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復興よりも先に進む、東電、銀行、財務省を保護する「福島原発賠償策」の異常 1世帯当たり1万7000円の値上げに直結 {町田徹「ニュースの深層」 現代ビジネス [講談社]}
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2765
福島原子力発電所事故の損害賠償(補償)の支援計画(政府案)が明らかになってきた。報道によると、官民共同で新たな「機構」を設置し、この機構が継続的に東京電力の経営をモニターして、必要に応じて資金援助する仕組みをとるという。
しかし、円滑な賠償金の支払いが、この計画の主眼とはとても思えない。むしろ、1.東電の存続を後押しする、2.無担保で東電に貸し込んだメガバンクを保護する、3.財務官僚が嫌う直接的な税金の投入を避ける---の3つこそ、真の狙いではないだろうか。
そして、そのツケは、我々庶民に回ってくる。新聞は報じないが、取材したところ、計画を青写真通りに機能させるには、初年度だけで、1世帯当たり1万6700円程度の電気代の値上げが必要という。その重い負担は、10年以上にわたって継続する見通しだ。
我々日本人は、歴史的にみて、先進国の中で最も高い電力コストを負担してきた経緯がある。にもかかわらず、東日本大震災に伴う景気後退という暴風雨の最中で、震災復興税という"酷税"と、電力の値上げのダブルパンチを浴びせられるというのだ。こんな理不尽な話が認められるだろうか。今こそ、行政を牛耳る官僚と、官僚のやりたい放題を制御できない政府に、「ノー」を突きつけよう。
政府に踊らされたスクープ合戦
文部科学省の「原子力損害賠償紛争審査会」(会長・能見善久学習院大学法務研究科教授)は4月28日にも、福島第1・第2原子力発電所の事故に伴う損害賠償の第1次指針案を提示するという。賠償の対象が決まれば、雲を掴むような状況だった賠償総額の推計が容易になってくる。東電の負担能力が取り沙汰される場面も出てくるはずだ。
そこで、政府は月内にも、東電支援策を作り、閣議決定するという。そうした事情を背景に、新聞各紙は先週から、政府案のスクープ合戦を繰り広げた。
報道に共通しているのが、東電の資金繰りを万全にするため、政府支援の道筋を付ける「新機構」を設置し、国がこの機構に、いつでも現金に換金できる「交付国債」を付与して、東電への機動的な資金供給が可能な体制を整備するという点だ。
だが、この計画に盛り込まれた「機構」とか「交付国債」といった単語は日頃馴染みのないものだ。わざと難解にしたのではないか、と勘繰りたくなるほどだ。
しかも、一連の報道は、絵に描いたようにスクープ報道の弊害が露わだった。報道が我がニュースソースに媚びる競争に陥り、肝心の政府案の問題点の指摘が手控えられる傾向が強かったのだ。
発送電の一体経営を政府が保証
そこで、まず検証しなければならないのが、この計画は、誰にとって都合がよいものなのかという点である。
現行の「原子力損害の賠償に関する法律」(原子力損害賠償法)は、過失の有無に関係なく、原発事故が原因で発生した損害の賠償を、電力会社に課している。その範囲に、上限を設けておらず、無限責任となっていることも大きな特色だ。
半面、同法は、政府の支援に制限的だ。賠償額が、原子力事業の認可条件として加入を義務付けている保険のカバー範囲(1件に付き1200億円、ちなみに、福島は原発が2個所あるので2400億円)を超えて、かつ必要が生じたときに限定しているからだ。しかも、「国会の議決」を条件として、2重に釘を刺している。
ところが、東電はこうした法の精神に反して、自らがどのような形で、いくら調達して、賠償にあたるのか何ら示していない。勝俣恒久会長は17日の記者会見で、「国のスキームがしっかりしていない場合、見通しが立たない。補償の話は、国のスキームを早く決めてから」と述べただけである。
