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爆発を起こした、福島原発大事故災害から一ヶ月以上も経って、菅政府はチェルノブイリ事故と同じレベル7であることを認め、福島第一原発から半径20キロ以内を立ち入り禁止の警戒区域に指定した。だが、汚染の実態について綿密な調査を行って得られた、信頼に足るデータに基づく決定ではなく、原発から半径20キロの円を、ただ地図上で描いて定めたにすぎない。事故当初は80キロとか100キロとか、広げすぎとも見える圏内をいち早く避難区域に指定しておき、事故の規模と汚染の推移が明らかになるのに合わせて、範囲を狭めてゆくという、緊急措置の大ざっぱな網掛けの手法を、事故から1ヶ月以上も経ってから、それもさらに1ヶ月後に広げる「計画」の区域を含めても、せいぜい30キロという、縮小版で採用したのである。
したがって、次々と問題が輩出しているが、そうなるのも、住民の生活実態にも、放射能汚染の実態にも合っていないからである。4月22日の東京新聞には、住民の生活も意欲も無視して、これほどまでも数値の厳守を徹底するのか、と驚くべき実例が、載っている。
>>原発から19.9キロ。ぎりぎりで警戒区域に入ったのは国内有数の有機ゴム薬品メーカー大内新興化学工業原町工場(南相馬市)だ。
「わずか百メートルのために事業再開の見通しが立たなくなる」。震災後も同工場に出入りしていた辻信衛業務部長は危機感を募らせた。「政府は相変わらず地図上の同心円でリスク管理しようとするが、こんなやり方、納得いかない」
原町工場は震災で排水設備などが壊れた。原発事故がなければ、操業を再開させる予定で、避難指示区域にはなっても操業再開を求めて市に陳情を繰り返してきたが、「国からNOの返事が来た」(同社東京本部総務部)。
辻信衛業務部長は「自動車製造で重要な薬品を生産しており、操業できなければ産業界への影響も大きい。地元に残って働く人のために事業を続けたい思いを酌んでほしい。今後も早期再開の陳情を続ける」と強調した。
政府への不満は地元商工会からも上がる。南相馬市の原町商工会議所の鈴木信市専務理事は「原発から19キロの企業に『圏外で営業しろ』とは復興に水を差す」ときっぱり。4月に入り、20〜30キロ圏内では避難先から自宅に戻る人が増え、復興の手応えを感じていた。「わずか数百メートルの違いなら、意欲ある企業に活動を再開してもらった方が復興につながる」と悔しさをにじました。<<
いったい、百メートルの違いに、どれほどの意味があるのか。そもそも、同心円の中心である、福島第一原発の「敷地面積は東京ドーム約75個分と同じくらい、約350万平方メートルの広さがあります」と、東電がホームページで誇らしげに強調するほどの広大さである。中心を敷地内のどこにするかで、百メートルはおろか、千メートルでも二千メートルでも、いくらでも変えられるのである。日本の自動車産業の一翼を担っているという責任感と、地元住民の生活を支えたいという復興への意欲を踏みにじってまでも、守り通さねばならない金科玉条の数値だとは、誰も思わないであろう。
東京新聞が自社の記者を現地に送り、住民の切実な声をすくい上げて報道されたことには、大いに敬意を表しておきたい。なにしろ、「朝日新聞50キロ圏外、時事通信60キロ、民放各局50キロ、NHK40キロ。報道機関が設定した『自主避難区域』である。彼らは早々と安全地帯に逃亡しておいて30キロ圏内の危険性を報道するフリー記者や外国の報道を危険を煽るデマだと批判してきたのだ。馬のケツの穴のような連中だこいつらは。」という、土佐の酔鯨さんの指摘(4月19日17:29:01のツイート)には当てはまらない、ジャーナリスト本来の姿であり、今の日本ではとても貴重な、絶滅危惧種だからです。ただ、欲を申せば、どこから計った19.9キロなのかを問いただし、追求していただけたら、もっとよかっただろうに、とは思いますが。
