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2011年4月13日 (水)
今回の震災では、官僚的な規制により迅速な支援が妨げられたことが多々あったようです。
震災発生直後には、孤立した避難民に空からの救援物資投下ができない法律の存在が取りざたされましたが、ぞくぞく来日した海外の支援が、官僚的規制の壁で拒絶されるケースが続出したようです。世界中で称賛された国民の民度の高さですが、臨機応変な対応ができない”木を見て森を見ない”日本の行政のお役所体質は顰蹙物であったようです。
重箱の隅をつつかれても耐えうる、法との整合性のつじつまあわせを第一に考え対応できるのが一人前の行政マンらしいですが、なにか間違っています。
そもそも何のために法があるのかといえば、人の助けになるためにあるわけで、法とのつじつまあわせが第一になっている時点で、間違っているんじゃないでしょうか?
補助金の申請書類などでも、工事の完了報告書類などでも、形骸化した無駄な作業を感じることが多いですが、もっと本質に立ち返り、大枠でものごとをとらえる、常識的な発想が重視できる知恵のある行政マンであってもらいたいものです。重箱のすみをつつくことに病的な喜びを感じるような行政マンは退場願いたいものです。
以下、ネット上の記事から、日本の官僚の杓子定規なアホさ加減をまとめてみました。個の機会に表面的な法のつじつまあわせよりも、法の趣旨を重んじる運用ができる知恵を身につけた行政マンが増えてもらいたいものです。
エピソード1・・・”ラターシャに魅せられて”より
”ガソリンを提供しようとした米軍に対して、
「関税課税されてないガソリンの無償提供を認める法律が無い」
などとして、被災者への提供を拒んだ財務官僚。
はるばる来日した外国人医師たちに対し・・
日本の医師免許が無いことを理由に、
国内での医療行為を禁じた厚生官僚。
海外から送られてきた、高血圧などの薬品類も
厚生労働省の倉庫に山積されてるそうです。
「国内認可されてないから・・使用させるわけには行かない」
そうです。”
エピソード2・・・”産経ニュースネット”より
”東南アジアのある国は、毛布を数万枚送ると申し出た。だが、日本政府はサイズ(80センチ×80センチ)を指定し、送られる予定の毛布が20センチほど「規格」に合わないとわかると、受け入れに強い難色を示した。「規格外」の毛布は、すったもんだの末にようやく日本に届けられた。
日本政府から救助犬の派遣を真っ先に要請され、それに応じて送り出そうとした矢先に「待った」をかけられたケースもある。その際の説明は「空港での検疫に1カ月かかる。1週間に短縮できるが、救助犬をその間管理できない」(支援を申し出た国の高官)だった。結局、この国の救助犬が日本の地を踏むことはなかった。
コメ数万トンの援助を事実上、断られた例もある。送る予定のコメは日本人の口には合わないだろうと、もち米を交ぜる工夫も施されていた。しかし日本政府は「国内に余剰米がある」と回答。すでに空輸準備が終わっていた一部を除き、日本には届けられなかった。
食料品を送ろうとして「食品安全基準のチェックがされていない。日本語の表示ラベルもない」と、拒否された例もある。”
引用以上
実情に合わせた臨機応変の対応能力がないというのは、役所仕事のお約束ですが、放射能の問題でも、”地理的実情を考慮せず、県単位で農産物の出荷制限を行って”、いたずらに風評被害を拡大させたのではないかと思います。
上級公務員試験には地理感覚を問う問題がないのかもしれませんが、福島原発近くで基準値を超えたからといって、福島県産を出荷制限する発想は、さんざん自衛隊のイラク派遣の必要性を論じておいて、世界地図でイラクがどこにあるか示せなかった自民党山本一太参議院議員なみの地理感覚です。(ちなみにイラクは地中海沿岸にあると思い込んでいたようですw)
福島県の会津若松の距離が東京都と甲府の距離より離れている、途中に標高1000〜1500の山岳地帯が二つもあるなどなど、放射能物質の汚染の被害を考える上で福島県というくくりが妥当性に欠けていたのは明白な事実です。(放射性物質の拡散リスクは、地理的に福島の会津よりむしろ関東地方のほうが高い)
東京在住の中央政府の人の感覚では、ひとつの県の広さというのは埼玉とか神奈川くらいのイメージなんでしょうが、福島県ひとつで、神奈川・東京・埼玉・千葉合わせたくらいの面積があります。東北各県はどこも面積がおおきいんですが、そんなこともあまりにも知られていないようです。
今回の震災の復旧が進まないのも、中央政府の地理的な距離感の欠如が原因かもしれません。
面積的にいえば東京から高知まですっぽり入るくらいの距離の沿岸部が壊滅的な被害にあっているわけですから、半端な話ではありません。ちなみに阪神大震災の被災地域の面積は、福島県の一部にすぎない浜通りくらいの面積しかありませんから、過去の先例にとらわれない大胆な政治判断が求められると思います。
最後に、いまだに悲惨な状況を脱していない被災地の現状と、現実離れした遠隔地の行政機関の無粋さが伝わる文章を発見しましたので引用させていただきます。
以下引用
(石巻の避難所の医師からのメール)要拡散!
