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菅政権は災害復興財源により国民に災害を広げようとしている。それは無策増税・高負担社会実現という災害だ。高速道路に関しては六月を目途に1000円割引も無料化実験もすべて止めて3500億円の財源を復興へ回すという。子供手当も増額予定部分を止めて従前の公約の半額で維持しようとしている。
民主党は高速道路の有料が地域間輸送障壁となり国内物流を阻害しているばかりでなく、地域の交通安全と環境をも悪化させている、との判断から高速道路利権の温床ともなっている「有料」を廃止するとしていた。しかし菅政権は国交省と財務省の官僚たちに寄り切られたのだろう。すべてを止めて政権交代以前のよりも前の状態へ戻すことに決めたようだ。自民党以上に自民党的だといわれる所以だ。
子供手当は将来の国家像をどう描くかにも波及する問題だ。特殊出生率1.34をいかにして2.01へ近づけるか、に腐心し策定した政策だったはずだ。将来のない高齢評論家が「ばら撒きだ」と批判の的にしているが、人口減社会の抱える問題に解決の途はない。人口減により地域社会の崩壊は被災地の日常的な問題だった。そこに今回の悲惨な災害だ。被災地を離れた人たちが復興後に元の町へ戻るのかという議論が大きく影を落とすのは時間の問題だろう。
子供を産み育てる世帯に手厚く処遇する社会が常識にならなければ、純粋に経済的に判断するなら「子育て」は見合いの少ない大型支出だ。一人の子供を育てるために家庭が支出する総額と、その夫婦が子供たちから直接受ける経済給付が見合うのか、というと決して見合わない。ただ親子の情から苦労を買ってでも子を産み育てるのだ。
しかし親子の情そのものを煩わしいと厭おう人たちにとって苦労だけの子育てを放棄したとしても自由な選択だ。自分たちの稼ぎを夫婦だけで消費した方が楽しい。面倒な子供という怪獣と付き合うのは真っ平だ、という人たちにとって子育てはしたくない「対価なき労働」と映ったとしても仕方ないだろう。
せめて、日本は国家として子育てに苦労する若い世代の経済的負担の一部でも援助しよう、というのが「子供手当」だ。子育てを労働とみなせば経済的援助だけで見合うものではない。子育ては一面「体力勝負」でもある。若くなければできない過酷な労働だ。しかし、それに見合う親子の絆が過酷な労働を通して深く醸成され感じられるから子育てを通して親も成長する。そうした偉大な価値を認めない老評論家が「子育ては個人の問題だ」とバカな論評をする。子育ては国家の問題なのだ。
菅民主党はこの国をどうしようとしているのだろうか。官僚のハンドリングのままに、高負担の暮らしにくい社会を実現して、特殊出生率をさらに引き下げて将来は隣国からの移民を大量に仰いで、ついには乗っ取られても良いと思っているのだろうか。災害と原発事故で減少したとはいえ、現在でも200万人近い外国人が日本にいる。それが6000万人になったらどのような社会になるだろうか。
決してタワケタ空論ではない。現在のまま少子化が進めば百年後には日本人は半減し、必ずそうなって日本文化は消滅するだろう。またそうしなければ現在の日本が保有する社会インフラの維持・管理はできない。社会のコストをだれかが担わなければ国土は荒廃し、社会は崩壊するのだ。
民主党は官僚の目先の政策に毒されてしまった。一日も早く似非民主党政権の菅氏に退陣してもらわなければならない。被災地の復興は人口減社会崩壊に苦しんできた地域社会の復興でもある。そうした高遠な哲学が菅氏とその仲間にあるとは到底思えない。もちろん偏差値バカの官僚たちにも高邁な哲学はない。小沢氏の出番を仰ぐしかないだろう。
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