同一市町村であっても、一本の線で異なる区域に分断してしまうように、生活実態をまるで考慮しないだけでなく、この線引きは放射能汚染の実態にも見合ったものではない。確かに、放射能汚染の広がりは、ごく大ざっぱには、原発に近いところほど汚染は濃く、遠ざかるにつれて薄くなる。けれども、大気中に放出された死の灰は、風にのって運ばれ、雨や雪によって地上に降り注ぐ。そのため、汚染地域は風向と降雨によって大きく左右されるのである。
事実、チェルノブイリ事故でも明らかになったように、汚染地域はまだら模様に広がっており、同心円を描いてはいない。(小出裕章『隠される原子力・核の真実』、図19 チェルノブイリ原発事故による汚染の広がり、61ページ、創史社)。信頼に足る詳細な汚染データをまず示して、住み続けるとどのような危険が起こりうるのか、そして政府は今後どのような支援を行うのかを、懇切丁寧、具体的に説明し、住民の命と財産を守り抜く政府の意気込みを率直に吐露するならば、住民は悲しみ、天を仰ぐことはあっても、それしか道はないことを徐々に受け入れ、涙ながらに納得なさるであろう。住民の方々に正面から向き合う度量も、住民の方々がこれから耐えてゆかねばならない辛い重荷への配慮も感じ取ることができないところに、机上の線引きを押し付けられたのであるから、自宅や事務所、工場が20キロ圏内に在った住民は、納得ゆかないまま移転を余儀なくされ、圏外に在った住民は、「本当に自分たちの所は移転しなくていいのだろうか?」と不安を抱えながら生活することになる。住民の理解が得られるどころか、政府のやり方に対して、ますます住民の不信と不満は募るだけである。
先祖代々、そこで暮らしてきた、かけがいのない故郷を去らねばならない人たち。地震と大津波の猛威に耐え抜いて、その犠牲となられた身近な方々の分までも生きて、美しい故郷をきっと復興させるんだ、とようやく意欲がわき始めたところに、そこを立ち退けと言われた人たち。何ら過失も罪もなく、「自己責任」はゼロなのに、原発の「事故責任」は無限に背負わされてしまうという、究極の不条理を引き受けざるを得ない人たち。 政府は、東電は、そしてマスメディアは、自分たちはこうした人たちに向き合っているのだ、と一度でも思ったことがあるのか。こうした人たちのうつむき気味な眼差しに、慇懃無礼にも嵩にかかることもなく、心底ひるんだことが一度でもあるのか。
一度でもあれば、こんな不信と不満を募らすだけのやり方はできないはずだ。一度でもあれば、政府・東電が飼い慣らしたオウムのように、あんなに淡々と、時には尊大に、政府・東電の言うがままに報道できないはずだ。
仕事を早引けして、お役所からかたじけなくも証明書をご交付していただくために、急いで駆けつけたものの、5時を10秒廻ってしまい、また出直す経験をされた方は大勢いらっしゃるであろう。今度の震災大津波でも、日本のお役所の法令遵守を貫く、筋の通った姿勢は遺憾なく発揮され、早々に外国から救援に駆けつけた医療チームに対して、日本の医師免許を持ってないため、日本人患者の治療は許されず、瓦礫の片付けに回されたことが、先月22日の米紙『タイム』によって報道された。膨大な法令のうちから、どの法令が適用されねばならないかを、極度の混乱時でも素早く的確に見つけだすことができる、日本のお役所の高度な能力と、賄賂や利益供与はむろんのこと、病状の悪化にも微動だにしない、頼もしい法令遵守の姿勢が、全世界に知れ渡ったのである。
ところがなんと、これら数値厳守、法令遵守とは全く反対に、決められていた数値を易々と変えてしまうことを、日本政府自身が行ったのである。すなわち、文科省は4月19日に、福島県に対して、次のように決定し、通知した。(「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な考え方について」)
