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もっと地道な<知的作業>を
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2011年04月24日 21時55分33秒 | 01 小沢一郎篇
・・・・・・・・・・・冒頭部省略
今日の地方選の結果を得て、
小沢派議員たちによる「打倒菅内閣!」の動きが活発化するらしい、
と、読売新聞にも、ネットニュースにも書かれていた。
僕は、政局とは距離を置いた生き方を自分に課してきたので、
政局のいちいちについて言及する気はまったくないが、
この倒閣運動だけは、
成功するにせよしないにせよ、
少し苦々しく眺めている。
本会議で、小沢派議員の何人かが、投票を欠席したり、反対に回ったりしているが、
僕は、その闘争手法に、大きな疑問を感じている。
大震災から、今日で1ヵ月半ほど経った。
僕たちの眼にも、その間の中央政府の対応は、まずい、と映った。
それは確かだ。
しかし、だからといって、
政府の不手際を「不手際だ!」という点からだけで責め殺す手法は、
この未曾有の大惨事の渦中では、大衆に通用する手法ではないのではないか?
という思いをもってきた。
僕は、一貫して、
今回の大震災と原発事故は、過去の経験則では推し測れない事態だから、
小沢一郎とか菅直人とか前原誠司とかいったことはまったく関係なく、
政治の主導権を握りたいと願う政治家は、すべからく、
早急に、具体的かつ創造的な<東北復興ビジョン>を国民に提示し、
そのビジョンの優劣によって国民からの支持を競うべきであって、
それ以外には、大衆の、特に東北地方の人たちの支持を得ることはできない。
と主張してきた。
そんな意見は僕ばかりではなく、
今日のネットニュースでは、連合の会長か何かも、
<復興ビジョン>の提出を求める発言をしていた。
そういう観点からこの一ヵ月半を眺めてきた僕にとって、
ここ一ヵ月半の小沢派議員たちの闘争姿勢は、
「時代認識の錯誤も甚だしいものだ」、としか見えない。
それは、小沢一郎を好きだとか嫌いだとかといった次元とは、全く別の話だ。
僕は、
心ひそかに、
小沢一郎が、走り書きでもいいから、
彼ならではの、創造的な<東北復興ビジョン>を公表することを、
何故か信じてきた人間だった。
彼なら、きっと、そうしたビジョンを、東北の人たちに、国民に、明示するだろう。
現在のこの日本において、彼だけが、それをできる政治家だ。
そう信じて、この一ヵ月半を待ってきた。
僕は僕の直感である、
<時代>は、3月11日に、小沢一郎の眼の前を、無慈悲に素通りしていった、
という思いを、確信のように信じてきて、
小沢一郎がもう一度<時代>を取り戻すためにどうあるべきか、
ということだけを考えて、この一ヵ月半を過ごしてきた。
その道は困難ではあるが、その困難を克服しない限り、
小沢一郎が<時代>を奪回することはむつかしい、
と思ってきた。
そして、僕の得た結論は、
そのためには、
どうしても、彼の手による明確な<東北復興ビジョン>を提出しなくてはならない、
という一点だった。
その内容は、
官僚作成の<東北復興ビジョン>とは次元を異にしたものではなくてはならず、
例えば、
東北地方における原発を、今後、全部廃炉とするのかしないのか、
廃炉とした場合、それを補う火力発電所を、どこに設置し、経済振興とつなぐのか、
また例えば、
放射能汚染の不安から生じた東北地方太平洋岸の漁業の困難を補うために、
政府が目指してきた観光立国日本の進路と東北復興策を、どう密着させていくか。
そんなことを、
具体的に、また10年20年の長期的照準で、明示すべきだ、と思った。
そのような優れた<東北復興ビジョン>を提出して初めて、小沢一郎は、
凡百の陣笠政治家とは違った特異性を国民に見せつけることができ、
「やっぱり小沢一郎しかいないな」
「この国の将来は、小沢一郎にゆだねるべきだな」
という思いを、多くの国民に抱かせることができるのだ、
と思ってきた。
仮に、
多忙を極める小沢一郎に書く暇がなかったら、
小沢一郎の政治理念を継承する小沢派議員たちが総出で、
知恵のありったけを出し合って、小沢一郎の名で公表したっていいのだ、
と思ってきた。
例えば、
小沢派には、中塚一宏という優れた政策通政治家がいる。
僕は、彼の優秀さを高く評価してきた一人だが、
そうした優秀な人材を多くかかえながら、
彼らの頭脳を集結させて、やれば可能であったにもかかわらず、
何故、大勢の小沢派議員たちは、
この一ヵ月半の間に、
具体的な<東北復興ビジョン>を書き上げる努力を捨てて、
昔ながらの単純な政争に向かったのか。
遠慮を捨てて言わせてもらうと、
僕の期待する地道な知的作業を、この一ヵ月半、誰もしなかった。
政府案に反対や異議を申し立てるのは一向に構わないが、
しかし、そうした時には、自分たちの「包括的ビジョン」を出すべきであって、
それ無しの、その都度その都度の「不手際だから反対」という「反対のための反対」は、
自民党政権時代の万年野党の反対姿勢そのものだとしか言いようがない。
そんな「政争のための反対」を、
こともあろうに、小沢派議員たちが率先して行なうその姿勢に、
僕は、うそ寒いものを感じた。
僕は、小沢一郎について書いてきた男として、声を大にして言わせてもらうが、
小沢一郎とその仲間たちが一番の優れた点は、
「小沢自由党」によって、
この国に、初めて、<政策政党>を立ち上げたことだった。
「古ぼけた理念政党ではなく、政策政党を!」
と訴えた小沢一郎の主張に感動したから、
僕たちは孤独な小沢一郎を強く支持してきたはずだ。
なのに、
今、一番政策(復興ビジョン)が問われなければならないこの時期に、
具体的な<復興ビジョン>を出さずに政局作りに奔走する小沢派議員たちの姿は、
そうした僕たちの期待や<時代の要請>を踏みにじるものでしかない。
そんな稚拙な闘争で、<時代>は、棄てた小沢一郎をもう一度振り返るのか?
これまで、<時代>は、小沢一郎を優しく扱っててきたわけではないだろう。
彼らは、何故、こんな単純な事実に気づかないのか。
僕には、それが、不思議でならない。
今、10時だ。
NHKの選挙速報を覗いたが、まだ、大勢は見えていない。
どんな結果になるのか、僕にはわからないが、
どちらに転んでも、それなりの政争は起こるだろう。
僕は、
それらについて、距離を置いて見つめていきたい、
と考えている。
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