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「菅首相は役立たずだから外国にいってもらって結構」という米倉弘昌日本経団連会長のホンネ かたや片山総務相は「復興構想会議は財務官僚の仕切り」と怒り {長谷川幸洋「ニュースの深層」 現代ビジネス [講談社]}
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/3226
ゴールデンウィークが始まる。「見上げれば青空に放射能」では気分も晴れないが、菅直人政権の先行きも視界不良だ。それを象徴するような「注目発言」がいくつかあった。読み解けば、先行きも多少は見えてくる。
まず日本経団連の米倉弘昌会長発言だ。各紙によれば、米倉は4月26日の記者会見で東京電力の賠償問題について、次のように語った。
「東電の賠償問題は政府が責任をもって賠償しますと言うべきだ。腰が引けている。国民感情が原子力損害賠償法の適用を許さないなどと行政が判断するのは間違っている。行政が法を曲げて解釈するのは言語道断だ。法治国家にもとる行為で、許してはならない」
『現代ビジネス』読者に詳しい説明は不要だろうが、念のために確認しておくと、原子力損害賠償法は第三条で「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる」としたうえで「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない」と定めている。
東電の賠償責任を決めるのは「政治」
米倉はこの「ただし書き」部分を根拠に「国が賠償に責任を持て」と言っているのだ。ところが、だからといって東電が賠償責任を免れるという話にはならない。東電が出来る限りの賠償をしたうえで、なお足らないなら、そこで初めて国の出番になる。
その際、肝心なのは東電という民間会社の存続が前提にならないという点だ。東電救済が政策目標ではなく、電力の安定供給を確保したうえで被災者に十分な賠償をする、国民負担は出来る限り最小化する。それが本来の政府の役割である。
米倉は東電の存続を前提にしている。金融機関はもちろん多くの大企業が東電の株式や社債を保有している。東電がつぶれれば、株式は紙くずになり、社債も償還されない恐れがある。それでは困るからだ。
東電の賠償負担が小さくなれば、政府の賠償負担が大きくなり、すなわち国民負担になる。東電が賠償負担を10年程度の分割払いにして、電気料金を原資に返済する仕組みにした場合も、電気料金引き上げとなって結局、つけは国民に回る。
そういう基本的メカニズムの下で、米倉のように「国が責任を持て」というのは、すなわち「国民が負担しろ」というのと同じである。
経団連はかつて東電の平岩外四会長が会長を務めたように、もともと東電と関係が深い。東電は身内の超エリート企業である。米倉が東電を擁護するのも当然だろう。
ただし書きがあるのはたしかだが、これほどの事故を起こしておきながら、賠償責任から免れるなどと考えるのは、まったく社会常識から外れている。最後は政治判断の問題になるだろうが、基本は東電の責任を第一としなければならない。
法治国家うんぬんについて言えば、国権の最高機関は国会だ。原子力損害賠償法がどうあれ、いずれにせよ新法で対応せざるをえない賠償問題の行方について、最終的に決着をつけるのは国会である。
経団連会長が菅は無能と烙印
興味深いのは、その次だ。米倉は同じ会見で菅首相についてこう語った。
「間違った陣頭指揮が混乱を引き起こすもとになっている。(連休中の外国訪問について)そういう(誤った指揮を執る)人は(外国に)行っていただいて構わない。ちゃんとした仕事ができる閣僚は日本にとどまって仕事をするべきだ」
よくまあ、はっきり言ったものだ。「菅首相は役立たずだから、外国に行ってもらって結構」と痛烈に批判している。日本経団連は菅政権に愛想を尽かしたと受け取られても仕方がない。
経団連が菅政権を見放しても一向にかまわないが、老婆心ながら、米倉はそれでいいのだろうか。米倉は本来、政権に東電の存続をお願いしなければならない立場である。
菅政権はといえば、この数週間ほど東電存続を前提に原発賠償機構の設立を画策して事実上、東電負担を軽減し国民負担を増やす方向で検討してきた。全体の絵を書いているのは金融機関と東電、経済産業省、財務省である。
金融機関(それに背後の経済界)と東電、経産省は東電負担を最小化し、財務省は国の負担を減らしたいとは思っているが、東電破綻を避けたい点ではみな一致している。そういうパワーバランスの中で、菅がどういう立ち位置をとるかは決定的に重要な鍵を握っている。
