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2011年5月20日 (金)
三井住友FG奥正之会長のエゴ丸出し責任回避妄言
全国銀行協会会長で三井住友ファイナンシャルグループ会長の奥正行氏が、記者会見で東京電力原発事故の賠償スキームについて、
「東京電力の株主や社債権者、金融債権保有者は損失負担からは免れると理解している」
と述べたと報じられている。
ロイターは次のように報じている。
「奥会長は「原子力損害賠償法に基づいて賠償されるので、国と原子力事業者の両者で分担するべき。その他の社債権者や株主、金融債権保有者、納入業者などは負担しないと理解している」と述べた。同スキームを具体化するに当たっては「被害者の救済と電力の安定供給、金融市場の安定化を守れるようにしてほしい」と要望した。
枝野幸男官房長官らの発言に対しては「債権放棄の話が出てくるのはどうしてかなと思う」と疑問を呈した。主力取引銀行の三井住友銀行としては、東電向け貸出金の債権放棄や金利減免などは考えていないとの見解を示した。」
(ここまでロイター報道)
原子力損害賠償法第三条第一項に次の定めがある。
(無過失責任、責任の集中等)
第三条 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。
この条文は、原子力事故にかかる損害賠償責任が当該原子力事業者にあることを明確に定めている。但し書きにおいて、
「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない」
としている。
今回の事故が「異常に巨大な天災地変」によって生じたものであるのかどうかが問題になる。しかし、百歩譲って仮に「異常に巨大な天災地変」によって生じたものであるとの認定が生まれても、「この限りでない」の規定は、賠償責任を誰に負わせるかを明確に定めたものでない。
東京電力代表取締役副社長の皷紀男氏は、3月23日に郡山市で、個人的な見解だとしながらも、今回の事故について、「人災だと思います」と明言した。
日本は世界有数の地震国、津波国である。したがって、原発を建設し、稼働する場合、まず、万全の地震対策、津波対策を施すことが必要不可欠である。
今回の津波の高さは、115年前に発生した明治三陸地震津波とほぼ同規模であった。三陸海岸では、この明治三陸地震津波が甚大な被害を発生させたことから、各地で、この体験を教訓として活かす伝承が行われてきた。これらの伝承を忠実に守った地域では、家屋の損壊を免れたところが少なくない。
作家の吉村昭氏が「海の壁」を出版したのは1970年6月のことである。三陸海岸の大津波について、膨大な取材に基づく記録文学を残した。この書は、1984年に文庫化され、さらに2004年に再文庫化された。文庫化に際して書名が『三陸海岸大津波』に改変された。
三陸海岸大津波 (文春文庫)
著者:吉村 昭
販売元:文藝春秋
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地震や津波の系譜で考えれば、115年前というのは、つい最近のことである。事故が発生すれば重大事態に陥ることが明白な原子力発電所の設計、管理において、わずか115年前の経験に備えることは当然のことである。
地震と津波の規模や性格では、869年に発生した貞観地震および貞観津波が今回の地震と津波と類似するものであるが、この点についても、事前に情報はしっかりと伝えられていた。
独立行政法人産業技術総合研究所が2009年に、貞観地震での津波が宮城県石巻市から福島県浪江町にかけて、海岸線から内陸3〜4キロまで浸水していたことを把握し、福島第一原発の想定津波の高さについて貞観津波の高さを反映して見直すよう迫っていたとの事実が明らかにされた。
しかし、東電と原子力安全・保安院はこの警告を無視したのである。
産業技術総合研究所の調査では、貞観津波の450年前に大津波が起きたことも判明した。つまり、貞観地震津波クラスの津波は、450〜800年間隔で起きてきた可能性があることが指摘されていたのである。
また、本ブログ3月17日付記事
「日本は原子力発電からの決別を決断すべきである」
に記述したように、反原発運動を続けてきた作家の広瀬隆氏は、昨年8月に出版した『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)
に、明治三陸地震津波の例をあげて、津波による原子力発電所の電源喪失のリスクを具体的に指摘していた。今回の震災は完全に「想定の範囲内」のものだった。
原子炉時限爆弾
著者:広瀬 隆
販売元:ダイヤモンド社
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つまり、今回の津波や地震は、原子力損害賠償法第三条の条文にある、
「異常に巨大な天災地変」
には該当しないのである。
この程度の津波や地震には、当然、万全の安全策が取られていなければならなかったのである。その、「当然取られていなければならなかった万全の安全策」が取られていなかったために発生した今回の原子力事故であるから、東電の代表取締役が「人災」であると認めているのである。
事故の詳細については、今後、調査や捜査が進展してゆくことになると思われるが、事故発生の原因・主因は、津波ではなかったとの見方が日増しに有力になりつつある。
つまり、原発の電源喪失の直接の原因は地震によってもたらされたとの見方が浮上しているのだ。福島原発地点の地震規模は震度6弱ないし震度5強であったと見られる。この程度の地震であれば、なおさら、「異常に巨大な天災地変」ではなくなる。
また、原子炉の爆発事故を引き起こした最大の理由は、海水注入による原子炉冷却方針決定の著しい遅れにあったと見られており、東電幹部の判断の遅れが、原発を制御可能から制御不能に陥れる主因になったとの見方が有力になりつつある。
こうした事実に照らし合わせて考えれば、今回の事故は、原子力損害賠償法第三条の但し書きが適用になるケースではないと考えるのが妥当である。
したがって、損害賠償責任は第一義的に東電が負うべきであると考えるべきである。
政府にも当然重大な責任がある。原子力発電所のすべての監督権は政府にあり、政府もまったく同じ責任を負う。
しかしながら、このことと、損害賠償スキームにおける政府負担の順位決定の論議を混同してはならない。
政府に責任があるといっても、政府が損害賠償の責任を負うことは、そのまま国民に負担を転嫁することを意味するからである。
つまり、損害賠償スキームを構築する際に、東電にどこまで負担を求めるかを決定することは、そのまま、国民にどれだけ負担を求めるのかということを意味するのだ。政府にも責任があるから政府も負担すべきだというのは、論理のすり替えであって、重要なことは、一般国民に負担を求める前に何をするべきかを考えることだ。
こう考えれば、答えはひとつしかない。事故発生当事者である東電と東電の利害関係者が可能な限りの負担を負う。そのうえで、不足部分は、被害者を救済するために一般国民が負担を負うのである。
東電と東電の利害関係者に応分の責任を求めるには、法的整理のスキームを用いる以外に道はないだろう。
法的整理のスキームを採用しないから、奥正之氏のような暴言が憚りもなく示されることになるのだ。
自由主義経済、資本主義経済の運営においては、明確で公正なルールに沿って、粛々と処理を進めることが重要である。厳しいように見えるかも知れないが、ルールを定め、ルールに従うことをすべての構成員が了解している以上、このルールに沿って処理を進めるのが、もっとも公正な手法になるのだ。
電力供給の安定性確保などの重要課題については、当然留意する必要があるが、法的整理と電力の安定供給は十分に両立しうる課題である。
政官業の癒着を断ち、天下り根絶、企業献金全面禁止、脱原発など、新しい日本の方向を明示する最大の機会が訪れている。
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