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◎“菅馬”では乗り換えざるを得まい
http://thenagatachou.blog.so-net.ne.jp/2011-05-19
2011-05-19 07:31 永田町幹竹割り
急流で馬を乗り換えるべきか否かーが政界で一大議論となっている。参院議長・西岡武夫が「乗り換えるべきだ」と18日付の読売新聞で述べれば、阪神大震災で地震対策担当相を務めた自民党の小里貞利(80)が17日、「乗り換えるな」と強調。どちらが勝つかはまだ不明だが、首相・菅直人は急流で流されそうになって立ち往生していることは確かだ。
三権の長である参院議長が正面切って首相に退陣要求するのは、きわめて異例のことである。しかも長文の首相弾劾寄稿文であり、その内容は理路整然としており、26日のサミット前にも衆院で内閣不信任案を出すことを促している。「馬を乗り換えるな」論について西岡は「この言葉は賛成だ」としながらも「それは馬に急流を何とか乗り切ろうと、必死になって激流に立ち向かっている雄々しい姿があってのこと」と条件を付けた。続けて西岡は「けれど、菅首相には、その必死さも決意も、術もなく、急流で乗り換える危険よりも、現状の危険の方が大きい」と真っ向幹竹割りの退陣論を展開している。
これに対して、小里は「阪神大震災の時、野党は気軽に助言してくれた。自然災害こそ国力、国民力を問われる。災害復旧についても超党派で、あらゆるものを犠牲にして取り組むことが大事」とオールジャパンでの取り組みの必要を強調、「急流で馬を乗り換えるべきでない」としている。小里の阪神大震災での指揮ぶりは総じて見事であったと言って良いだろう。しかし小里は重要なポイントを忘れている。時の首相・村山富市が大震災に直面して、自分では対処が無理だと判断、小里を地震対策担当相に任命して“丸投げ”したことである。この「自分では無理」と自らの能力を“見切る”と同時に誰に任せるべきかを判断する能力は宰相たるものの必要不可欠の条件である。ところが菅は「おれがおれが」が先行して、重要施策をことごとく誤っている。とりわけ原発事故の初期対応に致命的な欠陥があるのだ。
一方で、復興実施本部構想でしゃしゃり出て大失敗した国民新党代表・亀井静香は、不信任案上程について「震災への対応をしなければいけないときに、そんなことをしていたら、将来、歴史から笑われる」と述べたが、歴史が笑うだろうか。決して笑わない。むしろ賞賛すると思う。分かりやすいのが明治維新だ。黒船来襲で列強に取り囲まれ、元寇以来の危機に瀕した日本は、徳川幕藩体制をひっくり返して明治維新を成し遂げ、国難を乗り切ったではないか。先人は馬を乗り換えているのだ。
徳川家康に至っては馬を、兵の背中に乗り換えて谷川を渡っている。小田原の陣での出来事だ。家康は大坪流馬術の名手として名高いが、急流を渡るに当たって全ての兵に馬から下りるよう命じ、自分は兵におぶさった。自陣から爆笑が起こったという。しかしものを見る目のある武将らは「海道一の馬乗りとはこのことであろう」と褒め称えた。「馬上の巧者は危ういまねはせぬ」のだという。恐らく家康なら菅の居座りを「急流を越えられぬ馬に乗って死ねと申すか」と一喝したに違いない。確かに駿馬なら降りなくてもいいかもしれないが、制御しにくい悍(かん)馬、跳ね上がる癖のある駻(かん)馬、独りであらぬ方向に走るくせのある“菅馬”では急流で乗り換えねばなるまい。
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