>>幼児,児童及び生徒(以下,「児童生徒等」という。)が学校に通える地域においては,非常事態収束後の参考レベルの1−20mSv/年を学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安とし,今後できる限り,児童生徒等の受ける線量を減らしていくことが適切であると考えられる。
※1 「参考レベル」: これを上回る線量を受けることは不適切と判断されるが,合理的に達成できる範囲で,線量の低減を図ることとされているレベル。<<
要するに、福島県の保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校に通う子どもたちは、最大で年間20_シーベルト、一時間当たりならば、屋外で3.8マイクロシーベルト、屋内で1.52マイクロシーベルトの放射能に汚染された園舎・校舎および園庭・校庭であれば、原発事故前とまったく同じように、お遊戯やかけっこをし、授業を受け、体育や部活で汗を流して、存分に園生活、学校生活を楽しんで下さい。その範囲ならば、何の心配もいりません。被爆線量を減らす努力は大切ですが、この範囲であれば、非合理的・無理に減らそうとする必要もありません。そういう通知です。そして、被爆線量を減らす努力として、別添で5項目が挙がっていますが、2の「土や砂を口に入れないように注意する(特に乳幼児は,保育所や幼稚園において砂場の利用を控えるなど注意が必要。)」が目立つくらいで、ほかはすべて、普段の注意事項にすぎません。登下校時でのマスク着用の項目もありません。
原子力関係の仕事に従事していない、大多数の普通の大人の年間被爆限度量が、1_シーベルトと定められているのに、放射能被爆の害がもっとも心配される子どもたちの限度量が、いきなり大人の20倍にまで変更されたのである。子供は大人よりも背が低い分、その2乗倍も地表に落ちた死の灰の害を受ける。身長85pの園児なら、大人の20×4倍、何と80倍もの被爆量です。ハイハイの赤ちゃんがお座りして、42,3pとすれば、20×16倍で、大人に比べ、320倍の被爆を、ハイハイで地上10pほどのところで呼吸していれば、20×16×16倍で、驚くなかれ5210倍もの被爆を受けてしまうことになる!!
しかもこれは、外部被爆の場合だけで、赤ん坊や幼児は、何でも舐めて確かめるので、玩具や服、床や土、砂などを舐めてしまう。それらのものに、目には見えない死の灰の埃が付着していれば、体内に入り、より恐ろしい体内被曝を受けることになる。死の灰と体内の組織との距離は、1pの一万分の1である、ミクロンの単位なので、その2乗倍なら一億倍にもなり、しかも長期にわたって一億倍の被爆を受け続けねばならない!!
ついでながら申し添えれば、この決定が拠り所としている国際放射線防護委員会(ICRP)の基準は、より危険な内部被爆を無視した基準です。
線引きについて、数値を金科玉条のように厳守した政府が、また海外からの支援について、国際社会の受けとめ方を一顧だにせず医師法の規定を遵守した政府が、今度は一転して、数値を大きく変えたのは、どういう風の吹き回しなのだろうか。たとえば、
高校三年生が産まれた平成8年、西暦1996年以降の日本の子供たちは、それ以前に産まれた子供たちに比べ、放射能に対して5000倍も、一億倍も強くなったのだ、放射能にめっぽう強い、遺伝子の突然変異が今の子供たち全員に生じている、そういうことなのか。そしてそれはすでに、科学的に証明されてもいる。そこまでの確証がないのであれば、絶対に踏み切ることができない、深刻な結果をもたらす変更である。
