64. 2011年5月19日 20:20:38: 8vVGs37ooc
「低濃度放射性汚染水の海洋投棄についてアメリカ政府からの強い要請があった」のが事実であるとすれば、副島隆彦氏が指摘する「今度の福島第一の凶悪事故を奇貨(きか)として、ここ(福島第一原発の半径20km以内)を全国の核廃棄物の最終処分場にすると決めた」とする流れを証明する証拠となりうる、と考える。 つまり、流れはこうだ。 低濃度放射性汚染水の海洋投棄⇒レベル7の発表⇒福島第一原発の半径20km以内の立入禁止⇒福島第一原発の半径20km以内を全国の核廃棄物の最終処分場にする。 こうアメリカがストーリーを考え、日本に実行させた。「副島隆彦の学問道場」より抜粋 http://www.snsi.jp/tops (抜粋開始) 副島隆彦です。2011年5月16日(月)です。以下に、私の最新の 福島原発事故、放射能漏れ についての報告をします。これをもって「原発 報告文 16」とします。 1.私は鋭く気付いた。 なぜ福島第一原発の周囲20キロ圏を、住民でさえ立ち入れない完全封鎖区域(「警戒区域」)にするという、国民の財産権の侵害(憲法29条違反)を政府は公然と強行したのか。それは、大事故を起こした福島第一原発の敷地を、このあとこのまま、全国の原発から出る 放射性廃棄物の最終処分場にする、という密かな決断を3月末に政府がしたからだ。 青森県の六カ所村のプルサーマル運転によるプルトニウムと使用済み核燃料(すなわち核のゴミ、核のウンコ)を5000トン貯蔵できるはずの「中間貯蔵施設」の計画も、その真実は高レベル放射性廃棄物の最終処分場であった。この計画もプルトニウムの再処理工場の稼働が、相次ぐ事故で、遂にこの2月に頓挫が決定していた。かつ高知県の東のはずれの東洋町(とうようちょう)に作ろうとした核廃棄物の最終処分場も、住民の反対で2007年に失敗している。 2.そうか。ようやく私に読めたぞ。だから今度の福島第一の凶悪事故を奇貨(きか)として、ここを全国の核廃棄物の最終処分場にすると決めたのだ。だから、虎視眈々(こしたんたん)と狙って、20キロ圏の避難住民を遂に完全に立ち入り禁止にしたのだ。そのために、自分の家に帰れなくなった20キロ圏の地元の住民たちの大きな悲劇が始まっている。・・・だから、3月中は、「もう原発は安全です。安心してもいい」と言っていた原発推進派の専門家たちがテレビから一斉に消えた。 その代わりに4月に入ってから急に、「放射能が怖い、恐いの大合唱」を計画的に策略としてやりはじめた。 3.その尻馬に乗った愚か者たちがいる。福島の現地に行ったこともなく、住民たちと話をし彼らの声を聞き、現状を見たこともないくせに、おのれの臆病者の恐怖感に駆られて、遠くの方から「こわい、こわい」をしきりと煽りだした。この扇動者たちには3種類いる。 (a)政府の意向を受けて確信犯的に扇動している者たち。(b)これまで長年、原発推進派だったくせに、この大事故から急に態度を変えて今や反原発の国内風潮に乗って、波乗りサーフィンよろしく、態度を豹変させて、すっかり反原発派に成りすました者たち。(c)長年の原発反対論者なのだが、自分たちが、本当は「体制内の補完物」であって、反対意見を言い続ける者も“国の原子力行政”の中には残しておかなければいけない、という判断で、生き残って来た者たち。この者たちが、現在、無自覚に騒いでいる。「福島第一原発の事故は、チェルノブイリ事故のレベルを超えている。高濃度の放射性物質(セシウム137)が、東京にも降り注いだ」と、日本国民を扇動している。 この者たちの集団ヒステリーに従うならば、私たちは東京からさえ避難しなければならなくなっている。一体、どこに逃げるところがあると言うのだ。 5.「赤ちゃんから鼻血が出た。東京から避難しなくては」と血相を変えた女たちが、今も、九州の熊本市の喫茶店に集まっているそうだ。赤ちゃんや幼児を連れたこの若い女たちも、自分の手元の資金が無くなればどうせ東京(から以東)に帰って来るしかない。誰を恨むことも出来ない。 私、副島隆彦が血相を変えた、本当に危険であった3月12日から16日までの5日間よりも、1か月も遅れの4月11日から急に自分の鈍(にぶ)い頭そのままに、血相を変えて急に騒ぎ出した女性たちだ。