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「原発の開発には胡散臭いところがあった。モノは必ず壊れる。でも東電など電力会社は、絶対に壊れないと本気で思っているように見えた。チェルノブイリ事故があったとき、日本では『ソ連の安全に対する意識が遅れていたのが原因だ』なんて言われたけど、日本のほうがよほどひどかったね」 落ち着いた口調で語るのは京都大学原子炉実験所の今中哲二助教(60歳)だ。
原発を推進してきた学者たちが「想定外」という言葉を繰り返すのとは対照的に、今日の福島第一原発のような大事故がいつか起きると警告を発し続けてきた学者グループがいる。彼らはこれまで「異端の研究者」と見られ、テレビや新聞でもほとんど紹介されることがなかった。それどころか、学会では長く冷や飯を喰わされ、研究費や昇進でも明らかな差別を受けてきた。
遅きに失した感は否めないが、今回の事故で、そんな彼らにようやく注目が集まりつつある。原発関係者たちは、推進、批判の立場を超え、彼らのことを「熊取6人組」と呼んだ。「熊取」とは、京都大学原子炉実験所の所在地である大阪府泉南郡熊取町に由来する。つまり、「6人組」はいずれも京都大学の原発研究者として一緒に働いた仲間である。
いまも同実験所に在籍しているのは冒頭の今中氏と、小出裕章氏(61歳) 。二人とも肩書は助教。'01年から'03年に相次いで定年退職したのは、海老澤徹氏(72歳、助教授)、小林圭二氏(71歳、講師)、川野真治氏(69歳、助教授)。そして、1994年にがんで亡くなった瀬尾健氏(享年53、助手=現在の助教)。本誌は今回、存命中の5人すべてのメンバーから話を聞いた。
「すでに引退した身だから」と控えめな口調ながらも、川野氏はこう断じた。「我々は今回のように一つの事象で原発全部がやられてしまうような事故があり得ると指摘していたけど、推進派の人々は何重にも防護しているから安全だと耳を貸さなかった。今はともかく起きている事態に対処するしかないけれど、いずれ責任ははっきりさせるべきでしょうね。これまでは事故があってもうやむやにしてきたわけですから」
原発の危険性を無視し、今回のような事態を招いた原発推進派の人々はいま、どんな思いで彼らの言葉を聞くのだろうか。この「熊取6人組」を詳しく紹介する前に、なぜ、彼らが関係者の間で「異端の研究者」と見られ、ニックネームまで付けられる存在になったかを説明する。
■研究費もつかない
原発研究者の世界は「原発ムラ」などと呼ばれ、基本的に原発推進者ばかりである。電力会社は研究者たちに共同研究や寄付講座といった名目で、資金援助する。その見返りに研究者たちは電力会社の意を汲んで原発の安全性を吹聴する。原発を所管する経済産業省と文部科学省は、電力会社に許認可を与える代わりに、電力会社や数多ある原発・電力関連の財団法人などに天下りを送り込む。さらに、研究者たちは国の原子力関連委員を務め、官僚たちとともに原子力政策を推進していく。
簡単に言えば、原発ムラとは、潤沢な電力マネーを回し合うことでつながっている産・官・学の運命共同体なのである。テレビに出て、どう見ても安全とは思えない福島第一原発の状況を前に、しきりに「安全です」「人体に影響はありません」などと語る学者から、原子力委員会、原子力安全委員会、経産省外局の原子力安全・保安院、東京電力も、それぞれ立場は異なるものの同根だ。
経産省OBが語る。「京大の原子炉実験所も、基本的には原発推進派の人物が多い。現在の原子力安全委員会でも、会見で話す機会が多い代谷誠治氏は、京大原子炉実験所の所長でした。ただ、京大は『熊取6人組』のように、反原発の立場から原発を研究する人も受け入れている。原発ムラの中心にいる東大には反原発の現役研究者は皆無です」
この経産省OBが言うように、原発ムラの頂点に立つのが東京大学大学院工学系研究科のOBたち。たとえば、原子力委員会委員長の近藤駿介氏、原子力安全委員会委員長の班目春樹氏は、いずれも同研究科OB。NHKの解説でおなじみの関村直人氏、さらに実質的に日本の原子力政策を決めている資源エネルギー庁原子力部会部会長の田中知氏は、同研究科のOBにして、現在は同研究科教授といった具合だ。
こうした原発ムラにあって、真正面から異を唱え、原発の危険性を叫び続けてきたのが「熊取6人組」なのである。反原発の立場で研究を続けていくことは楽なことではない。彼らのうち誰一人、教授になっていないという事実が、学内での微妙な立場を物語っている。現在、実験所には約80人の研究者がいるが、瀬尾氏が亡くなり、3人が定年を迎えたことで、反原発の立場なのは小出氏と今中氏の二人だけだ。小出氏が苦笑しながら言った。
