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ぼくが、なにか書くと余計なことになってしまいそうなので。
転載責任:みちばたの蝶=井ノ子俊一@長崎県島原半島
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では早速転載します。
転載元 http://blog.goo.ne.jp/segawakousuke/e/55e3631fb332efc03db1e888dede60aa
2011年04月11日 00時46分39秒 | 11 時事問題篇
往復書簡@ 往信(世川行介から 三上治に)
大義には生きない卑小をこそ
三上治さま。
山田恭暉さんの『福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト結成へ向けて』、そして、 三上さんの『届いている提言と行動について』、拝読させて頂きました。
それについて、若干の思いがありましたので、便りをしたためさせて頂きます。
お二人の提言を拝読して、最初に僕が感じたのは、
「この提案は、美しい。
美しすぎて反論のしようがないな」
といったものでした。
おそらく、僕以外も、その提言の正当性に、誰も反論しないだろ、と思いました。
何故なら、これほどの惨状を眼にして、この提言に異論を唱えることは、ただ今現在の日本においては、「非国民」と呼ばれてしまいかねないからです。
それほどに、この提言は、美しく、まっとうであり、非の打ち所がありません。
しかし、三上さん。
だからこそ、
「読んだ誰もが反論のしようのない美しさだけに、この提案に100%賛同してはいけない」
と、僕は思いました。
それは、最初は、自己研鑽を放棄して後半生を生きてきた怠け者の単なる勘、のようなものでしたが、日を追うに従って、僕の中で、それは固いしこりのようなものに変わっていき、このしこりこそが今の僕にとって最もこだわるべきものであるように思い始めました。
三上治さん。
僕たちは、10歳の年齢差はありますが、戦後昭和から平成20年という長い歳月を、<日本的な>数々の桎梏を拒絶して「思索すること」を何より大切と考え、1970年からの政治思想の退潮を、1990年前後の東西冷戦構造の崩壊、つまり、マルキシズムの終焉を、そして、平成の風化の20年間を、その都度、時代の本質を見極めることに賭けてきた数少ない種族の一人ではなかったのか、と認識してきました。
無定見な放浪者としてだらしなく生きてきた僕にとって、三上さんは、この数十年間、炯眼の人、とでも言えばいい存在でありました。
ですから、三上さん。
いま、僕は、教えていただきたい。
安保闘争の闘士でもあったという山田恭暉さんの提言。
それを受けた三上さんの、「自発的意思(志願)による面々で担う道を模索したというのが僕の意見だ。僕は提言に応えたい。」という言葉。
その犠牲的献身の姿勢は、何度も言うとおり、誰の眼にも、美しく、異論のとなえようもありません。
しかし、その反面、戦後昭和の理念を生きてきた人間として、その「反論のしようもない美しさ」に、違和感を覚えざるを得ないのです。
熾烈な肉体的闘争と、その後の思想的闘争を闘い続けてきた三上さんやその同志の方々と、軟弱な生き方をしてきた僕とでは、その発言の重量に雲泥の差があることは、重々承知しています。
ただ、三上さん。
僕は、戦後理念を、吉本隆明さんや三上さんたちの硬質の表現でも学んで来ましたが、たとえば、次のような俗謡でも学んできた者であります。
命は一つ 人生は一回
だから命を捨てないようにネ
あわてるとついふらふらと
お国のためなのと言われるとネ
青くなってしり込みなさい
逃げなさい 隠れなさい
(加川良 作詞作曲歌唱)
こうした俗謡(フォークソング)は、その質としては低級かもしれませんが、しかし、戦後昭和を生きてきた当時の一般青年たちの共感を呼んだものであったことも確かです。
そうした基本姿勢を大切に抱きかかえて、平成の今日までを生きた人たちも、大勢いるのではないのか、と僕は思うのです。
そうした「公よりも私」を生きてきた人たちにとって、「国民(=お国=公)のために」「放射線による被曝という障害(=私)」も覚悟でという山田さんや三上さんの提言は、かつて自分たちが激しく拒絶してきた戦前的思考への「本卦返り」に映る危険はないのでしょうか?
戦後昭和を生きてきた僕たちは、「勇気ある英雄(=公)」よりも「臆病な小市民(=私)」である生き方を、太平洋戦争敗戦の教訓として得、<卑小な私>こそが愛すべきものである、と信じてここまで来たのだ、と僕は思っています。
しかし、山田さんや三上さんの提言は、僕の眼には、<卑小な私>の否定ではないのか? と映るのです。
たしかに、お二人の提言のとおり、国家存亡の危機にあたって、「決死隊」を組成すれば、事態は、迅速に解決するでしょう。それは、誰の眼にも明白です。
だけども、それは、たとえ「志願」の形はとったとしても、人の生命に対して、「多数を救うためには、少数の生命が犠牲になるのは止むを得ない」、という論理の正当化でもあります。そして、山田さんや三上さんの提言を実施したとしたら、その最後に出てくるものは、「英雄(=公の重視)」です。国民(=国家)のために身を賭して動いた「英雄」です。その「英雄」は、きっと、国民の多くから賞賛されることでしょう。
しかし、眼を澄まして見るなら、その「決死隊」とは、実は、65年遅れの第二の「神風特攻隊」ではありませんか?
三上さん。
僕たちの戦後昭和は、そんな、「賞賛される英雄(=公への無償の奉仕者)」を求めるために存在したものだったのでしょうか?
僕には、山田さんや三上さんの提言は、戦後昭和を懸命に生きてきた人たちを支えた大衆理念の否定のように思えてなりません。
その疑問が自分の中で解決できないので、三上さんの、「政府は原子炉の現状を公表し復旧作業にあたるメンバーの公募に踏み切れといいたい。」という提言には、どうしても、承服できかねるのです。
そして、さらに、僕は思うのです。
たとえ、まどろっこしく、時間が余計にかかって、多くの国民に不安が増幅したとしても、それでも、僕たちは、いま東電や政府がやっている、人命を尊重した迂遠な処理方法を支持しなければならないのではないか。それこそが、戦後昭和を<知>に拠って立つことを自分に課してきた人間の採るべき立場ではないのか、と。
ですから、僕は、仮に万が一「決死隊」を募集するとしても、国民に対して、「公への奉仕という大義」によって「無償の行為」を求めてはならない、と思うのです。むしろ、もっと割り切った「金銭的報酬」によって募集した方がましではないか、と思っています。
戦後昭和理念の最上の部分を抱きかかえて生きてきた人間は、絶対に、「公への無償の奉仕」という大義で国民の生命を求めることだけは激しく拒絶する、その原則的姿勢を失ってはいけない、と、僕などは考えるのですが、もし、僕のそうした違和感についてお答えいただけるなら、僕はとても喜びます。
世川行介拝
(2011年4月10日記)
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