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聖域なき構造改革をマチガイと断言するのは拙速だ 属人性を払って思考する(4)
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2011年05月12日 | 日記 :世相を斬る あいば達也
最近の拙コラムは日本の閉塞の元凶・霞が関官僚組織の制度疲労を取りのぞき、如何に国家国民の為に有効に機能する官僚機構を作るべきか、シリーズで書いている。(1)〜(3)、本日が(4)で終わらないので、飽きる方もおられるだろうが、我慢して読んでいただけると幸いである。
この制度疲労と永年の間に蓄積された“習慣性のある人間的滓”に身動き取れなくなっている霞が関官僚機構を根本的に治療する手はないものか考えている。勿論、官僚たちを擁護するつもりはないが、国家や国民にとって官僚が皆無でも構わないと云う暴論を語るつもりもない。如何に、有効に動作する中央の官僚組織を作るかが、地方主権に行政権がスムーズに移行する為の地ならしである。
構造的に閉塞する先進各国の自由主義経済は、今や運命的な問題であり、何処の国がとか、誰かがとかで解決することは絶対にあり得ないと結論づけたコラムでもある。まして、顕著な少子高齢化構造の我が国が、より少ない経済成長で、より少ない財政で、より有効な、よりスピーディな行政を行うことこそ、将来の日本人へのエールとなると考えるからである。
以上のような構造で民主主義と自由主義経済圏で生きるには、それなりのパラダイムシフトは待ったなしの要件になるだろう。それが中央集権からの脱却であり、国民により接近する地方自治体に行政の権限と財源を移行することが必須だ。つまり、官僚がお手盛りで構築した天下り先であり、中間搾取組織である特殊法人の駆逐こそ、国民の生活が第一の象徴的政策なのである。故に、バラマキ的と批難される、こども手当や農家の個別補償など直接給付はシンボリックな意味合いが強いのである。
また、個人的には小沢一郎と云う稀有の政治家に日本のリーダーとして、思う存分辣腕を奮わせてみたいと云う希望も籠められている。“習慣性のある人間的滓”に身動き取れなくなっている霞が関官僚機構を根本的に治療出来る政治家は小沢一郎唯一と言っても過言ではない。
ところが、彼等は治療の為に近づいてきた小沢と云う治療師を、自分達の刺客と勘違いしてしまったのだ。官僚機構あればこその日本のマスメディアが、官僚機構の殺し屋軍団・東京地検特捜部の動きに呼応して、現在の小沢一郎の立場が現出している。 おそらく、小沢一郎と云う政治家が、このまま政治力を抹殺された儘で政治生命を終えるとすると、21世紀中に日本と云う奇跡の経済復興を成し遂げた国家は、アジアの小さな島国と云う存在になっているだろう。勿論、その頃には官僚機構はなくなっているだろうが、それからでは遅過ぎる。故に、どのような方法であっても、小沢一郎が辣腕を奮える環境をつくらなければならない。その為の、今回のシリーズである。
霞が関官僚機構を治療する為には、こういう禁じ手もあるのかと云う仮説を書いている。 さてそれでは、悪名高き小泉純一郎と竹中平蔵の「聖域なき構造改革」とは如何なるものであったのだろう。勿論、筆者は「聖域なき構造改革」の内容を重視するのであり、属人性には拘っていない。また、小泉政権時のすべての政策を了とするものでもない。 (*筆者の記憶とWkipediaを参考にする)
「聖域なき構造改革」とは
■ 発想そのものは新自由主義経済派の小さな政府論より発したものである。郵政事業の民営化、道路関係四公団の民営化等、政府による公共サービスを民営化などにより削減し、市場にできることは市場にゆだ ねること、いわゆる「官から民へ」、また、国と地方の三位一体の改革、いわゆる「中央から地方へ」を改革の柱としている。聖域とは、特殊法人と特別会計をさして、今まで改革を行うことの出来なかった分野として聖域と言われることが多い。政府、自民党が用いた例としては以下の2例を記す。主として、小泉元首相が所属している清和政策研究会と対立関係にある旧経世会の権益に属する分野のことをさす。(Wkipedia)
*聖域だと云う、特殊法人と特別会計は今や旧経世会の利権等と云うものではなく、霞が関官僚の権益と化している。郵政民営化がユニバーサルサービスを無視した部分が問題なことと、竹中により国際金融マフィアを導き入れた事による計画の頓挫が大きいのだと思う。金融ですべてを解決しようとした竹中の経済馬鹿の為せる失敗なのだろう。「官から民へ」、「中央から地方へ」、「特殊法人と特別会計」に切り込む。その方向性に小沢一郎との相違はみられない。(以降、*印は筆者)
■ 小泉純一郎個人は「構造改革なくして景気回復なし」と発言しており、郵政民営化や企業法整備などの 日本国内の供給面での構造改革を通じた拡充と安定が日本経済の回復にも貢献すると考えていた。(Wkipedia)
*「構造改革なくして景気回復なし」は結果論だが、事実だった。竹中はもっと弱い者虐めをして、金融経済にシフトすれば景気回復まで行き着いたと、嘯いているが、結果を見る前にマトモナ生活者が居なくなってしまっただろう。森永卓郎の年収200万円生活が現実のものになっていたに違いない。景気の回復は需給のバランスの是正が本質的問題であり、金融経済の構造改革では実態が伴わないことになる。消費がすべてであり、国民の購買力アップこそ経済のファンダメンタルが改善されるのである。どうも、ノーベル経済学賞を取ったマクロ経済学と云う学問は胡散臭い。江戸時代の経済理論で充分景気回復は可能だと思う。(笑)