「同僚から異端視されることはないけど、京大も国・文科省の傘下にある。その国が原発推進というのだから、傘下の研究所で国に楯突くのは好ましくないという事情はあるでしょうな。嫌がらせを受けたと感じたことはないけど。私もかつては研究費をもらおうと文科省に申請したことがあるけど、審査がまったく通らない。なぜ通らないかは何とも言えませんが(笑)。ああいう研究費って、力を持った教授のお手盛りで決めるからね」
他のメンバーに「反原発」で不自由を感じたことはないかと尋ねたところ、次のようなエピソードが並んだ。
・メディア関係者の取材に同行し、原発関連企業を訪れたが、自分だけ門前払いを喰った。
・科学技術庁(当時)に実験装置設置の認可を得るべく折衝したが、反原発訴訟に関係していることがわかった途端に申請を受け付けてもらえなくなった。
・上司が会合で他大学の教授から「あの6人組はなんとかならんか」と言われた。
そして、出世について聞くと、「今の立場のほうが快適」「昇進できないのは覚悟していた」「気楽にやれるのが一番」などという答えが返ってきた。彼らの口調は淡々としていて、苦労を笑い飛ばすような雰囲気があった。ただ、実際には「ムラの掟」に逆らって生きていくには、相当の覚悟がいるに違いない。
■ずっと助手のまま
立命館大学特命教授の安斎育郎氏は、原発ムラのエリートコースである東大大学院工学系研究科の博士課程を修了した後、反原発の立場で東大医学部に残ったが、助手のまま17年間を過ごした経歴を持つ。安斎氏の証言。
「原発推進派と批判派の溝は深いと思います。原発に批判的な発言をする反体制派だと見なされると、学内でも様々なアカデミックハラスメントを受けた。講演に行けば、電力会社の人間が尾行につく。同じ電車に乗ってくるし、だいたいいつも同じ人間だからわかるんです。講演内容を録音して、私の主任教授などに届ける係の人までいましたから。そうなると研究室でも安斎とは口を利くなということになる。京大の小出さんや今中さんたちのグループも同じような経験をしているはずです。
僕は電力会社から留学を勧められたこともありました。『3年間アメリカに行ってくれ。全部おカネは出すから』って。それほど目障りだったんでしょう。さすがに命の危険を感じることはなかったけれど、反原発で生きていくというのは、そういうことなんです」
「6人組」のメンバーと取材や反原発イベントを通じて交流のあるジャーナリストもこう語る。 「イベント会場に行くと、なかに明らかに雰囲気の違う黒服の人がいたりすることは頻繁にあります。小出さんや今中さんたちはもう慣れっこなのか、現在進行形だから話せないのかはわかりませんが」 原発ムラからの圧力は彼らのような研究者たちだけでなく、メディアにも加えられるという。
たとえば、'08年10月、大阪の毎日放送が「6人組」を追ったドキュメンタリー番組を放送した。その後の騒動について、民放労連の関係者が言う。「番組放送後、関西電力からは『反対派の意見ばかり取り上げるのは公正ではない』という申し入れがあり、局側は『番組の最後で推進派の教授と討論する場面を入れている』と反論したそうですが、関電は納得しなかったのでしょう。その後、しばらくCMを出さなかったと聞いています」
この後、毎日放送では、関西電力の社員を講師として、原発の安全性についての「勉強会」も開かれたという。関西電力サイドは、この件について「放送された番組の内容を受けてCMの出広量を減らした事実はない。講師派遣についても、先方の要請で行うことはあるが、こちらがねじ込んだりしたという事実はない」と否定する。 いずれにせよ、今回の事故が発生するまで原発ムラの産・官・学連合は利権を分け合い、好き放題やって「熊取6人組」など反対派の研究者を虐げてきた。
■何言ってるの? 関村教授
しかし、いまや原発ムラはバラバラだ。彼らがムラを守るために主張してきた「安全神話」は、誰の目から見ても、完全に崩壊した。 「6人組」の一人、海老澤氏はNHKの解説で一躍有名人となった「あの人」の発言にこう苦言を呈した。
「あまりテレビは見ないんですが、3月12日に枝野(幸男)官房長官が記者会見で『1号機の水位が下がった』と言い、重大な事態だという認識を示した。ところが、その後のNHKで東大の関村教授が出てきて、『原子炉は停止した。冷却されているので安全は確保できる』というようなことをおっしゃった。唖然としましたよ。
炉の冷却ができなくなってから100分くらい経つと水位が低下しはじめ、その後20分位で燃料棒を覆う被覆管が溶けて燃料が顔を出す。やがて炉心溶融に向かうというのはスリーマイルの事故報告書を見るとはっきりと書いてある。研究者なら当然知っているはずなんです。関村さんの話を聞いて、『この段階で何を言っているのか』と思いました。隣のNHKの記者もさすがに怪訝な表情をしているように見えましたね」
