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福島第一原子力発電所で事故が発生した非常事態にもかかわらず東京電力の最高責任者・清水正孝社長が出張先から戻らなかったことが東電パッシングのひとつとなっている。
米ウォール・ストリート・ジャーナルによると清水社長は事故発生の数時間後に急遽、航空自衛隊の輸送機でいったん離陸、東京に向かっていたという。しかし北沢防衛相の指示で、被災者救援のための輸送に自衛隊輸送機が必要と判断、清水社長を乗せた輸送機は引き返した事実が判明した。
これだと清水社長の帰京の遅れを一方的に非難することはできない。清水社長は翌日朝、東京に向かうヘリをチャーターして帰京した。東電側は滞在先から清水社長は事態の対応に当たり、すべての対処は適切だったと言っている。
<【東京】政府は26日、東京電力の清水正孝社長が3月11日の東日本大震災とそれに伴う津波を受けて福島第1原子力発電所で事故が発生して数時間後に出張先から航空自衛隊の輸送機でいったん離陸した後、政府の判断で引き返していたことを明らかにし、被災者救援のための輸送に自衛隊輸送機が必要だったと説明した。
枝野幸男官房長官と北沢俊美防衛相は、26日の記者会見でこの事実を確認。大地震と原発事故発生直後の判断において、著しい重圧と混乱が生じていたことが浮き彫りになっている。
このことからも、東日本大震災発生後、清水社長が出張先の関西地域から同日中に統合連絡本部を置く東京の同社本店に引き返せなかった理由の説明がつく。本来なら清水社長は東電の危機対応チームを率い、原子炉格納容器の圧力を下げる作業(ベント)といった緊急措置を承認するところだ。
清水社長が東電本店に不在だったために、事故発生直後の数時間という極めて重要なときに難しい決断を下すことに遅れが生じた可能性があると一部では指摘されている。
3月12日朝になってようやく清水社長が東京に戻った際、福島第1原発1号機では燃料棒が過熱し、容器内の圧力が危険な水準に達していたが、東電はベント作業を開始していなかった。専門家らはベントの遅れが同日の同原子炉建屋での爆発につながった可能性があると指摘している。
清水社長は先月12日朝、東京に向かうヘリをチャーターした。同社長は滞在先から事態の対応に当たり、すべての対処は適切だったと述べている。
北沢防衛相と枝野官房長官は26日の記者会見で、東電の清水社長による自衛隊輸送機の利用を拒否する判断を擁護し、3月11日夕方までは社長が東京に戻る他の手段があったと主張した。
枝野官房長官は、東電の社長が動けないようなところで立ち往生していたのであれば自衛隊機への要請は理解できるが、「名古屋-東京間は車を飛ばしても走れる状況だった。なぜ、自衛隊に頼んだのか」と反論した。
一方、東電の広報担当者は、先月11日のマグニチュード9の大地震直後には主要な高速道路は閉鎖され、新幹線も走っていない状態だったと言及した。さらに、清水社長は名古屋まで東進できただけだったと述べた。
清水社長は自衛隊に対し輸送機での東京への移動を要請し、担当者らの承認を得て、同社長を乗せた自衛隊機は午後11時30分に名古屋を離陸した。
しかし、北沢防衛相は実際、その10分前の午後11時20分に被災者救援のための輸送を最優先すべきだとして、清水社長の要請を拒否していた。自衛隊の担当者が清水社長を乗せた自衛隊機に名古屋へ引き返すよう命じた。その結果、清水社長は翌朝になって東京に到着した。(ウォール・ストリート・ジャーナル)>
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