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災害から復興する町や村の構想に関して話し合う、とはどういう意味なのだろうか。そこに暮らしてもいない人たちが机上の空論を話し合い、イベントなどで稼いだ経験から人が暮らす空間もイベント並みに考えようというのだろうか。
しかも、菅首相は原発論議は避けるように、と会議に注文をつけたという。何んということだろうか。福島県民をはじめ、原発の立地している女川町の人たちが町の復興を議論するときに原発問題を除外することはできない。そこに暮らす人たちの「安心・安全」なくして復興はありえないからだ。
さも中央に人材と叡智を集めたから、地方はそれを参考にすべし、とするかのような中央が地方を見下げたような会議の名称と政府の態度が良くない。中央政府は会議を重ねるよりも一日も早く復興予算を通して地方自治体へ送金することだ。
どのような方式で復興するかは地方が決めれば良い。菅氏のいう「高台にエコタウン」を創造するのも一提案だ。しかし断っておくが高台に造る町が「エコタウン」ではありえない。なぜなら海辺から毎日高台へ移動するにはエネルギー消費は避けられないからだ。
海洋資源を利用してきた人たちを海から切り離すのが良いのか、という議論はその地域の人たちに任せれば良い。高いスーパー堤防を築くも良し、海辺の津波シェルターたる鉄筋の頑丈な集合住宅に暮らし、見回り品の買物は江戸時代の床店の感覚で平地に展開する商店街で良いだろう。
津波と共に暮らし人命と暮らしの拠点だけ守るという発想だ。いずれにせよ、すべての案には一長一短がある。その取捨選択はその地域の人たちが行うことだ。断じて中央政府ではない。押しつけがましい会議は無意味とは言わないまでも、一つの提案に過ぎないし、お歴々の面々を集めて会議するほどのものなのか、と思わざるを得ない。
ただ、復興構想会議が早くも「復興経費は国民が負担すべき」と増税を議長が提言している。後先が転倒した議論で、財務省の臭いふんぷんたる発言だ。復興よりも景気後退を促すつもりなのだろうか。名の売れた人たちを集めれば何とかなると考える菅氏の発想の貧困さには呆れるしかない。
東北を知らない人たち、そこで暮らしていない人たち、そこの文化や風俗を知らない人たち、その町で行われてきた祭りやしきたりを知らない人たちが、箸の上げ下ろしに言及する僭越さを感じ取らない人たちを横柄という。官邸で話し合われる「復興会議」にどんな意味があるのだろうか。
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