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日本人が「和をもって貴し」を尊重し過ぎると「陽はもう昇らない」
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2011年04月25日 | 日記 :世相を斬る あいば達也
こんなネガティブな見出しを書いていいのだろうか?と思いつつ今日のコラムを書くことにする。大震災以降の出来事を思い返しながら、幾分筆者の情緒や感性に委ねながら書き連ねてみようと思う。ゆえに論理的には矛盾も出てくる。(笑)気にせず読み流すことをお薦めする。
かつて京極純一氏が同氏著書「政治意識の分析」の中で ≪ 日本人の中間層の政治的行動様式を、≪ 「結社」を合目的的に作り、自律的に維持してゆくことが、積極的評価をうけず、正統でないと消極的に忌避されること ≫ そして ≪ 政治事件に対しても即物的客観的な分析よりも雰囲気的反応の方が先に立つこと ≫、以上二つの流れの中で、≪ 「和」――いかに停滞していても秩序と安定と――を大切にする反闘争性がある ≫ と看破している。
つまり、合理的に物事を解決することを望まず、避けながら、社会全体に流れる空気に協調的だと云うことである。仮に理屈上納得が出来ないことでも、事象でも、雰囲気が右であれば、自分も右であるかのように振る舞うと云う事だ。
ここで京極氏の言葉を引用したのは、特にそのような日本人を批難する為ではない。集団で生きる日本人の文化的知恵であり、農耕を中心に生きてきた縄文人のDNAであり、「和をもって貴しとす」は日本文化の美点である。しかし、重大な弱点であることにも着眼せざるを得ない時代を迎えている、と云う事が言いたいのだ。
この民族としての美点及び弱点が、この失われた20年、否、戦後の60数年の間の中央集権国家の礎になってきた。政治家は選挙のごとに顔ぶれが替わり、解散総選挙に脅え、明日はタダの人になる綱渡りをしている。ゆえに、ドンと腰を据え国家的政策実現に向かうことすら怪しくなる。それでも国家は動く。それが官僚制度であり、国民も最低限の生かさず殺さず程度のオコボレを恵んで貰う国家体制が中央集権国家の特徴である。
その官僚の政策を国民に知らせ、わかりやすい解説をつけるのが、官僚制度同様に替わることがない金魚の糞・ジャーナリスト達が巣食う、記者クラブ系マスメディアと云う図式だ。 中央集権国家体制を維持するには、官僚体制とその広告宣伝を行うメディアが存在すれば基本的に成立する。ゆえに、我が国おいても、此処だけは極めて強固なのである。
この垂直統合システムは、システム故に、目には見えない。多少頭の運動が求められるが、余程の人でもない限り、読み解くことは可能だ。しかし、残念な事に我が国の国民はビジュアルな情報伝達に馴染み過ぎ、そのほとんだがテレビと云う政府と云うか官僚機構の誘導する情報を聞かされることになる。垂直統合システムにおけるマスメディアの場合、これにスポンサーと云うタガまで被せられる。
統計によると、国民の7〜8割の人々が政治経済社会情報をテレビから得ている。それも、その情報を面白おかしく、時にはおどろおどろしく伝えてくれるキャスターと呼ばれる電波芸者の口から聞かされ覚えてしまう。マスメディアのこれら番組では、垂直統合システムなど教えてくれる筈もなく、唯々諾々と中央集権の餌食になっていくのだ。特にそれだからといって、彼らに生活上の支障が起きなければ、どうでも良い別世界の出来事だと思っている人々は驚くほど多数を占める。
しかし、それで良いのだ(幾分騙されていても良い)と思っている国民が相当数居るのが現状だ。ゆえに、愚民と揶揄されようと、彼等の耳には入らない。 現代人がどれほど情報発信のツールを手にしていても、迂闊に自分の意見を言って除者にされるのを忌避する傾向は変わっていない。村八分と云う幻影に酷く臆病な民族でもある。この従順にして臆病で卑怯な国民は、本当に支配者にとっては都合の良い国民ということになる。
周囲の多くの友人知人にも、「復興税は仕方ない」が蔓延している。筆者が「デフレ不況と震災原発で増税かよ。間違いなく大不況が起きるだろうな」と言うと、反応が鈍る。なにも筆者の意見に賛成でも、反対でもないのに反応が鈍る。実は彼等は怖い話を聞きたくない性癖まで持っているのだ。気づかないうちに通り過ぎてくれないかと心の中で念仏を唱えているようだ。
福島原発事故解決の工程表も信じたがる傾向を持つ。願望であっても、良い兆しの方向に自分のポジションを置き、ひとまず安心しておきたいのだろう。現場従事者が放射能を浴びながら、更なる放射能漏れを阻止しているは認める。しかし、現実はもっと厳しい見方が妥当だろう。
現在は3月11から15日にかけて爆発的に漏洩した放射能は止められている。ゆえに、当然空中放射線量が下がり安定するのは当たり前のことである。しかし、肝心の原子炉内の燃料棒はいつでも臨界するぞと原発を脅かしているのであり、何も改善に向けて進んでいるわけではない。筆者などは、単なる小康状態だと思っている。東電は一切原子炉を制御出来ていない。
良く言えば立派な国民なのだ。和を尊ぶ精神は世界に類を見ない点でも貴重だ、世界に誇ることも可能だろう。しかし、時代は国境なき経済構造の中で動き出している。動物的狩猟民族が植物的農耕民族の玄関を入り、茶の間で寛いでいるのだから、和をもって対応することが困難な時代を迎えてしまったのである。今さら鎖国も現実的でない以上、和の精神を、どこでどのように使うべきか、或いはどこで怒りだすべきか、自己主張、乃至は権利を主張すべきか考えて貰わないと、中央集権構造の中で、先ずは弱者が苦しみ、次に中間層が苦しみ、最終的には官僚もマスメディアも道連れに沈没する可能性は非常に高いと危機感を憶える。
菅政権が今後継続するのか、崩壊するのか判らないが、今の既存政党の枠組みを維持し、挙国一致政権が出来ても意味はないだろう。たいした事は出来ない。垂直統合システムを打破する方向性を出さない限り、国民が今より幸福感を味わう可能性より、苦痛を味わう可能性の方が高い。
筆者は国民の怒りが本当に沸点に達するのは何時なのだろうかと思うし、場合によると沸騰しない民族なのだろうかとも思ってしまうのだが、あきらめずにもう暫く国民の優しくも力感に満ちた怒りを待とうと思う。怒りを抑える自制の前に、「ことなかれ主義」が支払う代価は大きい、と気づいて貰いたいものだ。きづく気がない国民である場合は、もう言葉を見失う。
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