■ 公共事業の削減によって生じた国庫負担の削減分は、金融機関の不良債権処理等、金融セクターにおける私企業の救済に充てられており、利権が建設族から金融族に移行したに過ぎないとする意見も強い。(Wkipedia)
*この部分がまさに、小泉竹中構造改革の隠れた目的であったと評する論調も多い。郵政の西川、三井住友銀行、オリックス、ゴールドマンサックスと云う利権図式は、憶測的であるが充分に状況証拠を観察することが出来る。国土交通省の利権を、金融財政利権に変えただけで、構造を変える気が無かったのか、途中だったのか、そこは定かではない。ただ、小泉改革以降、財務省がノーパンしゃぶしゃぶでの権力の失地を回復したのは事実なのだ。この部分は小沢とは相当の違いがある。小沢は地方に公共事業を渡すことで、6割の予算で百lの実施を目論んでいる。
■ 日米安全保障条約に基づいた在日米軍に対する財政支出(いわゆる「思いやり予算」)について、依然として放漫に行われている(義務では無い)ことから聖域ある構造改革と揶揄されることがある(Wkipedia)
*市場原理主義に徹する人々は米国金融経済とどうしても深い関係にならざるを得ず、小泉竹中のような金融族の権益拡大を招き、実体経済、生活者の経済よりGDP数値が国力をたかめる信仰に陥る。小沢の自由主義経済支持には、郵政にみられるように、俗に云うセーフティーネット上必ずしも論理的とは言えない泥臭さと云うか、人情が介在する。また、鳩山由紀夫同様に、米国との距離感に苦悩の跡がみられる。小沢一郎のスタンスが一番明確でないのが、この米国との距離感ではないのだろうか。筆者などは、米国経済の再生は完璧なマヤカシで、早晩行き詰ると判断しているので、米国べったり主義が現実的でないと云う点で、小沢鳩山の路線を支持する。日米同盟と云う属国的支配関係を解いて行かないことには、日米共に沈没の憂き目もあるのだろうが、米国と距離を置き、アジア重視では中国に占領されるのではないかと云う亡霊に脅える心情があることも無視できない。この辺の国民への説明はもう少し丁寧であるべきだが、外交ゆえに明確な物言いが出来ない部分でもある。
■ 経済は、バブル崩壊以降の懸念であった不良債権処理を解決した企業・銀行の業績が回復し、ニューエコノミーへの転換により活性化し、景気は一時的に上向いた。ただし、転換の影響によって労働構造が 変化(多数の熟練者を求める社会から、少数の創造的な社員と多数の単純作業を求める社会へと変化)し、多数の非正社員が生まれた。 一方、正社員の割合は2001年から2006年の6年間に72%から67%にまで低下し、約230万人減少した(Wkipedia)
*この現象は、日に日に目を覆わんばかりの惨状である。今では製造業派遣労働者を中心に“ワーキングプワ”(働く貧困層)が出現し、その収入は生活保護家庭よりも低い水準になっている。労働者単位で見ると年収200万円以下の労働者が2006年には1023万人、労働者全体の22.8%を占め、1985年以 来21年ぶりに1000万人を突破した。2009年現在は1100万人、労働者全体の24.5%に達している。この企業のグローバル化と合理的雇用は小泉竹中時代に顕著になり、輸出企業(キャノン、トヨタ等)の巨大な利益の影の部分となってしまった。自由主義経済の追求と雇用弱者のセーフティーネット対策は矛盾する政策になるのだろうが、放置することは若年労働者のアパシー現象に拍車を掛けるわけで、国益に反するのだろう。社会不安や治安にも影響があり、少子高齢化に油を注ぐことにもなる。
以上のように、小泉竹中ラインの「聖域なき構造改革」は多くの負の遺産を我が国に残したわけだが、彼等の方向性すべてが間違っていたわけではないことが、あらためて振り返ると判る。ただ、そこに恣意性があり利権構造のすり替えが行われた点が問題だっただけと思われる。また、公務員制度改革は殆ど霞が関の抵抗で頓挫しており、「構造改革なくして景気回復なし」を地で行ったことになる。
つまり、あれだけの人気者小泉でも霞が関の利権(財務省)のすげ替えをしただけで、官僚に歯が立たなかったのである。ついでに、外務省・防衛省の米国べったり官僚の権益を拡大させただけと云うことだ。 鳩山小沢ラインが、この霞が関とマスコミに半殺しにあって以降、菅直人とい男は、「小泉の真似っこ饅頭」そのもので現在にいたっている。マスメディアによると、菅降ろしの勢いは野党でも、民主党内でも萎むばかりで菅政権の長期化が見込まれると云う論調が増えてきた。
考えない国民の自業自得だから致し方ない。そういう達観した見方も悪くはないが、もうチョットだけ頑張ってみようではないか。(笑) そう思うと、民主党の自由主義者の前原誠司と小沢一郎に一致点がないわけではない点に注目しておきたい。みんなの党も異存はないだろう。公明党にも異存はないはずだ。自民党は「小沢アレルギー症候群」を患っている、町村、石破、小池などを別にすれば、「政権にイタイイタイ症候群」と云う実益主義者が多いのだから、どのようにでも転ぶであろう。このような仮説も気持は悪いのだが一時の協力としては、充分にあり得る話はなかろうか?
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