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http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/05/10_6.html
4月27日晴れ。今日は、石川氏と大久保氏にそれぞれ5000万円を渡したという水谷建設元社長が検察側の証人として出廷する。そのためか、久しぶりに傍聴券の抽選が行われた。といっても、一般傍聴席の数が50人強であるのに対して傍聴希望者は60人ぐらいなので、無事当選。東京地裁の中に入る。
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10時開廷。本日の証人である川村尚水谷建設元社長が入廷する。なお、石川氏はこれまで川村氏と会った記憶がなく、今日の公判ではじめて顔を確認するという。川村氏の着席後、検察側の尋問がはじまる。
(── は検察官、「」は川村氏、※は筆者の補足)
── (胆沢ダム関連では)どこに営業に行きましたか?
「受注元のゼネコンと小沢事務所です。(胆沢ダムでは)小沢事務所の影響が強く、嫌われると参入できないことがあると聞いたので、それを止めるために事務所に営業を行いました」
── 小沢事務所の誰に会いましたか?
「大久保氏です」
── 誰に紹介してもらったのですか?
「平成15年11月に、協力会社の社長に紹介してもらいました」
── 大久保氏の反応は?
「印象に残っているのは『他の業者より(あいさつが)遅い』と注意されました」
── その後の営業は?
「なんとか大久保さんに近づいて、会社を認知してもらって親しくなりたいと思いました」
── 大久保氏と親しくなるために何を考えましたか?
「平成15年12月31日にお歳暮のあいさつに自宅まで伺い、手みやげとして松阪牛と100万円を持参して年末のあいさつをしました」
── (大久保氏は)現金を受け取りましたか
「はい」
── 接待はほかにどのように行われましたか
「向島の料亭で4〜5回行いました」
── 大久保氏からの要求はありましたか
「16年9月に協力会社の社長と私とで小沢先生の事務所にお訪ねしたときに、具体的な指示がありました」
── 具体的には
「胆沢ダムのゼネコンが決まったときに5000万、工事の受注が決まったときに5000万の計1億円の要求でした」
── 要求には従いましたか
「はい。平成16年の10月15日に1回目の5000万、2回目は17年の4月中旬だったと思います」
── 1回目の受け渡しの様子は
「東京赤坂のホテルのフロントの前のロビーで、大久保氏がみえるはずでしたが、石川氏が来るとのことでした」
── あなたは石川被告人と面識がありましたか
「はい。パーティーにお邪魔した時や、議員事務所に行ったときに挨拶をしたと思います」
── 石川氏は来ましたか
「はい。石川氏に私の名刺を渡して、フロント前のロビーのソファーに座りました」
── どんな感じで座ったのですか
「フロントの前に椅子がありまして、私と石川氏ははす向かいのような形で座りました」
── その後は
「ご挨拶申し上げて『紙袋をお納め下さい』と言いまして、2〜3分だったと思いますけど、その場でお別れしました。先に石川秘書が出て行かれたと思います」
── 紙袋はどのように渡しましたか
「極力目立たないように紙袋をスライドさせてお渡ししました」
── あなたの行動を示すものはありますか
「JRの領収書とホテルの領収書です」
※検察側は証拠として、5000万円の受渡日前日に宿泊したホテルの領収書、東京─仙台間の新幹線の領収書、東京─名古屋間の領収書を提出。10月15日の仙台─東京間の領収書は、会社が準備したので証拠として提出できるものはないという。
── 次に平成17年4月にわたした5000万円についてお聞きします。受け渡しの日時は
「同じホテルの喫茶店です」
── 具体的には
「一度目(5000万円の受け渡しのこと)は中国出張があったので具体的な日時を思い出せましたけど、平成17年4月は覚えていません。(2度目の5000万円の受け渡しは)協力会社のA社長と行きました。朝、東京支店に出社しまして、A社長がきました。約束の時間に間に合うように(ホテルまで)車でいきました。フロントの出入り口の近くで大久保氏を待ち、3人とも喫茶店に座りました」
── 印象に残っているのは
「(大久保氏は)ヨーグルトを頼みましたので、私も同じものを頼みました」
── 5000万円はどのように渡しましたか
「『約束のものです』とテーブルの下から大久保氏に渡しました」
── 大久保氏の反応は
「『ありがとうございます』だったと思います」
── その後は
「私は30分ぐらいいたと思いますけど、先に大久保氏をお見送りして、私たち2人は東京駅に行きました」
── このようなことをお話しようと思った理由は
「今日お話ししたことは会社にとっても私にとっても都合の悪いことですので、思い起こすことを封印していたと今になっては思います。(証言について)いろいろ報道されていますが、事実でございます。そのために社長を辞任したわけですけど、我が社もお金で仕事を買うということをやめようと、社長時代にしたことを話しました」
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続いて、弁護側の反対尋問。川村氏の証言には矛盾があるとして、問いただす。反対尋問の内容は、胆沢ダムの受注額、受注元のゼネコンとの関係、最終的に水谷建設が得た利益など多岐にわたったが、ここでは主なやりとりのみを掲載する。
(── は弁護人、「」は川村氏、※は筆者の補足)
── 金を渡す前に石川氏と面識があったということですが
「はい」
── (金を渡すときに)携帯電話の番号を聞いたりしなかったのですか
「そのような配慮をしたかどうかの記憶がございません」
── 石川氏とはどこで何回会ったことがあるのですか
「パーティーの席で挨拶したこともありますし、議員会館の事務所でもあいさつしたことがあります」
── 小沢氏のパーティーでは代理を出していたのではないですか
「2回は私が行きました」
── 議員会館で会ったのは何回?
