さんの都合が悪いから。
小沢批判派がこの問題に触れると罵倒して発言を封じようとする。

02. 2011年5月20日 14:24:32: jEYEfE0kOY
いつも思うのですが、この方が一切改行しないのは何かポリシーのようなものがあるのでしょうか?

人に自分の文章を読んでもらおうと考えたら、このような文体はありえない。

自分だけのメモ書きだったら、メモ帳に記録してPCに保存しておけばよい。


03. 2011年5月20日 15:25:01: rWmc8odQao
誰もとめないと思います。他人を批判しないで隗より始めてください。
それこそ内ゲバです。相手の思うツボだと思います。
「今こそ小沢氏の政治的パーソナリティを讃える」とか期待しておりますよ。

04. 2011年5月20日 15:26:27: sy4SxNTKOI
>>01 さんへ
原発についての話は終わっていると思ってますが。

過去の投稿に「投稿者 どなんとぅ」氏の物が有ります。

一度、読んで見たら良いと思いますが。

参考:小沢原発利権とは?〜小沢叩きもネタ切れ?
http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/138.html
投稿者 どなんとぅ 日時 2011 年 4 月 03 日 20:40:58:

一部抜粋

民主党政権公約(マニフェスト)。
2007参議院選(小沢)
2009総選挙(鳩山)
2010参議院選(菅)

アンチ小沢の皆さんの期待通りだとすると
この最初から、少なくともほかの2つにはなくとも2007公約だけには
「原発推進」の文字が躍ってるはずです。
ところがあに諮らんや。

2007〜天然ガス、石油、石炭、原子力に加え、
風力、太陽、バイオマス、海洋エネルギーなど再生
可能エネルギーや、水素、燃料電池などを中心と
した未来型エネルギーの普及開発を図ります


05. 2011年5月20日 18:22:02: AQqyLULhMc
>>04
01だが、推進なんて言ってないぞ!
原発反対を捨てたと言ったのだ。

06. 2011年5月20日 18:36:19: B9uNYK1cTQ

>02

改行、句読点は、それを付さなければ読む者には理解できないだろう、理解するのに時間がかかるだろう、という書く者のナサケです。

いわば格下に見ているとも云える。無礼とまではいかないが。

一方、こやつにナサケは無用、ワシよりも数段格上の人間だから、という相手には、改行、句読点いっさいなしが、作法、という考え方もある。

まあ、売文じゃないんだから、いいんじゃないの。

いっぱい点入れといた。


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK113掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK113掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