この女性たちを無残に扇動した者たちが、今も、反原発運動の時代の寵児になっている。 その騒ぎの頂点は、やはり、「チェルノブイリ事故と同じ事故評価レベルレ7 の政府発表の有った4月12日」だ。あれは政府自らが、世界中に風評被害を撒き散らして、国力を低下させた、愚かきわまりない、自傷行為、自損行為としかいいようのない行動だった。事故レベルは、初めに発表した「5」(スリーマイル島事故レベル)でよかったのだ。 6.今、私が読み破るべきは、冒頭で書いたとおり、日本政府とそれを背後からあやつるアメリカ政府による福島第1原発事故後の日本の原子力政策の中心が、「福島第一原発の敷地を 放射性廃棄物の最終処分場にする」というものだ。 そして、「今後の日本の原子力政策はあれこれ、ここで極秘で遂行されることになる。そのために家に帰れなくなった住民にとっての地獄となった、20キロ圏の完全封鎖なのだ」と私は見抜いた。 福島原発の放射能の漏れと拡散(放出)は、3月16日には止まった。事態はあの時に収まった。だから、私は、最後の危機であった15日の3号機の圧力抑制室の爆発があった日から4日目の、3月19日に、原発から南8キロの地点から、「私たちは日本民族は救われた。もうこれ以上の爆発はない。放射能の放出は止まっている。もう安心してください。私たちは日本を大災害から復興しましょう」と報告した。そして、「政府はさっさと安全宣言を出して、避難した住民たちを家に帰して、ゆっくり自宅で寝させなさい。そして復興の準備をしよう」と3月中はずっと書いた。 7.このあと、私は弟子たちと3月末に原発正面玄関まで行き、放射線量を測定し、さらに4月12日に、弟子たちと再び原発の正面玄関(正面ゲート)で放射線量の測定をした(正面玄関でさえ、わずか127マイクロシーベルト毎時であった。こんな微量は恐れるに足りない)。ところが、この頃からどこからともなく大きな力が働いて、風向きが急激に変わった。本当に危険だった3月中ばには、何の反応もしなかったのに、「放射能が危険だ、危険だ。避難しろ、東京も危ない。関西、九州に逃げろ」と書き出す者たちが4月になって次々に出て来た。 私は、この異様な逆風の吹き始めに4月中はずっと苦しんだ。一体、どういう者たちが、「危ない、危ない」「放射能がこわい、こわい」を、何故、こんなにも言い出したのかと、ずっと今も調べている。この逆風(逆流)には大きな策略と罠が仕掛けがあるようだ。私は、現在はその背景の調査をしている。理由の一つは、前述した「核廃棄物の最終処分場に福島をする。だから周辺住民を、放射能の危険で脅かして自宅にも近寄らせなくすることで、追い出す」という残酷な政策に転換したのだ。 だからもう一回ぐらい「〇号機が再び危険だ。爆発するかもしれません」という 脅しを国民に仕掛けるかもしれない。それは、これから次々に起きる住民からの東電に対する損害賠償を求める裁判に対する威嚇でもある。 8.4月中もいろんな事件が続いた。4月4日から、1万1500トンの集中汚染水プールに溜まっていた、ほんの微量のまったく低濃度である汚染水の海への放出があった。その空いたところに、燃料棒に触れていたからおそらく1シーベルト毎時ぐらいある高濃度の放射能を出す2号機、それから1号機の地下にあった200トンから700トンの汚染水をその空いたプールに入れた。この4月初めの低濃度汚染水( 海側からの船による測量では、その後、事故前以上の放射性物質は測定されていない)の海洋投棄の問題が出たころから、雲行きがどんどん怪しくなった。 9.4月はじめには、震災復興会議なるおかしな審議会が立ち上がり「復興税を国民から取る」と言い出した。これで国民が、一様にがっかりしてシュンとなった。「こんな時に復興税などを言い出すようでは、日本の景気はもっと悪くなる。復興どころではなくなる」と私は即座に考えた。どんな非常時でも国民から税金を取ることしか頭にない財務官僚たちの悪い性格がよく出ていた。 10.それから4月8日に西村肇(にしむらはじめ)東大名誉教授による、冷静な「福島第一原発から放出された全放射性物質の量は、チェルノブイリ事故の全放出量(いろいろ数字はあるが、370万テラ・ベクレル)の10万分の1である。最大に見積もっても(3月15日までの一日当たりの放出量は10テラ・ベクレルだ。