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■ 朝日新聞「ウェブ論座」に下記の原稿を寄せた。
● .「白河以北一山百文」の地の「復興」とは?
だが、自分の原稿よりも、朝日新聞の小出清人記者が書いた記事が目を引く。
● 東北はまたも「中央」の踏み台か――維新以来の怨念の歴史
一部を引用する。
「そうか、あいつは敵か。そうか……」
福島県出身の友人が、酒を飲んだときに小さく漏らすようにいった。冗談のようでもあり、半ば本気のようでもあった。
菅直人総理は、選挙区は東京だが、生まれ育ったのは山口県である。高2の時に父親の転勤で東京に転居したとしている。もともと「長州の人」なのである。
福島県、つまりざっくりいって江戸時代の会津藩は、幕末から維新の転換期、大変な目に遭わされた。長州と薩摩を中核とする官軍は、徳川慶喜の降伏(大政奉還)後も責め手を緩めず、江戸を火の海にはしなかったものの、幕府側に立つ諸藩を「賊軍」と決めつけ倒滅戦に動いた。その最大の犠牲者が会津藩だった。会津の苦難は白虎隊をはじめ多くの書物に記されている。
もう150年前のことじゃないかというなかれ。やられた側はその時の恨みを忘れない。先祖の苦難は親から子に伝えられ、いや、教えられなくても、自然と意識の下に刻印されるのだ。
記事に紹介された「奥州の怨念」を雪斎は理屈の上では肯定しない。
国民の中に「断絶」を作るような議論を雪斎は悦ばない。
だが、感情の上では、雪斎は、この「奥州の怨念」のことをヴィヴィッドに理解する。
現在の「白河以北」において、菅直人の評判は、世良周蔵に類するものかもしれない。
世良は、幕末の長州藩士で、官軍参謀だった。
江戸城無血開城後、何とか穏便に済ませようとした奥州諸藩に高圧的に接し、「奥羽皆敵」という密書を官軍本陣に送った。
このことが奥州諸藩を激高させ、彼は、福島宿で遊女と同衾中ところを仙台・福島両藩士に捕縛され、斬首された。
後日、官軍は、世良の斬殺に対する報復を口実に、奥州に攻め込んだ。
そして、此度は、菅直人の「無能」が、「白河以北」の地を痛めつけるわけである。
菅直人は、自分の内閣を「奇兵隊内閣」と呼んでいた。
なるほど、そういう感覚である。
それならば、「奥州の怨念」などは、本当のところは判るまい。
現在のように、拙劣な対応が続くと、それ自体が「意図せざる悪意」のように映ってくる。
「復興」の文脈で何よりも先に出てきた話が、何故、「財源」論なのか。
そういう議論は、重要なことであるとはいえ、「先に出てくる話」ではない。
「復興のビジョン」が先にあって、それに応じた費用が出てきて、そのあとに出てくるのが、「財源」論なのではないか。
前に触れた記事で、小出記者は、「あいつは敵か…」という奥州人の菅直人に対する慨嘆を「冗談のようでもあり、半ば本気のようでもあった」と評した。
菅直人と世良周蔵を並べた雪斎のエントリーで示したのも、 「冗談のようでもあり半ば本気のようでもある」議論である。
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