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発信箱:オンボロ神輿の矜持=倉重篤郎(論説室)
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20110421k0000m070155000c.html
毎日新聞 2011年4月21日 0時23分
中曽根康弘政権が誕生する直前、当時の最大派閥・田中派の有力幹部の間で論争があった。今から29年前のことである。
「あんなオンボロ神輿(みこし)を担げるか」と難色を示したのが金丸信氏。党内第4派閥という弱小勢力の領袖(りょうしゅう)で風見鶏とも呼ばれた中曽根氏の評価は、今ほど高くはなかった。「ボロ神輿なら修繕して担げばいい」と反論したのは後藤田正晴氏だった。
結局担ぎ続けること5年。この間中曽根首相は田中派の固い政権基盤に支えられ行財政改革や国鉄民営化をやり遂げた。
さて、早くも退陣論が出始めた菅直人首相のオンボロぶりは、いかばかりか。確かに支持率は低迷し、やることなすことけちがつく。「パフォーマンスが過ぎる」「対応が遅い」「役人を使い切れない」……。
ただ、これらの批判が今ひとつ説得力を持たないのは、神輿替えの大義と手段を欠くからだ。危機管理の未体験の領域に対し自分ならこうする、こうできた、という反省と実績に裏付けられた重い批判がない。特に、原発制御・エネルギー政策については、大半が自民党政権下で推進されたものであり、そのことの総括なくして根源的な批判になりえようか。また、辞める気のない首相を退陣に追い込む唯一有力な手段として、内閣不信任案の衆院可決(過半数は241)を狙うには、民主党会派(306)から70人程度が不信任可決に回る必要があるが、とてもその情勢にはない。
ボロでも神輿だ。なぜ、修繕して使おうという発想にならないのか。足らざるを補い、出過ぎたものをただす。昔の保守政治には奥行きと寛容さがあった。もちろん、神輿の側も矜持(きょうじ)が求められる。自らのボロぶりを自覚、役割を終える時期を定め、日々全力をあげること。それが伝わればおのずと担ぎ手も増えてくる。
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