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「歴史の評価」に逃げ込んで居座り続ける菅首相 どんな言葉も国民の心には届かない 田中秀征(ひまなので ひねもす のたりかな)
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【第82回】 2011年5月19日
田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]
「歴史の評価」に逃げ込んで居座り続ける菅首相
どんな言葉も国民の心には届かない
「歴史の判断を待つ」と語る菅首相
支持率ゼロでも退陣しない“究極の逃げ”か
5月13日の参院予算委員会で、菅直人首相は中電の浜岡原発に対する運転停止要請に関連してこう述べた。
「行政指導、政治判断で(要請を)させてもらった。その評価は歴史の中で判断してほしい」
これはこういう意味であろう。
中電への要請内容やその手法は正しい。理解しない人もいるが、長い歴史の中で評価すれば必ず正しいことが解る。
首相は最近になって窮すればしばしば“歴史”を持ち出す。「歴史の判断を待つ」ということは、自分の言うこと、することは正しいが同時代人にはなかなか理解されない。しかし、歴史という長いスパンで見れば正しいことが解るはず。
これは“究極の逃げ”である。
支持率がゼロになっても、“歴史”が自分に軍配を上げるから退陣しない。そういうことになる。
それなら、国会や選挙などの政治制度は全く存在意義がなくなる。
そもそも、歴史の評価に逃げ込んで居座るような指導者を排除するために、国会もあるし選挙もあるのだ。
最高指導者に「歴史の判断を待つ」というセリフが許されるのは、唯一退陣のときの“捨てゼリフ”としてだけである。菅首相のように、居座るための口実に使うと、逆にますます発信力が弱まっていく。
菅首相の言葉は心に届かないという人が多い。しかも日に日にそういう人が増えている感じがする。
「歴史」や「運命」を多用するより、平凡な言葉に全身全霊を傾ければ信頼感も徐々に増していくのではないか。
浜岡停止は「場当たり的」との見方が多数
世論に根深い首相への不信感
首相の浜岡停止要請ももう一つ盛り上がりにかけるのは、やはり思いつきの場当たり発言と受け取る人が多いからだ。内外の評価によってはいつかまた変わると思われているからだろう。
再生可能エネルギーに転換することは、だれでも、どこの国でも望んでいることで菅首相ばかりではない。少なくとも当面の電力需給をどうするか、その具体策が示されなければ説得力がない。
21日と22日には日中韓首脳会談が東京で開催される。そこで首相は、日本のエネルギー政策の今後の方向を述べなければならない。また、26日と 27日には原発大国フランスでサミットが開かれる。おそらく首相の意見はこれらの会議で微妙に変わるに違いない。そうすれば、またもや支持率が低落するこ とになろう。
首相の手法は常に同じである。
最上壇から、突然世論に向かってテープを投げる。世論と結託して展開しようとするのだが、世論はそのテープを受け取らない。しばらくして首相は違 う色のテープを投げるが、それも世論は無視してしまう。そんな繰り返しが続いていく。実は、首相が頼みの綱としている世論が最も首相に対する不信感が強い のだ。
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