「はっきりとは覚えていません」
── 議員会館以外の小沢氏の事務所に行ったことはありますか
「小沢氏の事務所で行ったことがあるのは議員会館のみです」
※ここで思わず吹き出しながら笑いをこらえる大久保氏の顔が目に入る。石川氏も「そりゃないでしょ〜」といった感じで、軽く笑みを浮かべている。その理由は・・
── それはおかしいですね。石川は秘書時代に議員会館の事務所には常駐していませんよ。何度も会えることはないはずですが
「それは私は存じ上げません」
※補足。現在の議員会館は建て替え工事が終了して部屋が広くなっているが、04年当時の議員会館はスペースが狭く、秘書をたくさん抱える政治家はスペースの確保に困っていたほどだった。そのため、「政界の実力者」と呼ばれる政治家は永田町の近辺に個人事務所を構えていた。小沢氏も議員会館以外に事務所を所有していて、弁護士は、石川氏は議員会館外の事務所で仕事することが多く、議員会館で何度も会ったという証言は信じられない、と主張した。
── 平成16年10月15日に石川氏に5000万円を渡したあと、大久保氏に石川氏に会ったという報告はしたのですか
「話したかどうかはわかりません。確認したかしなかったかの記憶はございません」
── 水谷建設はこういった裏金のやりとりはシビアだったのではないですか
「私はそういう経験が少なかったものですから・・」
以上で午前の部が終了。
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13時20分再開。引き続き、弁護側の反対尋問。
── 水谷建設のウラ金がいくらあったかは認識していましたか
「認識がありませんでした」
── それにもかかわらず、平成16年9月に大久保氏から1億円を要求された時にその場で承知したのですか
「はい」
── 裏金でいくら使えるかを知らずに、大久保氏とお金の約束をしたのですか
「はい」
── (大久保氏に渡した)2度目の現金の授受が4月中旬の9時〜10時となっていますが、4月15日以外に都内にいたことがわかる記載がスケジュール表にあるのですか
「(東京にいたことを)書いていない場合もあるので、この日とは限りません」
── ではあなたは時間はどのように確認したのですか
「レシートを見て確認しました」
── レシートではこの日だろうとわかっていたのに、記憶がないので4月中旬ぐらいだろうと思ってたということですか
「はい」
※補足。川村氏の証言では、大久保氏に渡したという2回目の5000万円の日付は「4月中旬」という曖昧な日付のまま、最後まで確定されなかった。疑問に感じたのは、川村氏は5000万円を渡した時期について「(大久保氏に5000万円を渡した喫茶店の)レシートで確認した」と証言しているにもかかわらず、日付を特定しなかったことだ。一般的なレシートであれば、レシートの発行日付も書かれているはずだが。
その後、弁護側は水谷建設からの裏金は知人に貸し付けるために私的に流用したのではないかなどと問い詰めたが、川村証言を覆すような証拠は出なかった。
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以上で第10回公判が終了。印象としては、川村水谷建設元社長の証言は"陸山会裁判のヤマ場"と言われてきたが、検察側は決定的な証拠を提示することができず、衝撃度は思った以上に小さかった。特に、大久保氏に5000万円を渡したとされる日付は「4月中旬」と語るだけで、日付すら特定しなかったことには驚いた。
おそらく、これまでの特捜事件では、この程度の証言でも「具体的かつ迫真性がある」として裁判所は事実認定してくれたのだろう。しかし、郵便不正事件で大阪地検特捜部の暴走が明らかになり、検察側が描いたストーリーがすべて作り話だったとわかってしまった以上、今回の裁判で裁判官が証人の法廷証言のみで事実認定するとは限らない。言い換えると、陸山会裁判を担当している3人の裁判官が、郵便不正事件で明らかになった特捜部の捜査手法の問題点をどのように評価しているかで、事実認定のされかたも変化してくるのではないか。
なお、次回の公判は5月10日となる。
※一問一答は筆者の傍聴記メモを元に再構成したものです
(《THE JOURNAL》編集部 西岡千史)
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