したがって、初め日の放出が12日間続いても120テラ・ベクレルだ)だからチェルノブイリの1000分の1である」という記者会見と論文発表があった。「万テラ」ベクレル とただに「テラ」ベクレルの違いに注目してください。 そのあと慌てた、保安院と、原子力委・安全委が、「福島第一原発の放射性物質の全放出量は、37万テラ・ベクレル( 安全委は、54万テラベクレル) である。だから、チェルノブイリの10分の1である。従って事故評価レベルは、チェルノブイリ事故(全放出量を370万テラ・ベクレルと考えているようだ )と同じ レベル 7である 」 と、泥縄(どろなわ)で4月11日、12日に発表した。何の科学的な根拠やデータを元にしてこの「チェルノブイリの10分の1」の発表をしたのかを保安院は明らかにできない。 と同時に、この日に飯舘村(いいたてむら)他4か所の新たな計画避難区域(「1か月で、牛たちを処分して出て行け」の政治的な強要)を設定した。飯舘村の住民の絶望感が広がった。 私は現地でこの様子を目撃した。 11. この「チェルノブイリの10分の1、ゆえに事故レベル 7」の政府発表で、日本国民が一様に青ざめて意気消沈した。世界中に向かって「日本は相当危険な状態が続いている。日本は核汚染された」と 日本政府自らが世界に向かって風評被害をまき散らしたのである。これで日本国は大きな打撃を受けた。私は、4月後半の国論の大混乱と、このおかしな動き(逆風、逆流)のことで、自分の頭に相当の打撃を受けた。こんな愚かな行動に出るとは。 私、副島隆彦が、「もう大丈夫です。放射能の拡散、放出は収まりました。住民はさっさと家に帰って、自分の家でゆっくり寝てください。あんなに汚くて寒い体育館なんかにいたら体を壊します。 それから、福島産の野菜をどんどん食べましょう。こんな微量の放射能など人体(生体)に危険はありません」とはっきり書いた。書き続けた。今(事故から2か月以上たった5月16日)も、この考えに全く変わりはない。 12. 誰が一体、「危険だ、危険だ。やがて癌で死ぬ人が激増する。東京の人たちでもセシウムやプルトニウム、中性子の被害で、健康に影響が出る。避難しましょう」という、愚か極まりない風評被害を撒き散らしたのか。それを今も続けているのか。 私は、前述4.(b)の、反原発に態度を豹変させた者たちを「新体制派」と名付けようと思う。 事故の前までずっと原発推進派だったくせに、いつの間にかコロリと立場を変えて、変節して、今は、「原発は危ない。福島県の放射能は今も危険(1ミリシーベルト年間 までならいい)危険だ。福島市や、郡山市の人でも避難しなければいけない」と言って、危険だ、危険だ論者に成りきっている。このコウモリ人間たちは、「今度は、反原発、原発直ちに停止という時代の風潮に乗ろう」 と悪質な考えをしておのれの延命を計っている。彼らは、従来の体制派・原子力行政の権力者たちが作って来た“原子力村”という原子力行政の、自分がこの“原子力村からの追放者、反対派”であることを売り物にして、狡猾に民衆扇動を始めている。 「原発から70キロ圏でも汚染されていて危険だ。子供たちには特に危険だ。今からでも出来ることなら県外に避難しなければいけない」 と、福島県人をさえ扇動している。 13.すでに福島県人で、思慮深さと知恵のある人たちは、この者たちのおかしな言論に気付いている。現地の人たちは言う。「初めの5日間に降って来た放射能の量の、どれぐいらまでが安全で、そして、どれぐらいからが本当に危険なのか、の冷静な議論をしてほしい。専門家ならその科学的な根拠を示すべきだ」と言う。自分たちが味わされている厳しい現実の重さを知っている福島の人たちは、扇動者たちには騙(だま)されない。 14.もうひとつの(c)の扇動者たちは、小出裕章(こいでひろあき)、今中哲二(いまなかてつじ)氏ら、京都大学原子炉実験所の助手(助教)たちである。彼らは、旧来の長い経歴を持つ「原発危険派であり、すべての原発をただちに廃止すべきだ派」である。そんなことが現実には出来るはずがないのだ。浜岡原発の運転を止めただけも自分たちの偉大な勝利としなければならない。現実には原発は1基ずつ定期点検の時に徐々に止めてゆくしかない。 彼らは、自民党政治と官僚支配への長年の反対派であり、左翼とまで言うと本人たちが嫌がるかもしれないが、原子力行政(原子力村)への対抗勢力であり続けた。