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熱血!与良政談:「首相決断」の伝え方=与良正男
http://mainichi.jp/select/opinion/yora/
毎日新聞 2011年5月11日 東京夕刊
菅直人首相が中部電力浜岡原子力発電所の全炉停止を求め、中電も受け入れたことについては賛否両論がある。当たり前である。両論ある中で判断するのが政治の役割であり、国民すべてが賛成、反対といっている話を追認するだけなら政治は要らない。
そこで考えてみたいのは、首相の決断を伝え、評価する私たち新聞やテレビのあり方についてである。
まず書いておく。今回の首相の判断は妥当なものだったと私は素直に評価している。これまでの想定があえなく崩れ、しかも相当高い確率で起きるであろう危機が目の前にある以上、それを回避するのは当然だ。一方で国内の原発すべてを停止するわけではないというのも現実的な判断だと思う。
私の考えを押しつける気も自信もない。だが、どうしても納得いかないのは、「拙速で、場当たり的だ」とか、「根回し不足だ」とかいった、決断に至る手続きに対する批判だ。結構、これが多いのだ。
では、熟慮するため、菅首相が識者を集めて浜岡問題を検討するナンヤラ会議を作っていたらどうだったろう。今、手続きを批判している人たちは「またまた丸投げ」とか「決断力がない」とか、なじっていたのではなかろうか。
あるいは政府が事前に地元自治体に対し内緒で「停止後も交付金は今まで通りにするから」と根回ししていたとする。仮にその後、それが明らかになった場合には今度は「密約があった。けしからん」と騒ぎ立てるのではないか。何より、「拙速批判」は、万一、明日、大地震が起きたらどうするか、という根本的な問題に答えていない。
もちろん、地元や中電側の戸惑いや苦悩を広く伝えていくのはメディアの責務である。でも私のごとき社説やテレビのコメント役を担当している人間は、それだけでは済まされない。「地元が戸惑っているからダメだ」というのは批評しているように見えて、実は地元に判断を委ね、自らの考えを表明するのを逃げているとさえ思う。
「首相の延命策だ」という政局絡みの見方も何とワンパターンであることよ。この種の話は延命策であろうがなかろうが、結果がすべてだ。今後、うまくいかなかったら判断を下したトップは責任を取る。政治決断とはそういうものだ。私だって今回の首相決断を評価した以上、今後もその責任は免れないと思っている。(論説副委員長)
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