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政治家は日本の閉塞の元凶、「霞が関官僚組織」の改革に命運をかけるべき(5)
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2011年05月14日 | 日記 :世相を斬る あいば達也
(1)〜(4)で小沢一郎の「国民の生活が第一」の政治理念と、小泉政権の「聖域なき構造改革」の心根は別にして、非常に共通項が多いことが判る。一定の見識を有する日本人の「小泉に騙された!」の気分を簡単に払拭するのは難しいが、標榜した改革のコアは55年体制の自民党と霞が関の改革であったことは間違いがない。
自民党をぶっ壊すと冗談で言ったら、本当に自民党はぶっ壊れた。過去の遺物のように、利益共同体として生き残ってはいるが、早晩バラバラに衰退して行くことになるだろう。世の中の流れと云うものは崩壊し始めると、どのような有能な政治家が適切な政策を打ち立て反撃を試みても、元に戻る事はないのが、世の常である。今さら自民党でないことは、国民のコンセンサスとして定着しつつあると読むのが妥当だろう。
かたや民主党は大丈夫なのか?と問われれば、此れもまた怪しいものである。ただ、政権与党になって2年弱なので、モラトリアム状態になっていると見るのが妥当だろう。公明党は特殊な支持母体が背景にあるので、政党として評価することは避けた方が利巧だ。みんなの党は、自民党清和会の傀儡だと揶揄されている通り、「親米反官僚政党」である。社民党は何処かの段階で再び二分化される運命にあるのだろう。国民新党は、亀井静香をもって一代限り政党の色彩が強く、政局に特に強い影響力を持つことはない。共産党は何処まで行ってもイデオロギー政党なのだか、是々非々政党から逸脱は出来ず、政局を占う場合、数に入れることは意味がない。
今年に入って我が国の政治を方向づける象徴的政党が「地域政党」と云うものだ。このような政党の出現は、今後の日本の政党政治や政局を考える上で、非常に重要な意味を示唆している。彼等の目指す政治目標は「地方主権」だ。つまり、小沢にも小泉にも共通する「中央から地方」なのである。
現在の我が国の政党を、上記のように単純化して俯瞰すると、何を対立軸に据えるべきか、ぼんやりとその姿が見えてくる。先ずは「中央から地方」であり、延いては「脱官僚政治」政治主導政治の実現である。問題になるのは、米国との距離感であり、アジアとの距離感が残されるのだが、この問題まで網羅してしまうと、群雄割拠の中政党乱立の政局が現れるので、当面避けるのが妥当なのだろう。
支配国だと思い込んでいる米国の苛立った横槍は、当面帆の角度を変えながら、のらりくらりと避けて通るのが賢明だ。少なくとも、彼等は裏で行動はするが、軍事力で威圧してくることはないのだから、当面ペンディング状態にするのが妥当だ。
東日本大震災と原発問題を抱えた我が国は、当面は内政問題を対立軸に据えて、権力闘争をするしかないだろう、と筆者は考えている。日本の戦後においてみても、55年体制を構築してきた主体は表面上「自民党vs社会党」なのだが、実態は「垂直統合の霞が関官僚主導」の構図の中で行われていたに過ぎない。
時代の折々で、その主導権が大蔵省から建設省に動いたとか、外務省から財務省に変わったとか、色んな変遷はあるが、霞が関と云う村から権力は一歩も出ていなかったのである。 政治が上手く機能しないと、米国のコントロール下にあるからだ、米国ばかり見ている官僚が悪いのだ、経団連等々大企業が企業の社会的責任を放棄して利潤追求にのみ明け暮れるからだ、企業と癒着した政党や政治家が居るからだ、電通支配の記者クラブで飼いならされたマスメディアがあるからだ、等々と悪の枢軸探しになるのだが、時々により叩く相手が事象により異なってくる。最近では民主党の支持母体である連合と云う労働組合もその一つに数えられるに至っている。
