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ウォールストリートジャーナル より
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_219448
菅首相の官僚外しと原発危機対策
2011年 4月 10日 14:02 JST
【東京】菅直人首相は、震災で停止した福島第1原子力発電所の危機対応のため、旧来の官僚主体の指揮系統を排除し、独自にアドバイザーを招請して特別対策チームを設置した。
このことは、キャリア官僚の怒りを買うとともに危機管理を誤ったとの首相への非難が強まっている。
災害基本法に基づいて設置された災害対策本部があるにもかかわらず、菅首相は、同原発の事業者である東京電力(東電)への対応に新たな緊急対策機関を併設したのだ。
3月11日の地震と津波以降にとった一連の措置を通じ、菅首相は、過去数十年にわたってキャリア官僚が政策策定を主導してきた日本で、
国を統治する新たな方法を事実上試運転しているといえよう。
だが首相が現地視察に向かったことが過熱した原子炉の爆発を食い止める初動の遅れを招いたと指摘されている点を含め、
自ら陣頭指揮しようとする首相の決意が危機を一層悪化させたとの批判が起きている。
菅首相が、おおかた反故(ほご)にしてしまった原発緊急時計画の策定にかつて一官僚としてかかわった与党民主党の福島伸享衆議院議員は、
「マニュアルがあるにもかかわらず、マニュアル通りに動かず、アドホック的に自分たちで命令系統を作り時間を浪費している。実際にマニュアル通りに対応して事態がもっと軽症で終わっていたかどうかは分からないけれど、少なくとも対応が遅れた」
と語る。
福島氏は、「今や経済産業大臣も東電の本社に行っている。言ってみれば、消防庁長官が火事の現場にいっているようなもの」と語る。
大将は本丸にいるべきで、現地に判断をさせる部分、大臣が判断する部分、総理大臣が判断する部分はマニュアルであらかじめ分けてあったのだが、
「どこで誰が判断するかということが一番混乱している」と指揮系統の混乱を指摘した。
東電と政府は、震災と事故への初期対応について批判にさらされている。
菅首相はそうしたつまずきを、自ら陣頭指揮に当たることを正当化する理由にしてきた。
首相周辺によれば、断固たる措置をとる以外、首相に選択肢はなかったという。
菅首相の側近トップである枝野幸男内閣官房長官は取材に対し「今回の災害対策では、通常の行政システム、時間の掛け方では対応できなかった」とし、
政治が従来の手順や段取りにこだわらず判断することで一定の効果があったと弁明している。
とりわけ、3月19〜20日の週末に東京都の消防隊員を原発の現場に派遣し、使用済み核燃料棒を貯蔵してあるプールを冷却するため何千トンもの水の放水にあたらせる手を打ったことは、菅首相の功績だという。
首相の危機管理へ直接手を下すやり方は、部内者をも驚かせてきた。
地震発生当日から、菅首相は被災した原発に強い関心を示し、非常用発電機を原発ま で空輸できるかどうか尋ねたこともあったという。
側近の一人、下村健一氏によると、首相は自ら携帯電話をかけて、発電機のサイズと重量を問い合わせたとい う。
民主党は、政治主導を唱えて選挙戦を繰り広げ、2009年に政権をとった。
国家的危機のさなか、官僚主導を排除しようとする菅首相の決意は、官僚主導の日本においては明確に政治的色合いを帯びている。
政治的な非難の応酬に距離を置く人々の中にも、菅首相の政治主導の原則を評価する一方で、その原則を実行に移す際にあまりにも多くのことを自分でやろうとしたことで、つまずいた、との見方がある。
日本大学の政治学者、岩井奉信氏は、
「民主党は危機管理のノウハウが弱い」、
「素人だったことがマイナスになっている」 と語る。
菅氏は、1980年に政界入りし、長く野党に身を置いた。
96年には厚相として、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に汚染された血液製剤の流通に 関わる隠ぺい工作を暴き、官僚と企業幹部に責任をとらせた。
菅氏には、福島原発事故もまた、大企業と官僚の癒着を物語るものと映った。
99年に制定された原子力災害対策特別措置法は、首相を本部長とする原子力災害対策本部の設置を定めている。
