http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/873.html
Tweet |
菅直人首相は5月6日、記者会見を行い、中部電力の浜岡原子力発電所の停止を求める異例の「要請」を行った。中部電力は9日に臨時の取締役会を開いて、この要請を受諾することを決めた。中電によれば、原発を止めることによって火力発電所で使う化石燃料が増え、年間2000億円以上の損失が発生する。
今回の停止要請は、その期限を津波対策の防潮堤が完成するまでとしており、その完成には2年以上かかると見られている。つまり、少なくとも4000億円の損失が発生するわけだ。中電の2011年度の営業利益の見通しは1300億円だから、3年分以上の利益が今回の「要請」で吹っ飛ぶことになる。
水野社長が「国の要請」であることを強調した理由
これについて中電の水野明久社長は、記者会見で「内閣総理大臣からの要請は極めて重い」と、今回の決定が国によるものであることを強調した。彼が海江田万里経産相と交わした「確認事項」にはこう書かれている。
<全号機運転停止した場合は多大な追加費用負担が発生する。当社は最大限の経営効率化に努めるが、今回の要請は、お客様、株主等に対して過度な負担を強いることを前提としたものではないと受け止めており、その回避・軽減に向け国にも十分に支援していただくよう要請したい。>
海江田万里経産相は、これに対して「必要な金融支援」を約束しているが、金融支援だけで済むとは思えない。今回の運転停止によって、中電の株価は1日で1割以上も下がった。この損害について株主代表訴訟が起こされる可能性もある。ただ株主訴訟が起こされた場合も、その損害のもとになった行為に法的根拠があれば、経営者は賠償責任をまぬがれる。水野社長が「首相からの要請は極めて重い」と、国の要請によるものであることを強調したのは、訴訟が起こされた場合のことを考えているからだろう。
史上最大の行政指導
しかし首相の要請は、国によるものではない。それは法的な強制力を伴う命令ではなく、閣議決定さえ行われていない菅直人氏個人の「お願い」にすぎないのだ。この点は首相も、記者会見で次のように明言している。
<基本的には、私が今日申し上げたのは、中部電力に対する要請であります。法律的にいろいろな規定はありますけれども、指示とか命令という形は、現在の法律制度では決まっておりません。そういった意味で要請をさせていただいたということであります。>
これは日本の官僚機構によくある行政指導の一種である。これは官庁が民間企業に対して行う口頭の指導で、法的な強制力はなく、民間がそれを拒否してもよい。そして官庁は、企業が拒否したことを理由にして不利益な扱いをしてはならない、というのが行政手続法の規定である。
したがって法的には、中電がこの要請を拒否するのも自由で、それによって不利益を受けることはない建前なので、損失の責任はすべて経営陣にある。株主訴訟に負けて数千億円の賠償責任が発生しても、それを国に弁済してもらうことはできないのだ。しかし、地域独占で料金や営業に国の強い規制を受けている電力会社が、国の要請を拒否することは不可能である。
特に福島第一原発の事故をめぐって、数兆円に上ると予想される東京電力の損害賠償を他の電力会社にも負担させる「奉加帳方式」が検討されており、ここで政府に逆らうと賠償の負担で不利な扱いを受ける恐れもある。つまり中電の経営陣としては、首相の要請に法的根拠がなくても、それを拒否すると国に意地悪されて長期的には不利益を被る、と判断したのだろう。
過去の株主訴訟の判例でも、経営陣が違法行為を行う明確な意図がなかった場合は、賠償責任は認められないことが多い。株主は、損失を発生させた国を相手取って行政訴訟を起こすこともできるが、この場合は国は「要請に強制力はない。中電経営陣の自由意思だ」と責任を逃れることができる。つまり、国にも中電にも責任があるようでないのだ。
このように不透明な裁量行政が、官民癒着や天下りの温床になったとして批判され、指導を文書化するよう求める行政手続法もできた。4000億円もの損失を民間企業に強要する首相の要請は、その精神を蹂躙する史上最大の行政指導である。
「法の支配」を踏みにじる密室の決定
そもそも今回の要請は、どのような経緯で出てきたのだろうか。これについて多くの閣僚や民主党関係者は「事前に聞いていなかった」という。読売新聞によれば、これは首相が内閣にも党にも相談せず、海江田経産相、細野豪志首相補佐官、枝野幸男官房長官、仙谷由人官房副長官の4人と相談して決めたものだという。
中電に大きな損害を強要するばかりではなく、電力不足によって中部地方の経済にも大きな影響を及ぼす原発の運転停止を、その被害についての計算もしないで、5人の政治家が密室で決めたというのだ。官僚のきらいな菅首相らしいやり方だが、実際には電気事業法にも原子炉等規制法にも「停止命令」の規定はある。
ただし、法的な命令を行うためには、安全審査などの手続きが必要だ。浜岡原発は定期検査でも安全性に問題はなく、福島事故のあと行われた検査でも不備は見つからなかったので、停止命令を下す根拠は見つからないだろう。
つまり今回の要請は「命令が現在の法律制度では決まっていない」から出されたのではなく、正式の手続きを踏んだら停止という結論は出せないから、首相が法を無視して独断で行ったのである。これは近代国家の根本原則である法の支配に反する行為である。
ところがメディアは(産経新聞を除いて)今回の運転停止を歓迎している。「手続き的には問題があるが、目的は正しい」と賞賛する向きも多い。まるで水戸黄門が印籠を出して正義を実現したかのような論調だ。しかし政府がいつも水戸黄門のように正しい結論を出せるとは限らない。中電の損失は、結局は電気料金に転嫁されて利用者が負担するだろう。
政府には料金認可の権限もあるのだから、「支援」は容易だ。そして電力が不足し、電気代が上がれば、製造業は日本を出ていくだろう。自分たちが被害者になることも知らないで水戸黄門に拍手を送る日本人は、おめでたいというしかない。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/7373?page=3
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK112掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。