そこへ米倉が真正面から「菅は無能」と烙印を押してしまったのだから、菅とすれば「それなら、東電はつぶしてしまえ」となってもおかしくはない。少なくとも「もはや経団連に義理立てする必要はさらさらない」と考えるだろう。
米倉は「東電問題が穏便に片付くまで、一所懸命に菅政権を支えます」と言わねばならない立場だったのだ。そんな理屈もわきまえないで「東電は助けてくれ。でも、お前は役立たずだ」と言うのは、どういう神経の持ち主なのだろうか。
合理的に考えれば、もう東電救済は手の打ちようがないほど完全に失敗した。だから、政権は見放した。でも「言語道断の結論だ」くらいは言わせてもらう、という解釈が一つある。もう一つは単に米倉の配慮が足りなかったという解釈である。
いずれにせよ、もう取り返しはつかない。米倉発言で経済界の東電救済作戦は暗礁に乗り上げてしまったのではないか。したがって、決着まで迷走がしばらく続く。
というより、先の国会審議を考えれば「東電責任を棚上げして国民負担に」などという枠組みは、とても理解が得られないだろう。米倉はまったく不用意な発言をしたものだ。やぶ蛇である。
片山総務大臣のホンネ
次に目を引いたのは、片山善博総務相発言である。片山は復興構想会議について、こう語っている。
「役人が走り回って、復興構想会議の委員たちに『復興財源の税はこうすべきだ』などと根回ししている。政治主導に反し、あってはならないことだ。税はすぐれて政治の根幹にかかわる問題だ。復興構想会議で税制が議論されているのは主客転倒している」
これも額面通りには受け取れない。
復興構想会議で増税を議論するのがけしからんというより、旧自治省(現・総務省)出身の片山とすれば「財務官僚が舞台裏で根回しして、消費税や所得税といった国税の増税路線を既成事実化するのが許せない」というのが本心であるはずだ。
5%の消費税はうち4%が国税分、残りの1%が地方分である。さらに国税分のうち29.5%が地方交付税として地方に配分されるので、実際の国の手取り分は2.82%、地方分は残りの2.18%になる。
地方行政を司る総務省は財務省が主導した増税路線では結果的に地方が置いてきぼりにされ、国税中心の増税になってしまう、とかねて警戒してきた。片山発言もその延長である。要は増税そのものに反対というより、国税中心の増税に反対なのだ。
役人が政府の審議会で走り回るのは、別に財務省に限った話ではない。総務省もまったく同じである。
ともあれ、片山発言で復興構想会議もまた財務省の操り人形になっている実態があきらかになった。それは片山の「功績」と認めよう。
菅政権では増税ができない
では、肝心の増税はどうなるだろうか。どうも先行きが怪しくなってきた。
格付け会社のスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が日本国債の格付け見通しを引き下げたこともあって、財務省はあいかわらず財政危機をあおるのに懸命だ。仙谷由人官房副長官は所得税増税を言い出した。
ところが肝心の閣内で意見がまとまっていない。当たり前だ。3月の鉱工業生産は前月比15.3%も低下して、過去最大の下げ幅を記録した。これから空前の景気悪化が予想されるというのに増税をもくろむなどとは、ありえない政策である。
それくらいは、実は財務省も分かっている。せいぜい復興法案のどこかに「将来の増税」を担保する一言を挿入するくらいが当面の獲得目標なのだ。増税のとっかかりができれば御の字と割り切っている。いまや、それすら難しい情勢だ。だいたい国会がねじれ状況で増税法案が通る見通しは初めから、まったくない。
にもかかわらず、世間に増税話が飛び交っているのは、財務省が大物OBや御用学者、ポチのエコノミストたちを総動員してメディアで大宣伝しているからだ。
つまり当の財務省はダメもとで、のりしろを目一杯用意して増税論を打ち出しているのに、真に受けた人々がその気になって話に乗っている構図である。メディアはよほど、こういう霞が関の世論操縦に敏感でなくてはならない。
それでは実態の3周遅れである。結論は分かっている。菅政権で増税はできない。
では、復興財源をどうするか。ここは議論の真っ最中だ。
私は当サイトの同僚コラムニスト、高橋洋一さんとともに30日未明からテレビ朝日系列の『朝まで生テレビ!』に出演し「激論!東日本大震災から50日!〜今、何をすべきなのか?〜」と題して徹底討論する(http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/)。そこでも、この問題をとりあげるつもりだ。
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