そうした中で出てきたのが、今回の政府案だ。先週末までの報道に共通するのは、政府が官民共同で設置する「新機構」に換金が容易な「交付国債」を貸し付けることと、新機構が必要に応じて東電への援助を行うことの2点ぐらいだ。肝心の東電が自前のカネをいくら投入して賠償にあたるのか、そのためにどういう財源を使うのか、といった点は、ここでも明らかにならなかった。
つまり、東電は、何もしないで、政府の手厚い支援を勝ち取った。東電という会社の存続を保証されただけでなく、これまで通り1都8県の地域独占会社として、発送電の一体経営を続けて行くことも容認されたのだ。
こう見てくれば、明らかだろう。最も得をしたのは東電だ。仮に、賠償のために、会社を解体してバラバラに売却する方式や、会社ごと整理する破たん処理、さらには日本航空(JAL)型の国有化などが断行されていれば、東電は跡形なく消えていた。だが、東電は、そういう議論をなんなく封じ、「安定供給」の美名のもとに、生き残りを果たそうとしている。政治力の健在ぶりを見せつけた。
次に、露骨なのが、この計画が、当面、税金を投入しない計画に仕上がったと評価する論調だ。これは、財政負担の増加を避けたかった財務官僚の思惑と見事に一致している。
加えて、今回の計画は、東電以外の電力会社に、新機構への資金拠出負担を負わせることを盛り込んだ。将来の事故にも対応可能にするためと言うが、拠出額を巨大にしなければ、そんなことは不可能だ。むしろ、この負担拡大の狙いは、電力会社にも負担を負わせることで、財政への負担を一段と軽減することにあったとみるべきだ。
メガバンクが巨額融資に踏み切った理由
3番目に得をした人を探る手掛かりは、震災直後に、ビジネスの常識を無視して、気前よく東電に巨額の資金を融通した人たちの存在だ。3行合計で1兆9000億円の無担保融資に踏み切ったメガバンクと、同じく1000億円の融資を実行した日本政策投資銀行である。
もともと会社整理の際には、銀行融資は債権としての回収順位が低い。加えて、各行は震災後、無担保融資を大盤振る舞いしていた。つまり、破たん処理や国有化が起きていれば、貸し手責任を問われ、大半が債権カットの対象になる。銀行経営者にとっては、経営責任を追及されかねない失態と言える。ところが、政府案で、問題債権の回収に目途が立った。
実際、以上の点について、電力関係者の中には、今回のスキームは、「(以上の)財務省、東電、メガバンクの3者に、経済産業省が加わって作り上げられたものだ」と明かす向きがあった。
派生的に、東電の株主がメリットも見逃せない。破たん処理や国有化に伴う100%減資などを免れたからである。東電株は、積み立て貯金感覚で毎月資金を貯めて株式に投資する「累積投資」の対象となる例が多い。結果として、極端に個人株主が多いのだ。それだけに、上場廃止や減資を憂慮していた証券界にとっても、政府案は喜ばしい内容と言える。
ただ、政府案の議論の過程で、金融関係者の間に、東電の社債がデフォルト(債務不履行)に陥るとして、破たん処理や国有化の反対の論拠にする向きが多かったのは見苦しかった。東電債は、約5兆円の発行残高があり、毎年2000億円前後の新発・借換債が出ているが、ほぼ全てが発電所などを担保にした債券であり、デフォルトリスクは皆無に等しかった。
しかし、政府案は、関係者全員が得をする、そんな魔法のような存在なのだろうか。本当に、このスキームで機能するのだろうか。
残念ながら、答えは否である。というのは、この仕組みは、前提に明らかな無理があるからだ。
その詳細を明かす前に、各紙の報道を紹介しておこう。
「一時的に東電の支払い能力を超えることが考えられる。この場合、東電は、機構あての優先株や借入金で調達資金を支払いに充て、その後、毎年の利益から配当金や借入金の返済の形で、機構に返済し続ける。東電の返済については毎年1000億円、10〜15年とする案を軸に検討している」(4月20日付 読売新聞朝刊)
「東電の年間利益は1000億円程度で補償負担が東電の支払い能力を超えると電力供給に支障が出かねない。このため、年間の負担額については収益も勘案して一定の上限を設ける」(4月20日付 日本経済新聞夕刊)