菅首相は、この法律に従って同本部を設 置した。
しかし、側近トップの枝野官房長官によると、
首相はその後、情報が幾層もの官僚機構をくぐって上がってくるのをただひたすら待たなければならな かったという。
日本共産党が発表した会談筆記録によると、菅首相は先週、共産党の志位和夫委員長に対し、
「『原子力村』というか、ある種、専門家のギルド的な雰囲気がある」と語っている。
地震後数日以内に、菅首相は独自の計画を練り上げていた。
3月15日午前5時30分に東電本店に乗り込んだ首相は、東電本社内に統合対策本部を設置 することを経営陣に伝えた。
この新しい対策本部には、菅首相の補佐官らを配置することとし、東電から直に情報を取って、その場で命令を出せるようにした。
こうした臨機応変の措置は、各国が「責任の明確な割当」を伴う「指揮統制体制」を事前に設けるよう定めている国際原子力機関(IAEA)のガイドラインに反しているとみられる。
首相サイドは東京都の消防隊の派遣を、新体制が機能している例として挙げているが、
それ以前の、過熱する使用済み燃料プールの冷却を試みて失敗した機動隊高圧放水車の一件を批判する向きもある。
元警察官僚で自民党衆議院議員の平沢勝栄氏が首相官邸や一部民主党議員から聞いた話では、
官邸はまず、機動隊放水車を派遣するよう命じたという。
平沢氏は、そこは当然官邸に責任があるとし、放水を専門にしているのが消防であることは子どもでも分かると述べている。
四方敬之内閣副広報官は、まず消防を呼ぶべきだったと思った人もいるかもしれないが、内閣府はその時点時点で最善と思われる措置をとってきたと述べている。
放射線データ公表の遅れの責任が誰にあるのかについても、双方の言い分は食い違っている。
政府の原子力安全委員会はようやく23日になって、福島第 1原発周辺20キロ圏内の避難地域の外でも放射線濃度が高いおそれがあると公表した。
このデータ発表を受け、政府は原発から30キロ圏内の住民に避難 支援を提供することにした。
首相側近によると、首相は22日の会合に原子力安全委員長ともう一人の委員を呼び出し、官僚の縄張り争いについて不満を表明することで、データ公表に直接介入したという。
元官僚で衆議院議員の前出・福島氏は、皆が手順に従っていたなら、こうした情報は「即時公表」されていたはずという。
一方、原子力安全委員会の広報官によると、データ公表の遅れは、重要データの不足と委員らの多忙な日程によるものだったと説明した。
震災翌日12日午前7時ごろの菅首相の福島第1原発視察をめぐっても議論がある。
菅首相は、床の上に毛布にくるまって眠っている作業員の脇を通 り抜けて、小会議室で原発施設の幹部2人と20分間にわたって会談した。
ある側近によると、首相は技術的質問をし、過熱する原子炉を冷却する方法について アドバイスしたという。
問題は、この視察のせいで1号機のベント開始が遅れたかどうかだ。
原子力安全・保安院が発表した時系列記録によると、11日午後10時の時点には、 保安院当局者は、翌日早朝には1号機原子炉内部で炉心が溶け始めると予想し、圧力を下げるための緊急ベント開始を要求していた。
だがベントが始まったの は、菅首相が現場をあとにした数時間後だった。
菅首相は、視察のせいでベント開始が遅れたことを否定した。
政府当局者は、遅れの原因が、電源喪失後に手動で弁を開くことの難しさと連絡上の問題にあったとしている。
官僚の不満が募るなか、菅氏の長年のアドバイザーだった北海道大学の政治学者、山口二郎氏は先週、首相官邸に緊急面会を申し入れ、官邸で40分間会談した。
山口氏と同僚の北大教授は菅首相に、官僚の活用を強く促したという。
山口氏は首相に、「責任追及をしている時ではないといった」という。
同氏によると、菅首相は、一部始終を伝えてくれないから官僚は信用できないと改めて不満を漏らし、会談は不本意な結果に終わったという。
しかし、首相側近はこの助言を受け入れる兆しをみせており、民主党が政権に就いて以後廃止した事務方トップの会合を復活させた。
この会合は目下、震災救援・復興に関する政策の調整に当たっている。
記者: Yuka Hayashi and Norihiko Shirouzu
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