チェルノブイリ事故からちょうど25年。結末はまだまだだが、どのような結果がもたらされたのか、徐々に浮かび上がってきている。上杉隆さんによれば、「チェルノブイリ近くのキエフを含めて20歳から25歳の人口がほとんど0に近いのです。皆死んでしまっている。生きてる人もここにチェルノブイリネックレスと言って甲状腺を摘出した手術を若い女性含めて皆持ってます。こうしないんと助からないんです。薬を飲み続けないといけない。」(ブログ英語学習中:20110460 その1)
つまり、事故から5年後までに産まれた子供たちは、成人するまでにはほとんどの者が亡くなった、そういうことです。しかも、チェルノブイリでは10日で放射能漏れを封じ込めたが、福島では、50日経っても漏れ続けており、先の見通しは立たず、深刻さは増す一方。おまけに、チェルノブイリの事故原子炉は1機、福島の事故原子炉は4機プラス2機の6機。福島で進行中の事態は、史上最大最悪の大事故です。
事故対策を比べると、
「チェルノブイリ事故時のソ連の避難基準、1_シーベルト/年を超えると『移住権利』が発生、5_シーベルト/年を超えると『移住義務』。」(gizmo_vs_stripe ギズモさんの4月20日のツイート)。
これに対し、日本は20_シーベルト/年でも 子供は避難の必要はなく、平常通り登園・登校し、砂遊びだけ控えれば心配ない。
日本の子供たち全員に、一億倍も放射能耐性を持った、遺伝子の突然変異が生じているという事象の確率は、それこそ、隕石が原子力発電所を直撃する確率よりも、一億倍も低いでしょう。とすれば、これから5年後、10年後、20年後に、どのような惨状、阿鼻叫喚、地獄絵が、この<うるはしの大和の国>を覆いつくすかは、明らかでしょう。いや、その全貌はどんな想像も超えているだろう、と言うべきでしょう。
今、リビアでは、カダフィ政府が自国民を銃撃、爆撃しています。今、日本では、菅政府が銃撃も爆撃もすることなく、放射能被爆の許容限度の数値をただ上げることだけで、福島の子供たちを先頭に自国民を死へと導いています。目に見える流血の惨事を犯すこともなければ、「直ちに健康に影響もなく」、自国民の体内に死の灰を大量に取り込ませることで、5年でも、10年でも、死ぬまでも、死んでからでも、確実に爆発し続ける、無時限爆弾が仕込まれたのです。一滴の血も流すことのない、悪辣なホロコースト、完全無血のホロコーストです。
永久無時限爆弾は、成長著しく、細胞分裂の盛んな子供たちをまず徹底的に打ちのめしてから、若者、中年、老年へと徐々に魔の手を伸ばしてゆきます。そのタイム・ラグがホロコーストの責任者の追求を困難にします。悪辣な犯行の結果が目に見えるまでには数年、数十年かかり、ホロコーストの責任者と取り巻きは、大勲位菊花賞や桐花賞、旭日賞の名誉に包まれ、日本の危難を救い、隆盛を築いた偉大な功労者として、いつまでも頌えられます。完全無欠ホロコーストはまた、完全犯罪ホロコーストです。
リビアの人口は640万人。かりにカダフィが支持者40万人を残して、自国民すべてを虐殺したとすれば、犠牲者は600万人で、ヒトラーのホロコーストの犠牲者と同数です。「有史以来世界で一番人を殺した人だと思います。それもほとんど自国民」(「スターリンって悪い奴なんですか」に対するfukuoka-genjinさんの回答、yahoo知恵袋)と言われている、スターリンのホロコーストの犠牲者は2000万人です。
これに対して、日本の人口は1億2千8百万人。隠蔽されている極秘データを知りうる特権階級と大金持ちが、これから続々と海外へ逃げ出すとしても、少なくとも一億人以上の日本人は行き場がないので、永久無時限爆弾の犠牲者は一億人を超えるはずです。
ヒトラーやスターリンのホロコーストよりも桁違いに大規模な、史上最大最悪なホロコーストは、1_シーベルト/年を20_シーベルト/年に書き換えるだけで、銃声も爆音もなく、毒ガスも粛清も強制収容所もなく、今静かにスタートしています。「暫定基準」と明記してあるので、今後の推移に応じて、40_シーベルト/年でも、70_シーベルト/年でも、いくらでも次々と書き換えることができます。拠り所としている国際放射線防護委員会(ICRP)の基準は、100_シーベルト/年までOKなのです。