彼らは、正しく原発の危険を訴え続けて、私、副島隆彦が名づけたところの、組織・体制内の「冷や飯食い、30数年」の経歴を持つ者たちである。大阪熊取町(くまどりちょう)に京都大学原子炉実験所があるから、彼ら“反原発・熊取六人衆(くまどりろくにんしゅう)”が、今の反原発派の日本の代表者たちである。彼らが、現在も激しく「福島原発事故は、チェルノブイリを超えた恐ろしい事故だ」を言って、日本国民の一部を恐怖に陥れて盛んに扇動している。 私は、この京大原子炉実験所の人たちとも今後、公開の場で議論をしたい。 小出裕章氏の最新の東京での講演は、以下のような内容だ。 (転載貼り付け始め) 福島原発事故は チェルノブイリ原発事故以上に深刻。 3月15日の東京で通常の280倍のヨウ素131を検出。 原発から250km離れた東京は「安心だ」と思っている方は多いと思います。京大原子炉実験所の小出裕 章助教は4月29日に「終焉に向かう原子力」 という題目で明治大学講堂で講演会を開催した。定員1000名の会場に2000名以上の聴衆が詰めかけ入りきれないほど盛況でした。2011年4月29日 小出裕章助教講演会映像 「終焉に向かう原子力」 5/6 http://www.youtube.com/watch?v=w4YYtHnvmcc&feature=related 小出氏は講演の中で、3月15日の午前11時54分から12時54 分の一時間に、自分で東京の空気を採取してその中の放射性物質の種類と量を測定した。その結果を以下の様に発表しました。この測定によると、3月15日の昼ごろ採取した東京の空気中には、7つの放射性物 質があり合計の数値は17.1マイクロシーベルト/hという高い数値だった。 特にヨウ素131は東 京での通常値は0.04マイクロシーベルト/h位ですので、3月15日の数値 11.2マイクロシーベルト/hは通常の280倍という異常に高い数値だ。 これは、3月12日の福島原発第1号炉の「水素爆発」と3月14日の 第3号炉の「核爆発」によって飛び散った放射性物質が風によって拡散され東京まで飛んでできたことを示している。 関連記事:【3月14日の福島第一原発3号炉の爆発は「水素爆発」ではなく「核爆 発」!】 http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/08d6e0165b87cb017b6f8c37ab483c0a 高濃度のセシューム137が3月13日か ら3日間東京にも降り注いだ! 以下の写真@ーFをご覧ください。この写真はフランスのIRSN(放射線防護原子力安全研究所)が発表した3月12日―20日の間に福島原発の4つの原子炉から放射されたセ シューム137の汚染状態をシミュレーション映像から私が写真を撮ったものです。多少ピンボケしていますが日時ははっきり見えます。結論から言いますと、3月12日の福島原発第1号炉「水素爆発」と3月14日の第3号炉「核爆発」によって、セシューム137を含む高濃度で大量の放射性物質が 3月13日から3月16日にかけて福島から関東全域を含む広範囲な地域に降り注いだ というこ とです。 このシミュレーション映像は下記のURLで見れますのでぜひご覧ください。 「Japon : le "panache" radioactif en images 」 http://www.youtube.com/watch?v=qHbQZQygrag&feature=player_embedded (転載貼り付け終わり) 副島隆彦です。小出氏は、こんな極端な言い方までして、日本人に恐怖感を煽る発言している。この発言が、これから半年後、一体どういうことになるかを私は厳しく注視する。そして小出氏らと論争をしようと思う。その頃にはいろいろの事実が判明しているだろう。 最悪時だった3月15日に、東京で観測された放射性物質の全量は、最大で0.1マイクロシーベルト毎時であった。0.08マイクロシーベルト毎時とする機関もある。この数値は文科省でも他の測定所でも同じだ。 福島第一原発から放出、拡散してきた放射性物質の内訳は、9割がヨウ素であり、残りがセシウムと、それから微量の他のものである。小出氏は、自分勝手に、それらを足しあげて、17.1マイクロシーベルト毎時という、途方もないことを、専門家でありながら言っている。