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2011年5月 6日 (金)
原発事故責任国民転嫁の菅政権東電救済策を糾弾
福島原子力発電所における放射能放出事故は、東京電力が福島原子力発電所の構造設計において、当然に想定しておくべき津波への対応を怠ったことにより発生した人災である。また、国は原子力発電所の運転許可に際して、地震や津波への対応を事業者に義務付ける責任を負っており、事故を発生させた責任は政府にもある。
東京電力が引き起こした原子力事故は、原子力事象国際評価基準において最悪レベルである、「レベル7」に区分された。極めて深刻な影響を与える放射能を発電所外部に放出してしまったのである。
人類史上最悪の放射能放出事故を引き起こしてしまったのであるから、その経済的損失は大きく、東京電力は事故を引き起こした当事者として、その損害を賠償する責任を負う。
この判断の下で、東電による損害賠償の方法を、原子力損害賠償紛争審査会が検討を行っているが、適正な責任処理を行う提案が示されない可能性が高まっている。
原子力損害賠償紛争審査会のメンバーは以下の通りであるが、多くの委員が経済産業省と深い関わりを有しており、経済産業省の意向に沿う提案を示しているからだ。
大塚 直 早稲田大学大学院 法務研究科 教授
鎌田 薫 早稲田大学総長 早稲田大学大学院 法務研究科 教授
草間 朋子 大分県立看護科学大学 学長
高橋 滋 一橋大学大学院 法学研究科 教授
田中 俊一 財団法人 高度情報科学技術研究機構 会長
中島 肇 桐蔭横浜大学 法科大学院 教授/弁護士
能見 善久 学習院大学 法務研究科 教授
野村 豊弘 学習院大学 法学部 法学科 教授
山下 俊一 長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科 研究科長
米倉 義晴 放射線医学総合研究所 理事長
田中俊一氏は原子力委員会委員長代理であり、政・産・官・学・電利権複合体の中心に位置する人物である。
中島肇氏は裁判官出身の弁護士である。
野村豊弘氏は経済産業省所管の産業構造審議会委員などを務めた人物である。
山下俊一氏は、福島の原子炉で仮に爆発が起きても、放出される放射能はチェルノブイリの1000分の1から10000分の1だと断言していた、よく知られている御用学者の一人である。
米倉義晴氏は、独立行政法人の理事長であり、やはり、利権複合体のインナーサークルのなかで活動してきた人物である。
このようなメンバーで構成される審査会が、公正と正義に基づく判断を示すはずがそもそもないのだ。経済産業省が利権複合体の中核メンバーとして、東電救済のスキームを作成し、審査会の委員に根回しして、政府案を決めようとしているのだ。
経済産業省は電力業界と行政と天下りの関係で、深い癒着関係を有している。経済産業省は電力業界への天下り利権を維持しようと考えており、このため、東京電力に適正な責任を求めずに、原子力事故に伴う損害賠償負担を国民に転嫁する提案を検討している。
これだけの重大事故を引き起こし、そのうえ、自分たちの利権のために、電力会社を守り、電力会社の責任を軽減し、国民に負担を転嫁することが通用するわけがない。このようなふざけた提案を、もし、菅政権が示すなら、即刻、菅政権を退陣させなければならない。
これだけの事故を引き起こしながら、なおかつ、大甘の責任処理を行うから、この失敗の教訓が活かされないのだ。
津波の教訓も、マスゴミは、あえて1896年の明治三陸地震津波の事例を隠蔽するが、いまから115年前に三陸で発生した津波で、標高38メートルまで海水が押し寄せたことが記録に残されているのである。
今回の津波では、これを上回る箇所が生じているが、津波の規模としては、ほぼ同規模であったと見られる。この規模の津波が岩手県で観測され、また、多くの地点で15メートルを超す高さの津波が観測されているのであるから、少なくともこの規模の津波を想定しておかなければならなかったことは当然である。
「想定外」の表現は、津波の事実調査を完全に怠っていたことを告白するものであって、免責に理由になりようがない。
菅政権は、電力の安定供給を確保する視点から、東電を債務超過にしないなどとほざいているが、国民にウソをつくことはもうやめるべきだ。
いま問われていることは、経営体としての東京電力の責任を問うのか問わないのかという問題である。これと、安定供給の問題は、完全に切り離すことが可能である。経済産業省が巨大利権を守るために、東電の経営責任を問わないようにするために、口から出まかせの屁理屈をこねまわしているだけに過ぎない。
損害賠償は、まず、東電の資金を用いるべきで、債務超過になる場合には、株式価値をゼロにして全株政府保有にすればよい。一時国有化措置である。そのうえで、企業を再建すればよいのだ。電力の安定供給に支障が出ないように対応すれば、何の問題もない。
株主が責任を負うのは当然のことであり、民間企業の社債である限り、経営が破たんすれば、債券の額面全額の償還が不可能になる場合は当然生じる。
東電社債に政府保証が付いていたのなら、政府が補償しなければならないが、政府保証のない民間企業の債券であるなら、投資リスクは存在しており、そのリスクは投資家が認識していなければならないものである。
今回の事故は重大であり、損害賠償金額もどこまで膨らむかまだ判明しない。場合によっては東京電力が債務超過に陥り、経営体としては破たんすることも考えうる。
ここに原子力利用の負の側面、巨大なリスクのひとつが存在している。事業者が、本当にこのリスクを認識して、これまで原子力利用を進めてきたのかどうか。その点が問われているのである。
ひとたび事故を引き起こせば会社が吹っ飛ぶ。この緊張感をもって、これまで原子力事業が推進されてきたのか。この点を考えねばならない。
ひとたび、問題が発生した時に、再び責任処理も曖昧にすれば、何が起こるのか。それは明白である。
原子力事業の恐ろしさを真正面から受け止めることなく、安易に利益追求、利権確保のために原子力事業に突進してゆくことになる。
だから、絶対に、モラル・ハザード(倫理の崩壊)を引き起こさない責任処理、厳正な責任処理が必要なのだ。
日本全国に54基もの原子炉が存在する。これらの多くが、その安全性に重大な疑問が持たれている。東電が事故を引き起こし、その結果、経営体としての東電が破たん処理に至ったとの現実が存在して、初めて、全国の電力会社経営陣に緊張感が走るのだ。
安易に東電を救済してみるがよい。全国の電力会社経営者は、国民負担の上にあぐらをかいて、次の取り返しのつかない原子力災害を引き起こすまでの間、絶対的な安全対策など、絶対に講じることはないだろう。
政府が検討している案が、公正と正義を欠いていることは、東電の株価に表れている。東電がぎりぎりの負担を強いられることになるなら、東電株価は必ず50円以下に下落するはずである。最終的にはゼロになる公算が限りなく高い。
400円近辺で推移しているのは、政府の大甘東電救済策を株式市場が想定しつつあるからだ。
最終的に決定権を持つのは主権者国民である。主権者国民には、総選挙の際の投票権がある。不公正で不正義な政策運営を行う政権は、主権者国民がつぶす。これだけは間違いない。個別の候補者ごとに、問題処理策に対する賛否を色分けして国民は投票することになる。
福島の子どもたちに発がんの宿命を強制する一方で、事故を発生させた事業者を救済する政府を、いつまでも国民が許すわけがない。
民主主義国家において、主権者国民の公正と正義を求める視点を甘く見てはいけない。国民は菅直人政権の不公正と不正義を絶対に許さないはずだ。
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