ヒトラーとスターリンは、今ごろはあの世で(地獄とは思いますが)顔を見合わせて、「おい、日本人にはかなわんなぁ。菅に比べりゃ、俺たち足許にもおよばんかもしれん。菅がここに来れば、俺たちはもう地獄で威張ってられないぞ」、そう心配しているかもしれません。
そうはいっても、テレビや新聞で日々見かけるあの菅総理、どこにでもいそうな、冴えないオッサンと、ヒトラーやスターリンをも凌ぐ極悪人の菅直人とはどうしても結びつかない、と戸惑う方も多いのではではなかろうかと思います。人間菅直人については、マスメディアもネットも、連日こと細かに取り上げて、その力量、能力、考え方、性格、好き嫌い、癖にいたるまで報道していますが、人並みはずれた所は、権力欲が目立つくらいなものではないでしょうか。したがって、問題は、どこにでもいそうな、普通の人間が、これほど極悪なホロコーストをなぜ行うことができたのか、ということではないでしょうか。
微力なやつがれには、とても歯が立たない問題ですが、長たらしい拙い投稿を、辛抱強くお読みいただいた阿修羅諸氏へのお詫びとして、北川太一のこの上もないほど素晴らしい注とともに、一編の詩を引用させていただきたいと思います。ちょうど百年前の1911年、明治44年に発表された、高村光太郎の詩です。
根付(ねつけ)の国(1)
頬骨が出て、唇が厚くて、目が三角(2)で、名人三五郎(3)の彫
つた根付の(4)様な顔をして
魂をぬかれた様にぽかんとして
自分を知らない、こせこせした
命のやすい(5)
見栄坊な
小さく固まって、納まり返った
猿のような、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様
な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な(6)日
本人(7)
(1)明治43年12月16日作。前の詩と同時に翌年1月号の『スバル』に発表さ れた。
(2)このあたりの日本人の容貌のとらえ方には、彫刻家としての作者の眼が感じら れる。
(3)三五郎という名の根付作者は見当たらない。昭和4年に出た『現代詩人全集』 では周山と改められている。周山は江戸期の著名な作者で根付彫刻再興の祖と いわれ、怪奇人物などを得意とした。しかし、それ以後再び三五郎が用いられ ているのは、作者がその語調を愛したためであろう。
(4)根付は煙草入れや印籠などに付属する小工芸品で、ひものはしにつけ帯など にはさんで下げるために使う。精巧ではあっても、小さく、せせこましく、す すけたような、この国や人の象徴。
(5)一つの背景として書いておくが、大逆事件というものが起こり、幸徳秋水らを はじめとする社会主義者の一団がとらえられたのは43年初夏のことであり、 秘密裏に裁判が進行し、罪に値しない多くの人々に死刑が宣告されたのは、こ の詩が発表された1月のことだった。
(6)人まねばかりする猿。人をだますずるい狐。けものでありながら空中を飛ぶ奇 怪なももんがあ。どろくさくて喰えないだぼはぜ。群れたがるめだか。こけお どかしの鬼瓦。これこそ全く役に立たない茶碗のかけら。
(7)このたたみかけるように一気に吐き出された痛罵(つうば)は、最後の「日本 人」という言葉にむかってなだれ落ちる。自分もまたその中の一人である「日 本人」の上に。
発表当時、こんなものは詩とは言えないとののしられたというが、この詩は、 今も悲しいまでに読む者の心を打つ。作者はこれもまた見事な詩であり得るこ とを示すことによって、以後の日本の詩に、大きな新しい可能性をひらいたの であった。
北川太一編『高村光太郎詩集』 旺文社文庫 昭和49年発行
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