どこにそれほどの 放射性物質が隠れていて、それが小出氏の持参した線量計に反応したのだろうか。全量が0.1しかないのに、どうやったら17.1という大きな数字になるのか。このことはあとあと問題視されるだろう。 小出氏は、「 ヨウ素131は東 京での通常値は0.04マイクロシーベルト/h位ですので、3月15日の数値 11.2マイクロシーベルト/h は通常の280倍という異常に高い数値だ」と発言している。「放射性ヨウ素131だけで、11.2マイクロシーベルト毎時も東京にまでやって来た」という、彼自身の測定結果の真偽がそのうち公開の場で詰問されることになるだろう。この小出発表は、原子力物理学や、放射線医学の専門家たちの間で論文として通用するものなのかを、以後、私はじっと見守る。 小出氏は、「3号機で核爆発 が起きていた」とか、「1号機は、炉心を空焚きしてメルトダウンを起こしている」と今頃になって言い出している。確かにメルトダウンのほんの初期の段階である炉心から圧力容器の底にまでは燃料棒が一部、こぼれ落ちたりはしているだろう。しかし鋼鉄製の頑丈な格納容器(コンテイナー)を溶かしてそれを突き破るようなメルトダウンは起きていない。ほとんどの放射性物質は容器内に封じ込められている。漏れた放射性物質の全量は、だからスリーマイル島事件と同じぐらいの「総量で50テラベクレルぐらい」だっただろうと私は考えている。今の小出氏の講演での絶叫スタイルは、民衆への不用意な扇動である。もっと落ち着きなさい、と窘(たしな)められるべきだ。 15.広瀬隆(ひろせたかし)氏に対しても私は、大きな疑問を持っている。『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社、2010年8月刊)というタイムリーな本を書いているので、私も買って読んだ。広瀬氏に問いたいのは、あなたとセリッグ・ハリソンの関係である。セリッグ・ハリソンは、東アジアの諸国(日本を含む)の核保有の動きを監視する係のCIAの高官(表面上は、ジャーナリスト)である。 北朝鮮の核問題も、韓国も、インド、パキスタンの核保有の問題も彼が担当だ。もうこの役職を30年以上受け持っている。カーター元大統領が北朝鮮とトップ会談をする時とかの事前の訪朝を彼がやる。当然、彼が日本が核保有する可能性に対しても監視役であり、米国は日本に厳しい目を持っている。セリッグ・ハリソンは、「核の非拡散 Nuclear Non-Proliferatiton ニュークレア・ノンプロリファレイション」の監視役の米高官である。この人物との長年の深い付き合いから、広瀬氏は、アメリカから多くの情報を貰って、それで「日本国の核保有の動き、原子力行政への批判」の為の言論人としてじっくりと育てられて来たのではなかったか。私は、広瀬氏にこのことを問い質(ただ)したいとずっと書いてきた。 ダイヤモンド社という出版社は、社名に「スリーダイヤモンド」(三菱)の意味が含まれており、三菱=ロックフェラー財閥の長い深い歴史的な関係で成立している出版社である。だから広瀬氏は、普通なら原発反対派が出せるような出版社ではないところから、こうして原発反対本を出している。私はこのことは初めて書く。出版業界に長くいる人なら、こういうことは知っている。私は、ダイヤモンド社の編集長に、かつてこの事実を突き付けてひどく嫌われたことがある。 広瀬隆氏の反原発論は、だからアメリカ仕込みである。私は、セリッグ・ハリソンと広瀬氏のことを改めて彼に質問しようと思う。広瀬氏が、若いころから筋金入りの反原発の運動の活動家だったことは、アメリカにとって利用価値がある。日本およびアジア諸国 に核保有させないことは、アメリカ合衆国にとってのプライマリー・アジェンダ primary agenda 「対外的な国家政策の最優先事項。アメリカの国防にとっての最優先の目標」である。だから核保有は、5大国(安保理の5大常任理事国。パーマネント・メンバー。世界の五役人。だから刀=核兵器 を持てる)以外の小国は、核保有について外交交渉の場で取引したりは出来ない、と考えられている。 だから広瀬氏は長年、アメリカの国家情報部からの多くの知識提供で、あの大著『赤い盾』(上下巻、集英社)を書いた。あの詳細な本で、欧州のロスチャイルド家の全歴史と全体像を暴き立てるように書いたのだ。 