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2011/3/31(木) 午前 0:15
迫りくる巨大津波を前に、最後まで防災無線で市民に避難を呼びかけ殉職した女性職員、まさに「自利利他」そのもの。その一方で、「高血圧と目まい」で計画入院、雲隠れしちゃった東電社長(笑)、究極の「我利我利」野郎だ。我利我利亡者がトップリーダーの組織に未来はないという典型の東電。さて日本国の将来はどうなる?
さて本題へ。
なぜ、小沢、小沢なのかって?うまく説明できないけど、私は、こんな政治家だから応援している。
それは、国会会議録・平成9年10月13日衆議院予算委員会で質問に立つ小沢一郎議員(新進党党首)と答弁する橋本総理大臣とのやりとりの中にある。
今回、国会会議録から「トップリーダー論」に限定し転載しました。日米関係やらいろいろ議論する2人の質疑応答は必読です。私は、政治家小沢一郎のすべてが凝縮しているようにすら感じました。(^m^)
「官僚が作成した橋本総理の答弁は、オモシロくないので以下省略」
注1:ぜひ読んで欲しい部分には赤下線を引いてます。ぜひ目を通して下さい。
注2:文字が小さい場合、画像をクリックいただくと大きな画像になり読みやすくなります。
注3:橋本総理の答弁部分は官僚答弁丸出しなので省略しました。
注4:全文読む場合、[http://kokkai.ndl.go.jp/ 国立国会図書館HP国会会議録検索]から「平成9年」「小沢一郎」「衆議院」「予算委員会」などで検索を♪
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どうしても、なにがなんでも、必ず、読んで欲しい部分を下記に記しました!
必ず読んで♪ これが「小沢一郎」という政治家の「心」だと思うから。
政治家の政治の責任は、国民の平和な暮らしを守り、命を守り、国土を守っていく、そのために政治は一体何をすればいいのか、どういう道を選択するのか、どういう政策を実行するのか。私は、それが政治の責任だと思う。そのためには、そのときの国民の意向に必ずしも沿うものでなくても、やはりこれが結果として国民のため、国のためだと思うなれば断固として実行していく。私は、それがリーダー、政治家、特にトップリーダーの責任ではないかなというふうに思っているわけであります。」 トップリーダーの最低条件は、我利我利人間じゃなく、自利利他人間だと私は思います。(^m^) (投稿者 注)画像はエントリー転載元にてご覧ください。
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「佐藤氏の任命については、当然いろいろな議論を呼ぶということは予想されたことであります。だから、総理も考えに考え抜いて決断をされたのだと思います。そういう決断がわずか数日の間で変わってしまう、そして総理は国民に陳謝するという形をとられました。私は、この経過を見て、一国の政治を一身に預かる内閣総理大臣の決断というもの、判断というものがこんなに簡単に変わってしまうのだろうか、また、国務大臣の任免というのはそんなにいいかげんな、そんな簡単なものなのだろうかということを深刻に考えました。我々みんな含めてですが、
「小村寿太郎は、東京からアメリカ行きの船に乗るまで、官舎から東京駅、その沿道、そして東京駅から横浜、鉄道沿線、そして波止場、あらゆるところで熱狂した国民大衆の声に送られて出発した。しかし、本人も、そしてまたそれを見送る当時の元老伊藤博文を初め宰相桂太郎、みんな、どんなにこれが大変な、難しい、厳しい交渉になるかということを知っておった。小村全権委員自身も、今はこうして国民の大変な期待の中で歓呼の声に送られて出るけれども、帰国したときはまさに非難ごうごうの中で石もて追われる、そういう立場に自分はなるだろう、そういうことを予感しておった。見送る当時のトップの指導者たちも、そういうことを予感しつつ、しかし、だれが歓迎しなくても、帰国したときには我々があんたの迎えに出る、何としても今ここで講和を成立させてくれ、そう言って送ったと伝えられております。ポーツマスでは御存じのとおり、ロシアは文句があるならもっと戦おう、しかし日本はもはや戦う余力はない、そういう中で交渉が行われて、結果としてポーツマス条約が結ばれた。ところが、内容を知った日本国民は大変な怒りを政府と全権に向けた。東京では、大群衆がいろいろな集会を開いたと同時に、暴徒は東京市内で焼き討ちを始める、そして結局、政府は東京市に戒厳令をしかざるを得ない、そういうような状況にまで世論は沸き上がった。また、当時の新聞、テレビもラジオもないからマスコミは新聞しかありませんが、この新聞も口々に、屈辱の条約よりも、講和よりも、国のために戦って倒れた方がいい、まだまだ国民は耐えられると、この政府の弱腰、軟弱外交を口をきわめて批判して、条約の締結を阻止しろ、こういうふうに叫んだわけですけれども、しかし、そういった国民の世論の高まりを知りつつ、たとえ国民がそう言っても、この講和を結ぶのが結果として国家のためであり、国民のためだという決断を時の指導者はみずからの責任で行った。私は、明治のリーダーの群像に大変興味を持っておるものでありますけれども、このときの彼らの決断の仕方、対応の仕方、これもまさに明治のリーダーたちのリーダーたるゆえんではないだろうかなというふうに思っているわけであります。」
「第一次大戦のバブル好景気が崩壊して、結局、今の日本と同じように日本経済は長い不況に入っていった。そして昭和四年、一九二九年、ウォール街の株の大暴落をきっかけとした世界恐慌で、ますます日本経済は大きな深刻な打撃を受けた。私、東北の出身ですけれども、その当時、東北が大飢謹に見舞われた。私どもの田舎にその当時の、身売りの話から、いろいろな苦境に、生活苦に陥った国民の記録が残されておりますけれども、そういうような状況になったわけです。このときに、当時の政治はこの苦境を打開する道を見出すことができずに、結局、武力によって他国に進出する、そのことで問題の解決を図ろうとしたわけですけれども、これが惨めな敗戦につながったということは、皆おわかりの歴史の示すとおりであります。しかし私は、この当時も、国民の気持ちの高まりあるいは世論というものは、そういう政策を多数の世論は支持しておったのではないかと思います。こんなことは政治家が本当に冷静に考えれば長く続くはずはないし、また、国際社会で受け入れられるはずのない行為であります。私は、そういう意味において、本当に、政治が結局機能しなかった、不在だったことが昭和史の悲劇を招いたのではないかなというふうに思っております。」
「こういう私たちのまさに身近な歴史の中に、我々は今大きな教訓を見出すことができるのじゃないだろうか。私は、今日の状況、国民の生活やら内外の状況、目に見える範囲ではその当時とは全く違いますけれども、その本質、中身ではそれと同様な、日本はまさに重大な岐路に差しかかっているのじゃないだろうか、それが今じゃないだろうかという思いをいたしております。ですから、最初にも申し上げましたように、政治家のリーダーシップ、指導者のリーダーシップ、なかんずく最高指導者、トップリーダーの内閣総理大臣、宰相のとるべき姿勢、対応、そういうものが今まさに問われているし、国民から求められているのじゃないだろうかというふうに私は思います。」
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