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【菅政権考】自ら看板を掛け替える役目を果たしてもいいのでは
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110514/plc11051407000006-n1.htm
2011.5.14 07:00 産経新聞
大阪市議会で民主党議員が所属する会派「民主党・市民連合」が今月10日、名称を「OSAKAみらい」に変えた。4月の統一地方選で橋下徹大阪府知事(41)の「大阪維新の会」が議席数を大幅に増やしたため、大逆風をかわさなければならないという地域の特殊事情もあるが、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故での菅直人首相(64)の不手際と無縁ではないだろう。
「役割が終わった政党」
「ちょっと待て その無所属は 民主かも」
ネット上にこんな標語の川柳が出回るほどに、統一選では民主党候補の「民主隠し」が際立った。党本部には公認、推薦を辞退するとの申し出が相次いだ。
看板を返上した候補者十数人から話を聞いたところ、「民主党の看板では勝てない」「首相にリーダーシップがない」など、罵(ば)詈(り)雑言が続いた。特に耳に残ったのは関東地方の市議選候補者が口にした「政権交代を果たしたときに政党としての役割が終わった」という一言だ。
本当に政権交代だけを目的とする政党だったのか。1996(平成8)年の旧民主党発足以来のキャッチフレーズを並べてみよう。
「市民が主役の民主党」
「国民の生活が第一」
「元気な日本を復活させる」
空虚としか言いようがない。自民党から政権を奪った2009年の衆院選マニフェスト(政権公約)の表紙には、当時の鳩山由紀夫代表の顔の脇に、大きな赤い文字で「政権交代。」と書かれている。完全な開き直りである。統一選の民主党候補者の多くがポスターの片隅に目立たないように小さく党名を印刷したのと同じく、「国民の生活が第一」の標語は目立たない場所に追いやられている。
「攻め強く、受け弱い」
己の不明を恥じるしかないが、1996年9月の旧民主党結党大会を都庁担当記者として取材したとき、他の新党と同様、57人の国会議員で発足したこの政党も消え去る運命にあるのではないかと思っていた。
「未来からの風でありたい−が共通の願いだ。2010年のあるべき世界と日本の姿を大胆に構想し、そのビジョンに向かって現状を変革していく」
この結党宣言を読み上げたのが、当時32歳の玄葉光一郎国家戦略担当相(民主党政調会長)だったことは後に知ったが、「風と共に去りぬ」という言葉が脳裏をよぎったものだ。
共産党の志位和夫書記局長(当時)は「自民、新進両党のどちらとも組む可能性を持っている。旧来の自民党政治の亜流でしかない」とコメントした。しかし、旧民主党はいずれの道も取らなかった。旧新進党解党後の1998年の新民主党発足、2003年の小沢一郎元代表の旧自由党との合流−と勢力を拡大させ、政権交代の足がかりを築いた。
「攻めが強くて、受けが弱い」とは伸子夫人(65)の首相評だ。民主党も同じだ。守りに入ったときの弱さは、政権交代後、米軍普天間飛行場移設問題をはじめ打つ手、打つ手が的を外してきたことが証明している。
若い政治家に出番を
民主党がこだわる「政治主導」の目玉政策だった、国家戦略室の「局」昇格を盛り込んだ政治主導確立法案も12日の閣議であっさりと撤回した。これでは、何をしたいのかさっぱり分からなくなってしまう。自民党を「官僚依存」と批判して名を挙げた「民主党」のブランド力は地に落ちた。
そういえば、首相は代表選の際、「中堅、若い政治家の皆さんにバトンタッチするまでは、私、菅直人に先頭に立たせていただく」と訴えていた。アンチ自民を強調して党勢を拡大してきた首相、鳩山由紀夫前首相ら民主党創業世代はそろそろ若い政治家に出番を譲り、自ら看板を掛け替える役目を果たしてもいいのではないか。(政治部 加納宏幸)
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