「東電は、利益から設備投資資金などを除いた余裕分を機構に返済していく。機構はこの返済分を国庫に返納するので、すべて国に返済されると最終的な財政負担は発生しない仕組みだ」(4月21日付 朝日新聞朝刊)
といった具合だ。要するに、今回の計画は、東電が毎年1000億円程度の最終利益を確保できることを前提にしている、と報じているのだ。従って、本当に、東電がこの利益を確保できるのか、という点が焦点になる。
何もしなければ3000億円も赤字に
東電の収益の推移をみてみよう。なるほど確かに2009年度は、本業で2844億円の営業利益を稼ぎ出し、税引き後の最終利益でも1337億円を確保した。
ところが、その前の2年間は惨憺たるものだ。2007年度に1501億円の最終赤字、2008年度に845億円の最終赤字といった具合なのだ。原因は、2007年7月16日に起きた新潟中越沖地震にある。柏崎刈羽原子力発電所が運転休止に追い込まれ、原発よりもコストの高い火力発電所をフル操業するための石油とガスの燃料購入代金が膨らみ赤字に転落してしまった。
勘の良い読者なら、もうわかったはずである。
燃料コストの膨張は、今回も避けて通れない。東日本大震災によって、福島の2つの原発が事故を起こして、当分の間、運転再開が見込めないからだ。
ある電力会社関係者を取材すると、そのコストが驚くほど巨大だという事実が浮かび上がってきた。
新潟中越沖地震後の休止が続いている柏崎刈羽原発の2、3、4号機の運転を再開できないところに、今回の福島原発の事故処理が加わり、これを火力発電に置き換えるとなると、営業費用が2009年度に比べて5000億円程度も膨らむというのだ。つまり、何もしなければ、東電は3000億円程度の最終赤字に陥ってしまうのだ。
そこで、政府の計画に話を戻そう。赤字を回避して、政府の賠償スキームを維持するために必要な利益を確保しようとすれば、大幅な電力料金の引き上げが避けられないという現実が浮かび上がってくる。
ちなみに、東電には3000万弱の契約者がいる。これには大規模な製造工場から、我々のような庶民の家庭まで含まれるが、単純に値上げを均等に負担すると仮定すれば、1世帯当たり1万6700円程度の値上げが必要になる計算なのである。
新聞はニュースソースに配慮してあえて触れないのだろうが、政府案を狙い通りに機能させるためには、この程度の値上げは避けて通れない。しかも、一端上がった電力料金は、少なくとも10〜15年以上引き下げが見込めない可能性が高いのである。
本来は8年間、値上げは不要のはずだが
値上げがこれほど高額になるには、もうひとつ理由がある。賠償資金を、これから東電が稼ぐ収益の中から賄おうとしていることが元凶なのだ。
東電に限らず、電力会社は「安定供給」の美名のもと、一般企業のような市場競争を免除され、地域独占体制の中で発電と送電を一貫体制で行う発送電の兼営を行い、これまで膨大な収益をあげてきた。原子力の安全神話の構築に多額のコストをかけても、有り余る収益を確保でき、膨大な内部蓄積を積み上げることができたのだ。
東電で言えば、会社を丸ごと売却する際のひとつの目安になる総資産が2010年3月末で13兆2000億円に達する。
このうちの純資産(株主資本)は、2兆5200億円だ。その中には、株主総会の承認を得れば取り崩せる資本剰余金(6800億円)や利益剰余金(1兆8300億円)といった内部留保が含まれる。
原子力事業のために巨額の積み立てをしていることも見逃せない。六ヶ所村などの使用済みの核燃料の再処理施設の建設資金や、寿命を迎えた原発の解体に備える狙いがあったからで、その残高は、使用済燃料再処理等引当金が1兆2100億円、使用済燃料再処理等準備引当金が360億円、原子力発電施設解体引当金が5100億円となっている。
これらは、経済産業大臣の許可さえ受ければ、賠償に転用が可能なストックだ。福島原発事故を起こし、従来のような原発の積極展開が難しくなる中で、こうしたストックを温存しておく必要があるだろうか。
これらの過去の遺産の中から、直ちに4兆円前後を拠出して賠償に充てても、東電が債務超過に陥ることはない。もちろん、電力の安定供給も維持できるはずだ。