”石巻にて、怒りと悲しみを込めて
亀田総合病院 小野沢です。
先月29日から石巻に入っています。4月6日、遊楽館という避難所で当直をしていました。
ある男性が、苦しそうだと言われ、診察をしました。すでに呼吸停止、共同偏視があり、何か大きなイベントが起きたことは明らかでした。救急車の到着は30分後、彼は泣き崩れる妻の脇で口から血を流しながら息を引き取りました。
湊中学という避難所に行きました。リウマチの女性が手首を腫らし、痛みに耐えていました。受診の手続きを取りましたが、彼女はその避難所から沖縄への移住を希望しました。沖縄は県をあげて受け入れをしていると、あるMLで知ったからです。沖縄の担当者に連絡をすると、『罹災証明申請書のコピーが必要です』『沖縄の受け入れは、災害救助法ではなく県の予算なので、5人まとまったらはじめて飛行機に乗れます。飛行場までは自分できていただく必要があります。そこでチケットをお渡しします。』『申込書はインターネット上から、書式をダウンロードしていただき、印刷して書きこんでください』と、担当官に告げられました。非常に困難な条件で、少なくともパソコンをプリンターを持った援助者と、飛行場までの足、罹災証明書の申請を行うために市役所に行くという手順をその足が腫れた女性が手配しなければ不可能なのです。責任者の方とお話ししましたが、埒があきませんでした。
湊中学は、瓦礫の中にあります。入り口にはニチイのデイサービスセンターの車が3台、見るも無残な形で横付けになり、津波に洗われたホコリとヘドロがそのままになっています。そこでは避難途中の方がかなりの数亡くなられたとのことです。近辺には人影はまばらで、地震から1ヶ月ほどたった現在でも、車が家に突き刺さり、魚の腐った匂いが立ち込めています。湊中学避難所には電気も、水道も、下水もありません。便はダンボール製の看護師手作りの便器にして捨てています。一ヶ月経とうと言うのに。
果たして、これを市の職員が中心になって解決できるのでしょうか。
彼らも罹災しているのです。明らかに疲弊しきっています。毎日、市民から多くの非難をあびながらの仕事です。
あまりにも広範です。あまりにも人数が多すぎます。未だに、自宅避難者の詳細も分かっていません。
市内の3地区の在宅避難者の調査をします。ボランティアを東京、千葉、宮城などから60名集め、市の保健師さんに情報をもらいながらの仕事です。しかし、市内のごく一部なのです。このデータが市全体の被災者の推計に使用でき、少しの被災者のためになり、そして一番には今後の計画の助けになればと考えての行動です。
ふと、これは私の仕事だろうかと思うことがあります。
国会議員の皆さん。是非、立ち上がってください。やっている、と思われるのであれば、そのやり方がどこか間違っているのです。上手くいっていません。非常事態宣言を地区を限定して発するのもひとつの方法でしょう。
とにかく、物事が遅きに失しています。”
引用以上
無駄な建前に縛られてきた”お役所仕事”から脱却すべき時なのだと思います。
シンプルに”必要なものはなにか?”ということを積み重ねていって、どうでもいいような規則・規定はスルーする大胆な発想が求められているのではないでしょうか。
名古屋の市議会リコールも、”無駄な建前優先の議会はいらん!”という市民の意思表示だったと思いますが、震災復興を”脱建前主義=脱お役所仕事”の流れを全国に拡大する機会にするべきだと思います。
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