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ウィキリークスによる外交文書が暴露されたことに関して自民党の石破茂氏が上記のように呟いたという。確かに外交には権謀術数が必要だろう。世界各国との政治的な取引に「クリーン、クリーン」だけでは何もできないのは理解できる。しかし米国はいかに高度な外交機密文書でも30年基準があって、基本的に公開することになっている。
その精神は「政府の執行権は国民から委任された権利に過ぎず、税も使途を国民から付託された行政権に基づいて行うものに過ぎず、基本的にすべての経過は国民に対して公開されるものでなければならない」との政府の国民への帰属意識に基づく。
翻って日本はどうであろうか。愚かにも「鳩山さんはすぐに潰れるから、あんさん簡単に譲歩してはいけませんぜ。ナアニ、辺野古沖が日米合意事項だと突っぱねれば良いんですよ」と日本の防衛官僚が米国の駐日大使の耳元でそう呟く程度のものなのだ。
日本も米国と同様に30年基準を設けるべきだ。すべての国会議員の報酬は国民の税から支払われている。彼らが執行する権利もすべて国民の総意として付託されたものに過ぎない。それなら成果だけでなく、交渉の経過についてもすべてを公開すべきだ。それを石破茂氏のように「公開されては堪らん」というような外交交渉はやらないことだ。
何もかも「政治機密」ということで時々の政府高官が無能にして見識を欠く人物だということが国民に分からないことのもたらす弊害の方が遥かに大きい。沖縄返還を果たした佐藤総理が米国と「非核三原則」を取り結んだというのが嘘だったとバレたが、そうした歴史の審判法廷にすべての政治家がかけられるというのは重要なことだ。
何とかパフォーマンスで誤魔化せば総理の椅子に居座っても構わない、というのがいかに愚かなことか。そして現在もこの国で行われている検察官僚や司法官僚による一人の政治家に対する「いわれなき司法圧力」をかけている悪魔のような仕業も、歴史の法廷で裁かれることになるだろう。
すべての官僚諸君は胸に手を当てて、自分の所業はすべてが公開されても歴史の批判に耐えることが出来るか、よくよく自省することだ。とても愚かなことに首までどっぷりと浸かっているとしか思われない連中の顔が目の前に浮かんでくるが、これは春の野の霞のような幻に過ぎないのだろうか。
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