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わが国の公務員制度にあって、国家公務員の中の官僚制ほどひどいものは、中国の清時代まで続いた儒教をもとにした「科挙」の制度と同じだろう。変化を否定し国民を治めるためだけの制度としての儒教が中国の近代化を阻んだことは歴史の事実である。中国にあった偉大な文明を過信し、動き続けていた世界の歴史を正視しなかった事から、結局、清朝は亡ぶとともに中国そのものが西欧列強の植民地化されたものとなったのである。
これに対して日本の明治維新は全く逆の対応を取った。そこには儒教は制度ではなく、武士階級に中の学問としてだけ存在し、中国のような閉鎖的な社会になる事はなかった。徳川幕藩体制は中央集権ではあっても地方分権が確立した連邦国家のような形態であった。各藩は自治権が確立しており独自の経済と法律に基づき運営されていた。鎖国状態の中でも、幕府を含め各藩においても諸外国の情報は豊富に持っていた。従って、西欧列強の技術、とりわけ武器や艦船などの技術的な情報は豊富に持っていたし、中国の例を見て、我が国が西欧の植民地化になる事を避けるという考えは、当然のように共有されていた。武士階級には儒教教育の忠孝の精神により、厳然とした公私の区別を持った高い「公」の精神が培われていた。この事が明治維新を成功させたことは間違いがない事実である。日本は西欧化の道を取るために徳川幕府から明治維新へと大きく変化したのである。
しかしながら、逆説的には西欧至上主義による国家の富国強兵策は、過去から連綿と続いた仏教や儒教思想を忘れさせ、「公」の概念が徐々になくなる世代へと交代するにつれて、国は誤った方向へ突き進み、最終的には太平洋戦争の敗戦へと向かわざるを得なかった。戦後は連合国から強制的に民主主義という制度が導入されたが、結局は形だけのものが制度として入り、実態は官僚社会主義的なもののまま現在に至った。その原因の多くは明治以降から続いた西欧至上主義の上に、敗戦からの復興を目指して作られた全体主義的な国家体制である。勤勉な国民により、急激な経済復興が達成されたが、逆にその成功が官僚による暴走の一員となった事も歴史の皮肉と言わざるを得ない。
制度として移入された民主主義は個人主義を加速させたが、明治以来、我が国が捨て去った仏教や儒教、国家神道ではない本来の万物に神を見る神道などが無くなった事による道徳観の消失は、官僚社会主義による「公」の観念のない者たちによる権力の暴走に歯止めをかける事が無くなり、ひどい形の歪んだ国家を作り上げてしまった。現在の日本の官僚制度は「無謬性」という神話を自ら作り上げたが、それは変化を認めないと言う事と同義であろう。彼らは責任を取る事をしない。逆に言えば、変化する事をしない事を意味する。変化とは過去のことを変える事であり、変える事は過去の過ちを認める事に等しい。無謬性という呪縛の上で、日本の官僚たちは変化を受け付けない。それは過去の中国の科挙制度に基づいた官僚制度と同じである。結局、本来、民主主義では国民主権なのに、それを無視した官僚制度によって国が運営されている結果、我が国は変化ができない閉塞的な国に堕したのである。このような無責任で無能なものにでもできる制度のままで国が運営されていくなら、この国が三流以下になるのは確実であり、現実にそうなりつつある。
我々は座してこの制度を見て見ぬふりを続けるのか、それとも大きく国を変えるのかを問われているのだ。本当に良い国にするためには何が必要なのか、国民一人一人が考えなければならない重大な時を迎えている。それは自民党とか民主党とかいう問題以前のことである。 西欧至上主義的思想は世界中の至る所で破綻をきざしている。変化を認めない日本の制度も破綻をきたしている。過去から続いた日本古来の思想の放棄は道徳の放棄にもつながり、この国がどこへ行こうとしているのか国民自体にも見えていないように見える。歪んだ司法制度や腐敗した検察、警察機構は国民の権利を蝕み、国民の閉塞感をますますひどくしている。国の形を変えるのは国民一人一人の力以外にはなしえない。何が必要なのか、自分たちの力が試されている。我々の税金で生活している公務員たちの制度を一新し、真の民主国家にできるかは我々次第なのである。変えられることが嫌な公務員達は公務員を辞め、自ら稼いでみるべきである。税金で生活するものに「公」の意識が無くなった時点で公務員の資格はない。ましてや私利私欲だけに走る公務員など論外である。それを許しているこの国がいかに狂っているのか、情けない国民になったものだ。
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