本誌は関村教授にもインタビューを申し込んだが、多忙を理由に断られてしまった。前原子力委員会委員長代理で、別項で紹介した緊急建言の16人の起草者の一人である田中俊一氏が語る。「いまの状況で『安全だ』という学者は曲学阿世の人ですよ。NHKにしても『安全だ』と繰り返すから、取材に来たときに『そんなに安全だと言うなら、あなた方は(高い放射線量が検出された)福島県の飯舘村に引っ越せますか』と聞いたんですよ。『できません』と答えていた」
田中氏のように原発を推進してきた研究者たちでさえ、いまの原発ムラの状況には違和感を覚えているのだろう。世間も原発ムラの人々の発言の胡散臭さに気付き始めている。対照的に、これまで「6人組」の言い分をほとんど取り上げてこなかった朝日新聞も、原発事故以降、小出氏や今中氏の分析を掲載するようになった。それでも、彼らが原発の危険性を訴え続けていく姿勢は変わらない。
「照明はほとんど使わないんですよ。夜でもね。エアコンももちろんなし。パソコンの画面が明るいから、仕事には支障がない」 そう語る小出氏には仕事をしながらの話でもよければ、ということで京大原子炉実験所研究室で話を聞いた。午前10時なのに薄暗い。「東北電力が女川に原発を作るというのを聞いて、本当に原発が安全なら、なんで電気を一番使う仙台の近くに建てないのかと思ってね。それでいろいろ調べたら、原発はもともと危険を内包していて、都会では引き受けられないから、わざわざ過疎地に作るんだという結論に達したわけ。そうなったら、選択は一つ。反対するしかないと」
福島県飯舘村の放射線量調査から戻ったばかりの今中氏にも、実験所の研究室で向かい合った。「僕は明確に反原発というわけでもない。東京の人が東京湾に原発を作ろうというなら、反対はしないでしょう。それから、6人組という呼び方は嫌いなんです。同じ原子力安全研究グループでいまも活動していますが、思想信条だって違う。ただ、一緒に研究している仲間だと認識してます」
■悲しき御用学者たち
もちろん、彼らはそれぞれに専門を持ち、独自に活動を進めている。それでも、原発ムラに安住し、いまだに根拠なく安全だと繰り返す人々に辛辣なのは変わらない。「みんなおかしくなっているんじゃないか。ただちに健康に影響がありませんというけれど、それは煙草を100本吸ってもただちに影響がないというのと一緒ですよ。基本的に放射線の影響には急性障害と晩発性障害(被曝後、何十年と経ってから影響が出てくる障害)がある。
だから、100ミリシーベルトの放射線を浴びても、すぐに死なないというのは正しい。ただ、晩発性障害をどう考えるのか。それをまったく抜きにして専門家が解説している」(今中氏)
「最近の学者には、国の研究機関から大学に天下ってきた人も少なくない。そういう人は、国の代弁しかしない。原子力というのは巨額のカネがかかる分野で、国の関与がなければ成立しません。だから、この世界でメシを食おうと思ったら、御用学者になるのは必然とも言えます。一般の方は、学者だからそれぞれの考えで発言していると思うかもしれませんが、原子力分野はそうではないんです。
それと原子力安全委員会は何をしているのか。委員長の班目さんはすっかり後ろに引っ込んでしまった。彼には無理だったということでしょう」(小林氏) 「推進派は頭を丸めろということですよ。これまで主張してきたことをどう思っているのか、表明してほしい。何人か謝罪した人もいるみたいだけど、原子力委員会の近藤駿介委員長みたいに、謝罪もせず逃れようとする人もいる。みっともないね。原子力安全委員会にしたって、こんなときこそ仕事をしなきゃならんのに、何してるのか全然見えてこない」(小出氏)
最後に、今後の福島第一原発についての見通しを小出氏に聞いた。小出氏は、 「うまくいっても、安全と言える状態になるまでは最短で年単位。数ヵ月では無理でしょう」 と答えた。
--小出先生のところに「原発をどうすればいいか」という相談はないんですか?
「ありませんねえ。私が答えるにしても、原発をやめなさいとしか言えないし、意味がない。原発を生き延びさせるための提言なんてないんです」 照明が消された薄暗い研究室で、小出氏はきっぱりとそう言い切った。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2462?page=5
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