つまり、この世で起きる事象ごとに、悪人を抽出指摘し、処罰や法律等々で監視の目を強化するのだが、それらは時とともに忘却されることが多い。ただ、留意すべきは、その悉くに必ず官僚組織の何処かの省が必ず介在することである。
それはそうだ、問題を解決し、行政的に指揮監督するのは行政の長、内閣総理大臣だが、テクニック上の専門家はすべて官僚側に握られている。つまり、我が国が行政的に動く時は、必ず官僚らの手によって実施されるのである。 実はこの官僚の手に委ねられた行政の運用権こそが大切なわけで、直に国民生活を善きにつけ悪しきにつけ直撃するのだ。
法律の運用などと云うものは、どうにでも解釈できる官僚用語で出来あがっているので、彼等の独壇場になる。また、行政の範疇に入る検察庁なども、この解釈運用独占の独壇場になり、自分達の共通の敵となれば、得意の恣意性を思う存分発揮して、抹殺的運用権と解釈権を濫用するのである。
如何に官僚が失われた20年の中で、国益に逆らってきたかは、今さら証拠を並べる必要もないだろう。並べ出したら、永遠に拙コラムは国益に逆らう国賊官僚の証拠コラムになってしまう。安心安全クリーンエネルギーと云う処の原子力発電を徹底的に推進し、福島原発であれだけの放射能ダダ漏れを起こしても、原発が日本のエネルギー政策の中心だと言い続けるのだから、こりゃ国賊以外のなにものでもないだろう。外務省は米国のスパイとなり、時の政権の情報を堂々と昼日中かから垂れ流すのだから、国賊だろう。
国民を正しい方向に導く政治を官僚に任せていたら、成長性が豊かとはいえない成熟国家であるとしても、早死にすることを強いられるような事態に国民は陥るだろう。
「中央から地方へ」と云う発想の転換で、金太郎飴のような個性を失った地方都市が再生する糸口が生まれ、個別の個性的産業が成長するかもしれない。エネルギーを再生エネルギーに徹底することで、大きな産業が生まれ、それが国家的プロジェクトであると同時に、エコ技術輸出国として国力をたかめる可能性さえ秘めている。
その為には、まずは「錦の御旗」の下、大同団結するのが賢明だろう。「中央から地方」と「脱官僚」は殆ど同義語なのだから、此処を一点突破と定めることが最も日本の改革に必要な事だと思われる。米国重視、アジア重視の議論は曖昧にしておいて良いのだ。現時点は日米同盟の枠組みをどうこうできる状況でもない。
この行動を続けて行くことは、当然官僚組織の衰弱に繋がる。故に、その抵抗は異常なほど凄いモノのになるだろうが、官僚の抵抗はすぐさま蜂起しないのも特徴なので、一気呵成に官僚の権益を奪う法律を準備した上で、政権を握る必要がある。
このシリーズコラム、≪「霞が関官僚組織」の改革≫1〜5を書きあげた時点で、ふと政局を眺めたら、小沢一郎と前原誠司が接点を模索し始めたのではと云う憶測情報が流れている。真偽は別にして、菅政権の国益に反する行動を止めるには、あり得る選択の一つだ。
この際、自由主義と云う曖昧な旗で我慢すべきだろう。兎に角、此処は官僚組織の改革乃至は弱体が急務なのだ。これはなし遂げた後は、意外に様々な方向で視界が良好になる、と筆者などは考えている。小沢、鳩山ラインに前原が合流。みんなの党に異論はない。自民党の大半も異論がないだろう。公明党はどちらにせよ政権与党になれる方につくだろう。
菅直人の不信任案を与党内から出ることを期待するような野党自民党では、もう先がない。谷垣も意を決するべきだ。復旧復興の二次補正を夏が終わるまで政権延命の道具に使い、予算をあげようともしない政権など、ゴミ以下である。放射能汚染水よりも害毒である。攻めあぐむ前に、与野党の政治家は、発想の転換をする素晴らしいチャンスを与えられているのだ。ここを逃すと、二度と与野党共に、官僚政治を容認したことになる。日本は永遠に右肩下がりの、成熟国家となり、アジアの島国の一つになり、歴史の滓に呑みこまれるのだろう。
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