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浜岡原発停止でも繰り返された民主党流「リーダーシップ」の危うさ {磯山友幸「経済ニュースの裏側」 現代ビジネス [講談社]}
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/4304
菅直人首相は5月6日夜、突如、記者会見を開き、静岡県にある浜岡原子力発電所の停止を中部電力に要請すると発表した。浜岡原発は東海地震の想定震源域である御前崎にあるうえ、地盤の弱さなどもあり、かねてから危険性が指摘されていた。東日本大震災を受けて、原発反対の市民運動も勢いを増していた。
「国民の皆様に重要なお知らせがあります」
こう切り出した菅首相は珍しく自信に満ちた表情をしていた。震災以降、リーダーシップの欠如を糾弾され続けてきた首相は、内閣官房参与だった小佐古敏荘東京大学教授の辞任で窮地に立たされていた。そんな矢先の「リーダーシップの発揮」だった。
このタイミングでの首相の決定を評価する声は多い。地元静岡県の川勝平太知事は「苦渋の決断に深い敬意を払いたい」と述べた。浜岡原発は5基ある原子炉のうち1、2号機はすでに廃炉が決まって停止している。3号機は定期点検で停止中、現在稼働中の4、5号機も来年以降に定期点検がやってくる。定期点検で止めた原子炉を稼働させるには県知事の同意が必要で、川勝知事はまさに、3号機の再開を巡って反対派住民と中部電力の間に立たされていただけに、首相の決断に救われた格好になった。
原発の安全性に多くの国民が不安を抱いている中で、原発を停止すること自体に異論をはさむつもりはさらさらない。だが、原発停止に至る過程で首相周辺でどんな議論がなされたのか、一切明らかにならないまま、首相が会見で結論だけを一方的に国民に押し付けるやり方は、本当に「リーダーシップ」の発揮と言えるのだろうか。
国民の多くが唐突さを感じた今回の決断について、閣内からも異論が出ている。国家戦略担当相で民主党の政策調査会長でもある玄葉光一郎議員は、10日の記者会見で「時としてそういう首相のリーダーシップがあってもよい」としたものの、「政策調査会に事前に相談があったわけではないので、その点は遺憾だ」と述べた。
閣僚だけでなく、官邸にいるスタッフのほとんども、記者会見直前まで浜岡原発停止は知らされなかった。当事者である中部電力に正式に伝えられたのも1時間前と言われる。監督官庁である経済産業省の官僚も蚊帳の外だった。首相が最終的に決断した場にいたのは海江田万里・経済産業相、枝野幸男・官房長官、仙谷由人・官房副長官、原発担当の細野豪志首相補佐官などごく一部の人たちだけだった。
実は、こうした意思決定は政権交代後、民主党内閣が繰り返し用いてきた手法だ。各省の政策決定では大臣、副大臣、大臣政務官の政務三役だけで物事を決めてきた。官僚を排除し、民間の有識者を議論に加えることもなく、一部の政治家だけで決断する。これを民主党は「政治主導」と呼んできた。
日本経団連の米倉弘昌会長は、浜岡原発停止について、「(菅首相の)思考の過程がブラックボックスだ」と批判した。だが、実は、思考や議論のプロセスを一切明らかにしないところに、民主党流「リーダーシップ」の危うさは、今回に始まったことではないのだ。
政権交代直後のこと、当時懸案だった日本航空(JAL)の処理策について取材していた時、民主党のとある政治家に「なぜ政務三役会議の議事録を残さないのか」と聞いたことがある。その時の答えは、「JALを潰すかどうかという微妙な議論をしていることが漏れるだけで世の中に無用な混乱を起こす」というものだった。
この考え方は民主党政権の幹部に共通している。議論の途中で情報が洩れることを極端に嫌い、正式に決まったことだけを発表しようとする。今回の原発事故でSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)がありながら、そのデータを公表しなかったのも、その延長線にある。
だが、どんな立派な決断でも、その思考過程や議論のプロセスが明らかにならなければ、結果的に、それを実行する霞が関官僚や国民の支持を得られず、なし崩しになる。今回の原発停止でも同様の事が起きている。
浜岡原発停止が寝耳に水だった経産省の原発推進派は、すぐさま行動を開始した。浜岡原発の停止が、全国の原発停止に波及し、「脱原発」に向けたドミノ倒しが起きないようにである。中部電力には臨時取締役会で停止の結論を急がないように水面下で指示。官邸周辺での「浜岡は特別」というコンセンサスづくりを急いだ。
菅首相の決断はもちろん、日本のエネルギー政策をどうするのか、原発については政策転換を行うのか、といった議論の上に成り立ったものではない。「原発を止めたら日本経済がマヒしてしまう」という反対論に、首相はあっさりと折れる。8日の記者会見で首相は浜岡原発以外の運転停止を求める可能性について「それはありません」と明確に否定。「浜岡原発は大きな地震が起きる可能性が特別に高い。特別なケースという位置付けだ」と発言を事実上後退させた。
霞が関にとって首相の発言は非常に重い。だが一方で、国民の支持を得られなかった首相の発言は脆い。細川護煕首相が打ち出した国民福祉税構想も瞬く間に消え、首相自身もその地位を去らざるを得なくなった。
小泉純一郎首相は強権発動を繰り返した印象が強いが、自らのリーダーシップの裏付けを作ることには慎重だった。閣僚と民間有識者からなる「経済財政諮問会議」をフルに活用、首相自らが議長になることで、政策をリードした。諮問会議での議決によって役所の反対を封じ込め、首相の方針として実行させる形を定着させたのだ。
諮問会議は議事録が残され、短期間のうちに一般に公開されていた。議論のプロセスをオープンにすることで、首相のリーダーシップに根拠を与えていたわけだ。この点、密室で決まり、まともな議事録が残らない民主党政権流の政治主導とは大きく違う。
密室政治との野党からの批判に、一部の懇談会などの議事録を公開するケースもあるが、意思決定プロセスのブラックボックス状態は今も変わらない。また、政務三役会議などは議事録自体を取っていないケースがほとんどで、将来、民主党政権を研究者が振り返る際に、大きな支障になるだろう。
民主主義国家におけるリーダーシップとは、首相が蛮勇を振るうことではない。議論を提起し、言論の府である議会で主張を貫いて支持を得、確固たる信念を持って実行していくことに他ならない。
民主党幹部の間には、「マニフェストを掲げて選挙に勝利したということは、国民から4年間の白紙委任を得たということだ」とする意見があった。その当否は別として、それが民主党流の政治主導の根拠だったとも言えよう。民主党自身がマニフェストの見直しに着手し、首相も選挙時の顔ではなかった菅首相となったことで、民主党流のリーダーシップの根拠は大きく揺らいでいると言えよう。このままでは、民主党流リーダーシップは歴史の検証には耐えられない。
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