http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/450.html
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太平洋戦争が終わった直後の1945年、200万人余りの在日朝鮮人のうち約140万人が帰国したが、約60万人は日本に残っていた。
55年、北朝鮮は6・25戦争(朝鮮戦争)による労働力不足を解消するため、在日朝鮮人の帰国を推進した。
日本は58年、在日朝鮮人帰国協力会を結成し、北朝鮮に友好的な態度を取った。
表面的には人道主義を打ち出したが、実際には生活保護対象者の多くを占めていた在日韓国・朝鮮人に対する負担を減らすための「エスニック・クレンジング」だった。
59年2月、日本の内閣は(在日朝鮮人の)帰還を決定した。
韓国政府や国民の反対にもかかわらず、59年12月14日、在日朝鮮人975人を乗せた第1次帰国船が新潟港を出港した。
59年12月だけでも2942人が帰国船に乗った。
61年末までの2年間で、7万4779人が「地上の楽園」を約束され日本を離れた。
第1次帰国船が日本を出発してから程なくして、手紙が途絶えるなど事態は尋常ではない方向に向かっていたが、日本政府はむしろ帰国者の数を週1000人から同1500人へ増やすことを要請した。
帰国事業が終了した84年までに、日本人配偶者約1800人を含む計9万3340人が北朝鮮に渡ったといわれる。
帰国者の多くは韓国出身で、北朝鮮に親族はおろか知人もいないというケースが多かった。
帰国者のうち、相当数は強制労働収容所に連行され、悲惨な生活を送った。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2011年4月30日
http://www.chosunonline.com/news/20110430000050
キャンペーン張ったのは朝日で、実働部隊は朝鮮総連
だから朝鮮人が総連相手に裁判やった
そもそもの始まりは川崎あたりの総連支部
(当時は総連じゃなかったかも)で帰国事業の決議が出されたこと。
さらには港での坐り込みとか実力行使で
「北朝鮮に帰らせろ!」と示威行為を行った。
赤十字の会議でも
「日本と北朝鮮とで合意されたならイイんじゃね?」
と結論が出てます。
ちなみに当時の韓国政府は、
・金はすべて日本が出せ
・船も全て日本が用意しろ
・韓国側は何もするつもりはない
とのたまいました。
次の帰還事業は「南の楽園」だな 笑
>実際には生活保護対象者の多くを占めていた在日韓国・朝鮮人
在日の生活保護は、在特会のネタじゃなくて事実でした。
てことで外国人が生活保護、って段階でおかしい。
ちなみに
【在日朝鮮人の帰還事業】
日本は人道問題として、政治的問題とは切り離して扱い、在日朝鮮人の帰国意思を尊重した。
しかし一方で「厄介払い」の側面もあった。
在日朝鮮人には就労機会の困難さなどから生活保護を受ける者が多く、
1958年10月時点で8万1千人、在日朝鮮人全体の13.3%とされる。
これは日本人受給者の受給率1.8%を異常に上回っていた。
彼らが日本を去ることによって社会保障費を削減することができた。
また在日朝鮮人の犯罪率が非常に高く(当時の日本人の6倍といわれた)、 <−−−−ここ注目
戦後の一時期に在日朝鮮人が日本共産党の指導を受けて
暴動事件をしばしば起こしていたことから、彼らを帰国させることが治安向上につながった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%B8%B0%E9%82%84%E4%BA%8B%E6%A5%AD
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