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原発事故は文明災
小幡績 アゴラ 2011年4月16日
http://agora-web.jp/author/sobata2005
復興構想会議で梅原猛氏が述べた言葉だ。
わが国の首相は極めて愚かだと思っていたが、わが国の知識人代表といわれる人々は、その首相以上に愚かであることがわかった。
しかし、ある意味天才だ。
なぜなら、原発事故は、まったくそのとおり、文明災なのである。
原発事故は福島第一原発の周辺の住民と土地に甚大な影響を与えた。100年入れない、永久に人が住めないとなれば、かつてあった社会は崩壊するするから、これは大変な事件だ。
しかし、この事故を社会的事件、経済的事件に変えたのは、文明人たる人々であり、すべては人災なのだ。
死者が出るとすれば、今、放射能処理と現場で戦っている人たちだけだ。そして、彼らは黙って戦っている。
一方、風評被害を広め、避難している住民の年内の見通しを奪い不安にさせているのは、すべて知的な人類だ。メディアというものを作り上げた文明人達、そのメディアで人々を不幸な方向に扇動する文化人、知識人たちだ。
我々の文明と文明人というものがいかに愚かであるか、示したのが今回の事故であり、こんなものが文明なら文明などないほうがましであるし、文明というのは災いを作り出すものだ、という意味で、彼の言葉は彼の意図とは別に真実である。風評被害はファクトに基づかない。人々が過剰反応しているだけだ。避難している人々。一瞬たりとも立ち入りが出来ないわけではない。実際原発で戦っている人々がいるのであるから、妊婦、乳幼児を除けば、防御をして、短時間家に帰るのは可能であり、騒ぐ前に、それを淡々と順番でこなせば良いだけなのだ。それを一律に退避させ、永久に入れないようなことを言っているのは、愚かな政府であり、その政府の措置が甘すぎると全く必要のない人々も強制的に退避させようとアジテートしているのが、いわゆる知識人なのだ。
自分達が作り上げ、自分達の国家をゆだねた政府を信用しないのは自由だが、その政府が出した情報をもとに推測を加えた他国政府の意見を信じて、生活を破綻させるのは、個々の人々の行動だ。メディアにより遥か遠くから映像で眺めて推測できるようになったのも文明のおかげだし、そのコメントを世界中から取り寄せることが出来るのも文明のおかげだし、誤った情報をあっという間に広めて、人々マインドコントロールを可能にするのも文明だ。
足元で言えば、政府の言うことは信じず、メディアで勝手にコメントしている有名人の妄想を信じるのも文明人としての振る舞いなのだろう。
文明がない時代は、我々は、本能に基づき、自分だけで判断しただろう。文明とは人間の行動をここまで進歩させるものなのだ。
東京の人々の恐怖はSF小説を読んで日本が沈没すると思っているのと同じだ。
この恐怖をいろいろな心理的要素でもっともらしく説明することは出来るだろう。そして、社会的には、原発は絶対に安全だと言っていたあるいは言わされていた人々も、それを鵜呑みにしていた、あるいは鵜呑みにしたかった人々も、文明というものを維持するために、それらの行動を行っていたのだろう。
原発は絶対に安全だ、ということはありえない。絶対はない。常にミスはある。
原発は最も危険なものだ。それは考え方による。
一番の問題は、文明社会として、無謬性神話を信じなくてはいけない社会構造を作り上げたことにある。
真実は文明があろうとなかろうと変わらない。予想していない、あるいは予測できなかったことは常に起こり、最悪の事態の可能性は常に有る。そのときの備えもそのときのための議論も出来なくなっていたことが問題なのだ。
そして、わざわざ文明の下に作り上げた原発というものを、大きな失敗により様々なことを学んだ我々が、いままでよりは安全にあるいは事故が起きたときに今までよりも的確に対処できるようになった時に、これを捨て去ることは当然と思うことが、現代文明なのだろう。
そして原発事故は最悪の事態を迎えると地球が壊滅するというチャイナシンドロームを危惧していたことからすれば、実際起こるダメージはやや違ったものであることがわかったというのが、本来の文明の進歩というものだと思う。
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