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http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/04/post_256.html
3月11日の大震災発生前に窮地に立たされていたのは菅総理とアメリカ政府である。菅総理は「政治とカネ」の問題で辞任を要求され、アメリカ政府は日米関係を根底から揺るがす危機に追い込まれていた。国務省のケビン・メア日本部長が日本に対するアメリカの「本音」を暴露したからである。
メア発言はアメリカ政府にとってウィキリークスに匹敵する衝撃度をはらんでいた。それを裏付けるようにアメリカ政府は直ちにメア部長を更迭し、上司であるキャンベル国務次官補が来日して謝罪の言葉を述べた。ルース駐日大使も沖縄に飛んで仲井真知事に謝罪した。
メア発言は「沖縄はゆすりの名人」という見出しで報道された。それも問題だが私の言う「本音」はそこではない。メディアは問題を沖縄に限定して日米関係の本質的な部分を隠している。問題は以下の二点である。
まず沖縄に関して、「もともと田圃の中にあった基地の周りに沖縄人が移り住んで都市化した。伊丹空港や福岡空港と危険は同じなのに普天間を世界一危険な空港と主張し、建前と本音を使い分けて日本政府から金を引き出そうとする。沖縄はゆすりの名人である」と発言した。
その上で「日本国憲法を変えることはアメリカの利益にならない。憲法9条を変えられたらアメリカは日本の土地をアメリカの利益のために利用できなくなる。また日本がアメリカに払っている高い金も受け取れなくなる。アメリカは日本に関して良い取引を得ている」と発言した。
沖縄が日本政府から金を引き出すために建前と本音を使い分け、したたかな交渉を行う様は守屋武昌元防衛事務次官の『「普天間」交渉秘録』(新潮社)にも描かれており、交渉相手となる日米両政府は煮え湯を飲まされ続けてきたことが分かる。腹立たしい思いが「ゆすりの名人」と表現させたのだろう。
しかしこれは沖縄にとって自衛の手段である。そもそも沖縄戦で上陸攻撃を行った海兵隊は終戦と共にいったんはアメリカ本土に引き上げた。それが再び日本に配備されたのは朝鮮戦争の勃発による。その時海兵隊が置かれたのは沖縄ではなく本土であった。しかし1952年に日本がサンフランシスコ平和条約によって独立すると、国民の在日米軍基地に対する反発が高まり、日本の至る所で反基地闘争が起きた。
冷戦の始まりを受けて、日本を「反共の防波堤」と位置づけたアメリカには在日米軍基地が死活的に重要だった。しかし日本国民の反米感情の高まりでアメリカは窮地に陥った。そこで海兵隊基地を沖縄に移すことを考える。沖縄がアメリカの施政権下にあったからである。
こうして57年に海兵隊は沖縄に移り、次第に本土の米軍基地が減り沖縄の基地の比重が増していった。沖縄は日本政府に救いを求めたが、外務省は施政権がアメリカにある以上口は出せないとそのままにした。72年の本土復帰によって沖縄は本土並になる事を望んだが、基地はむしろ固定化されてしまった。だから日米両政府を手こずらせる「ゆすり」はこれまでの経緯に対する沖縄の抵抗なのである。
メア発言の重要部分はむしろ後段である。日本に憲法9条を守らせることがアメリカの利益であり、日米関係はアメリカにとって良い取引だという部分がアメリカの「本音」である。つまり日本を自立させなければ、アメリカは日本の土地をアメリカの利益のために利用し、さらに日本から金を引き出すことが出来ると言っているのである。
無論そのためには日本が攻撃されれば、アメリカ軍は日本を守るという建前になっている。しかし現実に軍事攻撃された事がないので本当に守ってもらえるかどうかは実証されていない。私は日本を守ることがアメリカの国益に合致すれば守るが、不利益だと思えば守らないだろうと思っている。同盟とはそういうものである。
アメリカの核の傘があるから日本は守られていると言う論もあるが、日本が自ら核を持つことをアメリカは認めない。中国が核を持つことをアメリカは容認し、インド、パキスタンが核を持つことも認めた。北朝鮮の核も事実上認めたようなものである。アジアにそれだけの核保有国を認めても日本には認めない。認めると良い取引が出来なくなるからである。
その問題に目が向けられる矢先に大震災が起きた。アメリカにとってアメリカ軍の存在を日本国民に認識させる最大のチャンスが訪れた。まさにアメリカの国益がかかっていた。大々的なオペレーションを行うのは当然である。アメリカは2万人の人員と艦船20隻、航空機160機を投入し、自衛隊と協力して行方不明者の捜索や物資の運搬に当たった。更迭されたはずのメア氏がオペレーションの中心を担ったという。
福島原子力発電所の原発事故に対応するため海兵隊の専門部隊CBIRF(シーバーフ)も派遣された。この部隊は核兵器や生物化学兵器に対応するために作られたが、作られたきっかけは日本の地下鉄サリン事件である。あの事件を日本人はカルト教団の宗教的な問題と捉えたが、アメリカは冷戦後に起こりうる安全保障上の問題と考えた。
1995年に地下鉄サリン事件が起きた時、上院軍事委員長を務めていたサム・ナン上院議員(民主党)はこれを冷戦後の新たな脅威と位置づけ、議会調査局の調査員をオウムの支部があったロシア、オーストラリアなどすべての国に派遣し、各地の実態を調査させた上で、CIA、FBIなどを議会に喚問して3日間の公聴会を開いた。
当時日本の国会でもサリン事件は取り上げられたが、これを日本の安全保障上の脅威と捉える視点はなく、議員から質問された警察幹部は「捜査中につき答弁を差し控える」と言うだけで事件の詳細が国会で明らかにされる事はなかった。
ところがアメリカ議会では日本の警察が発表しない事実まで公表され、CIAやFBIが「答弁を差し控える」などと言うことはない。私がこの公聴会のビデオテープを自民党の国会議員に見せると、捜査機関が答弁拒否をしないことに感心し、「うらやましい」と言ったが、安全保障上の問題と考える姿勢はまるでなかった。安全保障に対する日本の鈍感さを強く感じた。
今回の大震災を見て私は日本の国防意識が問われていると思った。大災害から国民と国土を守る事はまさに国防である。しかしこれまでこの国はそうした意識で非常事態を想定していただろうか。原発事故への対応を見るとき特にその事を感ずる。想定していなければならないことを想定せず、対応すべき専門部隊も見えない。にわか造りの対策本部では責任の所在も曖昧である。
アメリカ軍のトモダチ作戦には有り難いとしか言えないが、、しかし菅政権は自民党時代でも減少傾向にあった「思いやり予算」に歯止めをかけ、支払期間を3年から5年に延長した。これから1兆円近い金がアメリカに支払われることになる。トモダチ作戦は無償の支援ではない。メア発言が問題になっていれば減らされていたかもしれない金額がトモダチ作戦で増額されたのである。
日米同盟の深化を強調してばかりいると、自力で国民と国土を守ることを想定し、そうした体制を構築してこなかった国家の問題を曖昧にすることになる。それよりも安全保障に対する感覚を研ぎ澄まし、あらゆる災害から自力で国民と国土を守る体制を作ることこそ復興のプロセスではないか。
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