4兆円と言えば、それだけで、少なくとも8年前後は本稿が指摘した値上げを不要にする資金だ。なぜ、これをまず、賠償にあてないのだろうか。
過去の遺産のうち、使用済燃料再処理等引当金は、国債で運用されているはずだ。わけのわからない交付国債などというものを持ち出さなくても、この引当金の転用ならば、換金は非常に容易である。
資産を売却しても電力の安定性にはなんの問題もない
資金の効率運用の観点から、その他の内部留保がこれまで、全額がキャッシュで保持されてきたとは思えない。
が、東電のように豊富な収益の確保を約束されてきた企業が、その大半を懐に貯め込んだまま、新たに賠償のための支援を政府から受け、そのツケを国民に回すというのは、常軌を逸した行為だ。
まず、過去の蓄積で自己責任を果たすべきである。もし、その拠出を妨げるような官僚や政治家がいれば、それは国民共通の敵である。
今回の取材の過程では、地域独占や発送電の一体経営の見直しを行うためには、「疑似国有化や国有化を行って会社を解体しないと、運転中の発電所の売却は困難だ」というわけのわからない主張もよく聞いた。が、これが説得力のある議論とは考えられない。
というのは、慎重に電力事業経験のある企業を選んで売却すれば、ある日を境に所有者が変わるという資産売却も何の問題もなく実施できるはずだからである。関係者の中から、そういう可能性を是認する証言を得た。
地域独占や発送電の一体経営の見直しはやや専門的な議論だ。今なお根強い要求があり、その哲学が間違っているとは思わない。
しかし、今回、関西電力や中部電力まで念頭に置いて、直ちに電力行政の転換を強いるのは、いたずらに話を複雑にして混乱を招くだけではないだろうか。
そういう議論は、憲法が保障した財産権を侵すものだとの法廷闘争を呼ぶ可能性が高く、今回の福島原発事故の賠償の大幅な遅滞を引き起こすリスクがあるからだ。筆者はあちこちで主張してきたが、まずは、被災者への日々の生活補償を、次いで本格的な損害賠償を急ぐべきである。
ただ、もし東電が賠償の必要に迫られて、自らの意思で発電所や送電網を売却するというのであれば、それは民間企業・東電の自由意思として尊重すべき判断である。
発電所の売却により、東電は潤沢な賠償資金を調達できるし、発電に競争が導入されれば東電の事業コストそのものが引き下げられるメリットも期待できる。
そうしたことを電力行政が阻むとすれば、これほど奇妙な議論はないだろう。今回のように、東電の自助努力を待たずに、いきなり救済策を持ち出すことも、東電の思考を停止させるものであり、阻むことと同じぐらい罪深い行為である。
まずは、東電の自助努力を促すことこそ、政府に期待される使命である。
安定供給と東電の存続は別問題だ
その具体的な手法については、4月5日付の本コラム「東電は国有化より、メキシコ湾BP型ファンド創設で速やかな対応を」で私見を示したので、興味のある方は参考にしていただきたい。
最後にもう一度繰り返すが、今回のような政府支援は、あらゆる手を講じた後、「最後の最後の手段」として、考慮が許される話だ。
今回のように「税金を投入しない」と強調し、あたかも国民の利益を守るようなプロパガンダを新聞各紙を通じて展開しておいて、実際は東電や銀行を手厚く保護して、庶民を泣かせる値上げを騙し打ちで強行するようなやり方は、国民の政治、政権、官僚不信を招く行為である。
仮に、政府が支援に踏み切るときは、電力の安定供給に配意する一方で、モラルハザードの観点から、東電という企業の存続を許してはならない。安定供給と東電の存続は別の問題だ。
あわせて、100%減資による株主責任の明確化や、大幅な債権カットによる貸し手責任の明確化も、政府支援に国民の理解を得るためには避けて通れないステップになる。
税金であれ、電力料金の引き上げであれ、庶民の財布はひとつであり、騙し打ちは決して許されない。
菅総理、首相就任時に「サラリーマンの子が総理になった」と喜びの気持ちを語ったことを思い出していただきたい。あなたならば、わかるはずの論理である。
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