広瀬隆は、だから欧州ロスチャイルド財閥を批判する本はよく書くが、現在の世界を支配している米国ロックフェラー財閥のことはほとんど書かない。それはおかしいことだ。なぜロスチャイルドたたきばかりやってロックフェラーたたきを広瀬は全然やろうとしないのか。それでは片手落ち(差別用語か?)ではないか。このように私、副島隆彦は、かつて自著の中で数回、広瀬隆を批判し、この私から疑問に答えよと書いた。 今度の日本の原発事故も、アメリカのロックフェラー財閥にとっては大きな利益であり、これでヨーロッパの原発ビジネス、原子力産業を推進してきたロスチャイルド財閥への手痛い打撃を与えることになった。欧州勢は福島原発事故のことで今も真っ青である。だから現在もアメリカ(ロックフェラー財閥)による、ヨーロッパ(ロスチャイルド財閥)叩きのめしの構造で全体が動いている。現下の世界規模になったフクシマの大事件も、この一番大きな構図から全体を見渡すべきだ。この世界構図を分からなければ、私たち日本人が世界の動きを分かったことにはならない。 私は、今日までこの大きな全体構図から見た福島原発事故への究明の見方の表明を控えてきた。しかしもう我慢しない。今回の福島原発事故を、アメリカは日本痛めつけだけでなく、ヨーロッパ叩(たた)きとしても極めて有効に使っている。福島の放射能の恐怖は、支配層ではないごく普通のドイツ人とフランス人を今もなお恐怖に陥れ、無用に震え上がらせている。支配階級に属す者たちとは違うドイツ人とフランス人の慌て方が今もひどい。ここには世界規模の権力者共同謀議(コンスピラシー、conspiracy )が有る。 16. 私は、常に福島の原発の出来る限りそばまで行って考える。「現場に行け、現場で考えよ」という金田一(きんだいち)探偵でも実践した行動をする。日本の腰抜けのテレビ・新聞・雑誌の記者たちは、絶対に現場に入ろうとしなかった。今も禁令が出ている。私は、彼らの動きをずっと批判し続ける。 4月22日からは私も原発20キロ圏内には立ち入れなくなった。20キロ地点(実際は21キロ地点だったりする)に敷いている警察の検問を全速力で走って突破してつかまって罰金10万円の刑に服そうかとも思った。が、58歳になった私はもうそこまで体が動かない。58歳になるとさすがに警察官たちの列にぶつかってゆく気力が湧かない。検問をしているのは、全国からの機動隊で、たとえば香川県の機動大隊とかだ。ちっともよい体格ではない、見るからに貧弱な若者たちが今の機動隊だ。きっと成り手がいないのだろう。政府の強制命令による原発20キロ圏完全封鎖(立ち入り禁止)に対する私の怒りは今も激しいままだ。 17.どうせ放射性廃棄物の最終処分場にこの福島第一原発をすると政府は決めたのだ。そのために20キロ圏の封鎖を決めた。アメリカがそうしろと助言しだからだろう。いくら反対してもこの冷酷な決定は覆(くつがえ)らないだろう。それでは住民は、自分の家に今後、もう帰れなくなる。なんという残酷なことをするのか。私が妥協できるのは、原発3キロまでだ。事故の直後に避難指示を出した3キロまでなら、封鎖してもいい。あそこまでなら東電の社員たちの宿舎とかがほとんどだ。だから、その代わりに20キロ圏の住民たちを家に帰せ。放射能の濃度は、もう10キロ圏内でも5マイクロシーベルト毎時ぐらいにまで落ちている。それは健康に何の問題もない。私はそのように断言する。かわいそうな避難民たちは自分の家に帰れずに、ずっと避難所という強制収容所のような惨めな場所に、放置されている。一度でいいから、みんなこの現状を見に行ってくるといい。誰でも入れます。テレビに映っているような綺麗ごとでは済まない。体育館とかでずっと暮らすことがどれぐらい大変なことかを、テレビの映像とかではなく、自分の目で見に行くべきだ。 そうしたら福島の現実が分かる。 「放射能、こわい、こわい」ばっかり言っている者たちは、自分自身の頭(脳)が、大きな計画的な 扇動と洗脳にあっているのだ。現場の現実を見に行って、少しはフクシマの現実からものごとを考えてみるべきだ。 おかしな言動をする人間たちの術中に嵌(はま)ったら被害を受けるのは自分自身だ。 (抜粋終了)
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